MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

ダブルライセンス

2016-09-26 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
クリニックの先生方とお話していると、
「通訳者をひとり雇うのは小さいクリニックだと大変。
だから、他の医療関係の仕事をしながら通訳してくれると
助かるんだけどな」とよく言われます。

確かに、
集住地区で、毎日外国人患者がくるような場所なら別ですが、
そうでなければ、医療関連の仕事を持つスタッフに医療通訳もしてもらえばいい
という意見が経営者側からでてきても、おかしくはないと思います。

実際に、看護大学などで留学生と話していると、
クリニックの受付のアルバイトをしていて、
外国語ができるから重宝される・・・とかいう話はよく聞きます。

この「ダブルライセンス」の考え方は
ずいぶん前から議論されています。

「言語の習得だけでも大変なのに、そのうえに医療関連の資格をとるのは無理だ」
「他の人と同じだけ仕事をして、その上に医療通訳をやるのは労働強化だ」
「本来業務を圧迫してしまうし、どちらの業務も中途半端になるのではないか」

などの心配がでてきます。

かたや
「外国人患者が多くないのだから、ぼ~と待っている時間はつらい。自分も他の仕事がしたい」
「医療職の給料の上に、職能給のような形で医療通訳の技能を認めてもらえるなら言語の勉強もしたい」
「2世として生まれて、子どもの頃からバイリンガルだから、本来業務だけでなく、医療通訳としても活躍したい」
などの考え方もあります。

私が危惧するのは
「医療通訳者はダブルライセンスであれ」ということになってしまうと
医療資格を持つ人しか医療通訳ができないということになってしまいます。
私は必ずしも医療通訳者が医療資格を持つ必要はないと思っています。
患者と医療者の中立に立つのであれば
どちらにも所属していないほうが、やりやすいこともあります。
ですから、医療通訳者はあくまでも「医療通訳」の専門職であるべきです。

ただし、地方都市などでは、医療通訳者を専門職として病院が抱えきれないこともあります。
それならば、なんらかの医療資格をもって病院に入るのもまたひとつの手段かもしれない。
私は社会福祉士の資格をとりましたが、
実習に行って、とても医療通訳との両立は無理だと実感しました。
でも、外国人のあまりいない地域なら、可能性はゼロではないとも感じます。

医療通訳環境は多様性のある場所であるべきだというのが私の持論です。

もし、地方都市でベトナム語の医療通訳者が欲しいなら
ベトナム人2世の人に奨学金をだして看護師養成するくらいのことを
考えてみてもいいのではないでしょうか。
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一年に一冊

2016-09-19 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
以前、本屋さんに「医療通訳の本の棚を作ること」が目標ということを書きました。

単著でも編著でも共著でもいいので
外国人医療に関する書籍がある程度増えていかないと
社会的な認知を得ることができないという考えからです。

もちろん、ネットのほうが手軽に手に入れられるし、
実際に論文などではネットで手に入る論文等のほうが引用が容易です。
ただし、書籍を手に取り線を引いたり付箋を貼ったりしながら、しっかり読み込むことも
とても大切だと思っているし、そういう時間が私はとても好きなのでやはり書籍にこだわります。

いつのころからか、せめて1年に1冊は本にかかわりたいなと思ってきました。
昨年は、「実践医療通訳」という連利博先生と阿部裕先生との編著を上梓しました。

今年は、多文化間精神医学会の皆さんを中心に
野田文隆先生と秋山剛先生を編者とした本に参加させてもらいました。
「あなたにもできる外国人へのこころの支援」 岩崎学術出版社 2016.9

内容は、在住外国人支援の中で「こころの支援」をする際に
医療者、支援者、日本社会の皆さんに知っておいてほしいことが網羅されています。
特に、初学者にもわかるように、ハウツーにも対応できるようになっています。
目次を引用すると・・

はじめに
 パート Ⅰ 知ってほしい:外国人へのこころの支援のイロハ
 パート Ⅱ 立場で違うこころの問題①
1 本人の場合
2 配偶者の場合
3 児童の場合
 パート Ⅲ 立場で違うこころの問題②
1 留学生では
2 難民・難民認定申請者では
3 外国人労働者では
4 国際結婚では
5 中国語精神科専門外来では
 パート Ⅳ こころの支援者や団体を活用するコツ
1 国際交流協会と連携する
2 スクールカウンセラーを利用する
3 医療通訳を使う
4 保健師に相談する
5 精神保健福祉士に相談する
6 心理士に相談する
7 精神科医に相談する
 パート V 医療現場で実際に起こること
 パート Ⅵ 文化的背景を知らないと困ること

私は「医療通訳を使う」の項目を書きました。
在住外国人の精神科支援の場面を通訳できる通訳者は多くありません。
従って、「医療通訳者を探す」ことは結構難しいと感じることもあります。
しかし、家族や子供がやることがよい場面ばかりではありません。
先日書いた「医療通訳を使う」という表現についても賛否両論があると思いますが、
日本社会ではまだ医療通訳以前の問題も多いので
外国人の心の支援におけるコミュニケーションについて広く取り上げました。

私の周りでは「こころの支援」を含む医療通訳場面が少なくありません。
うつや統合失調だけでなく、子供の発達障害や家族の問題、依存症など
たぶん、日本の医療の中で、もっとも解決が難しく、でも一番通訳者を必要としている
分野のひとつだとおもうからこそ、皆さんにも目を向けてほしいと思います。

医療通訳において「精神科は置いておいて・・・」の議論では意味がありません。
患者のつらさは、どちらがつらいと計れるものではないのです。

図書館に頼んでいただければ、
いろんな方の目に留まっていいかもしれませんね。
よろしくお願いします。

今週は湯治で秋田に来ています。
最近では、夏の終わりに身体をリセットしておかなければ
年末まで持たないようになってきました。
ちゃんと休んで、また戻ります。
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2言語優先か、全言語実施か?

