MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

きれる患者

2011-06-27 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
K先生のお誘いで、
兵庫医療大学の「医療コミュニケーション」の授業に参加しました。

薬剤師の卵の5年生たちが160人。
魚眼レンズが必要なくらい横幅の広い教室です。
今回は将来薬剤師になる人たちが対象なので、
薬の文化の違いとか、
薬の通訳の時に困ることなどを中心に話しました。

まだ実習を経験していない学生は
外国人が窓口にやってくるという実感がありません。
外国語専攻の学生や通訳の集まりの時とは違って、
異文化の人々に話している疎外感が強いのですが、
頭のどこかに外国人患者のことを置いていてくれれば、
実際に来られた時に親切に対応してもらえるのではないかとの思いで
話をしています。

最後にひとつ質問がありました。
「言葉ができないって外国人が切れることってありますか?」
最初聞いたとき意味がよくわからなかったのですが、
言葉が通じないことで、医療者が外国人患者に怒られることがあるかってことですね。

他の言語の人はわかりませんが、
スペイン語の場合はそれはあまりない気がします。
まず日本の病院に行ってスペイン語が通じることを
期待するのは無理ですし。

ひとつは、やはりここは日本なので日本語のできない負い目を
外国人患者側も少なからず感じていること。
もうひとつは日本でまだまだ医療機関のほうが「上」だからです。
医師に診察してもらって薬を処方してもらっても
薬局で言葉でトラブルを起こしたら
薬をもらえなくなってしまうじゃないですか。
だからもし何かあってもできるだけ我慢する気がします。

それから切れるとしたら、それは「言葉」の問題ではないと思います。
明らかに患者を見下した態度で接したり、
日本語で暴言を吐いたりするような場合に、
(その言葉はわからなくても空気で伝わる)
人間の尊厳の問題として切れることはあると思います。
それを「言葉」の問題で切れていると勘違いすることもあるようですが、
言葉はあくまでもコミュニケーションの一部にすぎないのです。
相手を思いやって話している人は
たとえ言葉が通じなくても心が通じています。
それに対して切れる人はいません。

逆にあきらかに差別的な態度で接する人には
言葉が通じていても気分の悪いものです。

これから現場に出ていく皆さん。
くれぐれもコミュニケーションは言葉によってのみ
成り立っているものではないことを覚えておいてください。
思いやりは必ず患者に伝わりますよ。

まずは「こんにちは」と「おだいじに」だけいろんな言葉で覚えてみませんか。

移住連名古屋大会に参加して

2011-06-20 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
週末、名古屋で開催された
移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連)の大会に参加してきました。
定員600名の会場は満員。
東海地方の外国人支援の層の厚さに驚くとともに、
特に当事者である外国人の姿が目立ったことが特筆すべき点です。
事務局の方が通訳の手配を頑張っていらしたので、
会場では様々な言語が聞こえてにぎやかでした。

移住連は全国にある外国人支援団体が加盟しているネットワークです。
2年に1度大きな大会があり今回はその8回目になります。
(間の年にはもう少し規模の小さいワークショップが開催されます。)

この大会には
全体会のほかに分科会があり、
「在留資格」「医療」「難民」「女性」「研修生」「ソーシャルワーク」といった
テーマごとに報告と情報交換が持たれます。
今回から「フィリピンコミュニティ」「南米日系人」「中国人」といった
エスニックコミュニティ別の分科会も開催されました。
外国人支援は多岐にわたります。
一つの分科会を選ぶのは至難の業。
今回ほど体が三つほど欲しいと思ったことはありません。

でも、移住連札幌大会で医療通訳を取り上げてもらって以降、
医療と言葉は大切なキーワードでもあります。
なのであえて「医療」分科会へ参加しました。

一番の楽しみは、
外国人支援団体の人たちと出会えること。
その中の日系ブラジル人Aさんから
「今まで自分たち自身も日本社会に働きかけをすることが少なかった。」
といわれて、医療通訳も同じですねという話をしました。

外国人の医療現場のコミュニケーションの橋渡しをするのが医療通訳の仕事。
でもその環境整備を怠ってきたので、
どんどん医療通訳者は減っています。
仲間が減れば、仕事も活動もきつくなる。
外国人の数は増えています。
現場の医療通訳者は危機感を抱いています。

