MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

医療通訳研究会(MEDINT)を立ち上げるまで(3)

2006-03-22 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
2003年以降の活動の詳細については、HPを見ていただくことにして
ここでは、どういうコンセプトでこの研究会を立ち上げたかについて、書いてみたいと思います。
まず、外国人医療通訳で一番必要とされているのが「通訳派遣」であることは明らかです。
ですので、医療通訳に関するNGOを立ち上げると言った時に、ほとんどの皆さんが通訳派遣のNGOだと思われたようですね。また、設立準備の段階で会員になるといってくださった方々も、即医療通訳の活動ができると思ってこられた方が多く、そういう方は講座をやっているうちに残念ながら離れていってしまいました。
しかし、私なりにMEDINTを作る時に決めた3つの原則がありました。

(1)自分たちができる範囲での活動にすること

メンバーは、すでに通訳や団体職員、医師や看護師といった職業をもっています。誰かがその仕事をやめてこの活動に専念するには、お金も事務所もありません。会費をできるだけ会員と活動に還元したいと思っているので、事務所は「奇兵隊」に間借りさせてもらい、HPサーバーも「奇兵隊」、電話は代表の携帯電話~いつも留守電になってます、機種もツーカーの古いタイプで今時メールもできません(涙)~、連絡はすべてパソコンメールとメーリングリスト、広報はHPで経費節減を徹底しました。役員、スタッフの活動は手弁当で、できるだけ土日と夜間を中心にできる範囲でやっています。ですので、なかなか電話連絡がつかないとか、事務所に行きたいとかというご不満、ご要望もあるかと思いますが、もうそれはご理解いただくようお願いしています。また、主旨にご賛同いただいた、毎日新聞社大阪本社さんに2005年度から教室の場所を提供していただいています。JR大阪駅徒歩10分(雨にぬれない!)会場をお借りできて、参加者の利便性もアップして、最近では教室が満員になることもしばしばあります。本当に感謝しています。とにかくこの活動を細く長く続けるために「無理しない」が信条です。

(2)他の団体がやっていない活動にすること

先ほど「通訳派遣」はしないと書きました。どうして、通訳派遣をしないかというと、実は「しない」のではなくて「できない」のです。関東に「MICかながわ」があるように、関西には「多文化共生センターきょうと」というすばらしいモデルケースがあります。私たちはとても、これ以上のことはできません。ここの事務局長とコーディネーターは医療通訳の非常に繊細な部分まで理解して事業を組み立てています。いつも感心すると同時に彼らから学ぶことはできても真似はできないなあと思っていました。だから、私たちには「多文化共生センターきょうと」と同じことを目指すのではなく、自分たちの特徴を活かした活動に特化すべきだと考えました。それはなにかなあ・・と。そこで、医療通訳者に足りないもの、つまり研修の機会を作ることをかんがえました。幸い、MEDINTには医師や看護師の役員がいます。立ち上げからAMDA兵庫のお世話にもなっています。講師をつとめてくださる人材がたくさんいます。主旨をご理解いただいて、ボランティアで来ていただけることになりました。医療通訳者は団体に所属している人たちだけではありません。個人でやっている人、家族や同国コミュニティのためにがんばっている2世・3世の人たち、司法や行政、教育現場の通訳者で医療も扱う機会のある人などもいます。誰でも気軽に研修のできる場の提供が、私たちの能力の中で一番無理せずできる活動だと思いました。そこで、講座研修を中心にMEDINTの活動をすることにしました。

(3)ユーザー(医療従事者や行政)を巻き込んだ活動にすること

医療通訳者同士で話をすると、どうしても愚痴になってしまいます。結局、行政が悪い、病院が悪いということになって、溜飲を下げて終わります。でも、この問題を解決するには、病院、医師や看護師という通訳ユーザーの声を聞くことがとても重要です。病院にも行政にも言い分はあります。それぞれの立場で議論することではじめて解決策が見えてきます。ですので、講師に来ていただいたり、語学講座で学んでいただくことによって、医療従事者の方々にも一緒に医療通訳の問題を身近に感じてもらいたいと思っています。医療の世界の壁は厚いとの話を聞きますが、お一人お一人とお話しすると、とても良心的でこの問題について真摯に受け止めようとしてくれる方が多いように感じます。私は社会的活動には、色鉛筆が必要だと思っているんです。ジェンダー、年齢、国籍、職業、ものの見方など様々な多種多様な人が集まってこそ、深く広く考えることができる。だから、役員・スタッフ・会員とも応援してくれるだけでなく、苦言を呈してくれる人こそが宝だと思っています。
でも、MEDINTは2006年の今年、山で言うとやっと1合目。このお話はもう少し続きます。

医療通訳研究会(MEDINT)をたちあげるまで(2)