2016-09-12 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
日本医療教育財団による「医療通訳技能認定試験」がはじまります。
https://www.jme.or.jp/exam/sb/index.html

これは「技能認定」という形です。

現在、日本の医療機関においては
医療通訳者を使うにあたっての不安として
「この通訳者は信用できるのか」をあげています。
であれば、こうした指標は医療者にとっても
歓迎すべきものなのかもしれません。

ただ、これには心配もあります。

日本のコミュニティ通訳の現場は多言語です。
在住外国人数をみればわかりますが、
英語以外の多言語で構成されています。
ゆえに、いくつかの言語だけが認定されていて
他の言語は認定されていないという不安定な状況が起きるのではないかということです。
認定試験ですので、業務独占とは言いませんが、
名称独占にしても、技能認定されていない言語の通訳者は
いつまでたっても「技能認定されていない」通訳者になってしまう。

そんなことは「技能認定」を作っていらっしゃるかたも理解されていると思いますし、
もちろん、できることからはじめるというのは
何事においても大切なことです。

ただし、外国人支援の現場にいる立場から
外国人患者にとって何が必要かよりも
日本社会にできることを優先してしまうと
それで終わってしまう日本社会の「飽きやすさ」も嫌というほど見ています。

英語と中国語を中心に「技能認定」してしまうと
他の言語通訳者が「偽者」のまま地域に残されてしまうのではないかとの
危惧がどうしても抜けないのです。

また、英語以外の言語は
日本人ではなくネイティブ通訳者が圧倒的に多いために
「試験」の内容にも配慮が必要です。

ただ、箱は開き始めています。
だめだめというだけでは前には進みません。
「技能認定」に反対しているのではなく、
今後、他の言語への配慮がきちんとなされるように強く望みたいと思います。

この状況を見ながら
当事者の皆さんには失礼なたとえかもしれませんが、
北方領土の2島返還と全島返還の議論に似ているなと感じるのは
私だけかもしれませんが・・・。
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バウンダリー(心の境界線)について

2016-09-05 10:42:35 | 通訳者のつぶやき
「医療通訳者」及び「医療通訳ボランティア」研修の中で
必ず問題になるのが、このクライアント(患者、家族)との
「バウンダリー」つまり「心の境界線」についてです。

特に経験の少ない通訳者は
この境界線の引き方でつまづいて、
医療通訳を引き受けられなくなることがあります。

だから、医療通訳者の自己管理の一環として
きちんと「境界線」という概念を自覚しておく必要があります。

20年ほど前の私の話をします。
当時、入管法改正から5年以上経過して、
日系南米人の中には
長引きすぎた出稼ぎで疲れている人たちが多くいました。
また、阪神淡路大震災からも数年たって
街が落ち着いてきた時期でもありました。

Aさんからも最初は相談ということで電話を受けるようになりました。
今のように、在住外国人の精神疾患についての
論文や研究がなかった時代のことです。
だんだん、私もこの人が精神疾患であることに気づきはじめて、
少しずつ信頼関係を作って精神科への受診を促して、受診を始めたある日のこと。
公衆電話からの電話を受けました。

「もう死にたい」

突発的な言葉でしたが、その時どうしていいかわかりませんでした。
もともと、この人がとても孤独であることは理解していました。
一通訳者がこの言葉をどうすればいいのか途方にくれました。
結局、この人にもしものことがあったら
母国の家族に連絡するということを約束して、
二つの電話番号を預かって
そのあと、この人のところに飛んでいきました。
とりあえずその日は落ち着きました。

ちなみに、Aさんは今も元気で暮らしています。

知識のない状態でそれが必死で考えた対応策でした。
今考えても、なんてことをしたのかと思います。

通訳と友人は紙一重、
通訳と支援者も紙一重です。

でも、その紙の境界線をきちんと担保することが
専門職としての通訳者に求められるのです。

私はどうして一人で決めたのでしょうか。
精神科やソーシャルワーカーに知り合いがいなかったからです。
相談すべき団体や仲間がいなかったからです。
そして、何よりも私が動かなくても
他にふさわしい人がいたかもしれないのに、
そのことを知らなかったからです。

私が通訳者としてやらなければいけないことは何か。
もしかしたら、私自身もAさんに依存していたのかもしれません。

団体に所属している人は、団体のルールで
そんな問題も最初からクリアされているといいます。

でも、その団体のルールを決めた時点でも
バウンダリーに苦しんだ通訳者が何人かいて、
みんなにその苦しみを味合わせないためにこのルールを作ったのです。

個人で通訳を受けている人や
団体があっても通訳を守ってくれない、理解してくれない場合は
通訳者が自分で判断しなければいけないケースが今でもあります。

通訳を断るのは簡単でした。
でも、断ることはできなかった。
では、どうすればよかったのか。
それこそが、医療通訳の倫理の中で学ぶべきことなのだと思います。



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