自分たちが声を出さなければ変わらない。
仕事も生活も誰かが変えてくれるのを待っていては変わらない。
そういう意味では医療通訳者も同じなのです。

移住連で2年分のエネルギーをもらいました。
また頑張ろうと思います。



どこでもドア

2011-06-13 00:00:00 | 通訳者のつぶやき

ドラえもんの道具の中でひとつだけもらえるとしたら
医療通訳者としては「どこでもドア」だなあと思います。

「どこでもドア」はWikipediaによると
(「医療通訳」のwikipediaはないのに「どこでもドア」はあるんですねえ・・)

「開き戸を模した道具。目的地を音声や思念などで入力した上で扉を開くと、その先が目的地になる。ドアのノブに意志読み取りセンサーが組み込まれているため、場所の指定は「いつもの空き地」と言えば野比家の近所の空き地になったり、「どこでもいいから遠く」と言えば適当な場所になるなど、曖昧な指定が可能。10光年以内の距離しか移動できないという制限がある」

とのことですが、
10光年で十分です。はい。
日本国内の病院には問題なく行けますので。

私は仕事上、電話での医療通訳をすることが多いです。
時間がかからない。距離の問題がない。待ち時間のコストがかからない。
など電話通訳にはいろんなメリットがありますが、
患者の顔が見られないということが最大のデメリットです。

先日、流産の通訳をしたとき、
患者さんの声のトーンがとても落ち着いていたのが、
とても痛々しく感じました。
あまりの落ち着きにこちらが不安になったくらい。
どんなにつらい思いなのだろうと。
でも声からは気丈な雰囲気が伝わってきます。
こういう人には付き添ってあげたいなあと思います。
でも、すぐに行くわけにはいきません。
結局、電話で最低限の通訳をして、
最後に「何かあればまた電話して」の言葉を残して電話をきります。

やはり電話通訳はベターであってベストではない。
でもやるからにはベストにもっていく工夫をしなければいけないのは確かです。

もしかしたら本人は通訳と顔を合わせたくなかったかもしれません。
だけど、そばにいることができたら、
医療関係者も安心だろうし、こちらももっと適切な通訳ができたかもしれない。
だからこんな時「どこでもドア」があれば、
電話一本で日本中の病院を訪ねていけるのにと思うのです。

ただ、ひとつ忘れてました。
「どこでもドア」があれば
外国人患者はそれを使って自分の国の病院に行くかも。
それなら医療通訳者は必要ないし、
外国人も日本に住まずにどこでもドアで出勤してくるかも。

やっぱり・・「どこでもドア」の発明はまだまだ先のお話でしょうね。


今必要な医療通訳

2011-06-06 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
私がスペイン語相談員の仕事を始めたのは1993年です。
時はバブルの終わりかけ。
1990年の入管法改正によって
南米日系3世やその家族に「定住者」の在留資格があたえられることになりました。
この「定住者」の資格には就労制限がなく単純労働が可能でしたので、
まだ社会情勢が不安定だった中南米からたくさんの日系人が出稼ぎにやってきました。

確かに当時は「出稼ぎ」という言葉が正しかったと思います。
日本社会への定着よりもまずは仕事。
若い労働者が単身言葉もわからない国にやってきて、
働きます。

たいていの人がブローカーと呼ばれる
外国人専門の派遣会社などで雇用されていました。

労災で指を落としたり、
病気になったら多くの人が
帰国という選択肢を選びました。

あれから20年。
南米日系人はすっかり日本社会の一員となりました。
日本への定住を選んだ人も多いです。

20年たったということは
20年、年をとったということです。
それまで働きづめで体を酷使していた人たちも
一息ついたらいろいろ体に悪いところが出てきたとか、
慢性疾患を我慢してきたのが悪化したとか
そういう受診が増えています。

ただ、20年前と違うのは、
病気の内容が複雑化していることと
彼らの日本語が確実に上達していること!
日常会話程度の通訳なら、
自分たちの日本語のほうがずっと通じます。
だから医療通訳を求める声の中に、
「自分の日本語レベルよりはるかに上の通訳者」
を求めるのが当たり前になってきています。
または「わざわざ交通費を出す価値のある通訳者」
「日本の病院のことも知っていて交渉もできる人」
という付加価値を求めます。

日本人が考えている
日常会話の通訳ができる通訳者では
すでに外国人患者の要求にこたえられないレベルになっているのです。

少なくともスペイン語・ポルトガル語はそうです。
だから、病院が求めるとにかく言葉ができる人ならよいというのは
患者が求める医療通訳の需要にはあっていません。
医療通訳を育成するにしても、プロレベルが必要です。
最近、つくづくそのマッチングギャップに苦労していて、
国際交流協会などの通訳ボランティアも
司法分野と医療分野を除くとしている団体が増えています。

こうした現実について、あなたはどう思いますか?