2006-03-15 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
とても個人的なことですが、私は典型的(?)なB型で、興味のあることにはのめりこむけれど、飽きるのも早いという性格です。その性格を自分が一番よく知っているので、他の人を巻き込んで、団体を作る、それも自分が楽しむためのものではなく、社会システムを変えるという使命をもった団体を作って、それを代表するなんて絶対無理だと思っていました。できれば誰かに代表をやってもらって、自分は事務とか裏方がやれればと今でも思っています。
2000年、AMDA兵庫で、在住外国人のための活動を探るための講演会シリーズがはじまりました。すでに実績をあげていたAMDA国際医療情報センターの事務局から職員を招いて現状をうかがったり、ブラジル人集住地区の医療事情を研究していた大阪大学のIさんや、母子保健に詳しい看護師のKさん、外国人の精神医療がご専門のN先生など、2年間で計7回の講座が開催されました。広報活動が地味だったにもかかわらず、多くの方々が参加してくださり、言葉と医療の問題への関心の高さを感じました。2年間の講座を終えて、この関心の高さをどのように発展させていったらいいのかを考えていました。
ちょうどその頃、毎日新聞社のF氏に言われた言葉を聞いてそれまで愚図っていた自分の心が決まりました。「今と5年前のあなたの言っていることは同じだ。進歩がない。問題点がわかっているなら、どうしてそれを変えようとしないのか」
実はその頃、私はくたくたでした。次から次へ持ち込まれてくる外国人の問題、言葉のトラブル、文化衝突。ニューカマーが定住するには避けては通れない問題が山積していました。しかし、在住外国人の専門通訳はその技術や専門を認められず、ボランティア扱いされて、身分保障やサポートもなく、孤立無援の状態でした。
病院に通訳として同行したくても、なかなか休みがとれません。休みがとれたとしても、交通費もなく、病院からは患者の保証人になることを求められたり、知識がなかったために、防護することなく結核患者に付き添ったりということもありました。それでも、一人ひとりをサポートするのは私にとっては有意義なことでした。しかし、自分ひとりがやっても、それはその人が助かるだけで、次から次と病人が出てくるのです。どうしようもありません。神戸にいる少数言語の通訳者はみな似たような状況に立たされていました。
特に、母語によるサポートが必要なのは心と身体が弱った時です。たとえば、病気になった時や犯罪にあって被害者になった時のケアは特別なものが必要だと痛感しています。結局、「医療と言葉の問題」に活動を特化することに決めて、2002年10月医療通訳研究会(MEDINT)を立ち上げました。そのとき、AMDA兵庫のM先生はもちろんですが、会のブレーンであるIさん、薬剤師で語学もできるIさんとNさんなどの励ましがあって、やっと立ち上げたというのが実情です。「石の上にも3年」を目標に、2003年からいよいよ医療通訳研究会の本格的な活動が始まります。続く

医療通訳研究会(MEDINT)を立ち上げるまで(1)

2006-03-09 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
このブログはどんな方が見てくださっているのか、コメントを受け付けていないのでよくわからないのですが、いつもこんな硬くて重い(笑)ブログにお付き合いいただき感謝しています。

今週から数週間かけて、医療通訳研究会(MEDINT)を立ち上げた経緯と、これまでにやってきたこと、これからやらなければいけないことを少しずつ書いてみたいと思います。なぜ今頃組織の話?かというと、唯一トラックバックを貼っていただいている「奇兵隊」のE先生が団体の立ち上げの経緯を書いていらっしゃるのを見て、私も自分の組織について一度まとめておきたいなと思ったからです。ただし、このブログの更新はE先生ほど頻繁ではなく週1回水曜日ですので、気長にお付き合いくださいね。

話しは1998年にさかのぼります。JICAのパーティで、AMDA兵庫代表のM先生にはじめてお会いしました。当時、AMDA兵庫は「ネパールこども病院」を設立されたことで、すでに有名でした。ただ、先生は、AMDA兵庫はネパールこども病院だけでなく活動の3本柱を持つこと、そのふたつ目に「在住外国人の医療に関する活動」を掲げており、どのようなニーズがあるかと様々な角度から考えているとのことでした。AMDA兵庫の活躍は、毎日新聞などを通じて知っていましたが、在住外国人の医療について関心をもってくださる医師にあったのはその時が初めてだったので、自分ができることであれば、お手伝いしたいと思ったのが、活動につながる最初の出会いです。
私は1993年から外国語による相談窓口に勤務しています。その職務の中で、医療と言葉の問題にある危機感を抱いていました。どの病院、医師や看護師の方も一生懸命、治療してくださっているのです。しかし、医療現場に通訳者がいなくて、言葉の問題で患者側が病院や治療を信じてくれなかったり、帰国せざるを得なくなる悲しいケースを体験しました。また、外国人の保険診療や福祉制度に詳しい人も少なく、適切なアドバイスを与えられずに未払いになってしまうケースもありました。これは事実に反することですが、外国人医療=未払いのイメージも蔓延していました。こんな状態では、医療者は外国人の診療なんてしたくないだろうなとずっと思っていたのです。
ですから、1998年に行われたAMDA兵庫の「外国人医療に関する医療者の意識調査」の結果を見てとても驚きました。多くの医療者が外国人をきちんと診療したいという意思を持っているにもかかわらず、医療通訳者が見つからないなどのシステム面の問題で対応できないと思っていることがわかりました。
医療従事者も通訳者も患者も思いはひとつで、迅速で良質な医療通訳のシステムを導入して、外国人にとって快適な医療環境を作りたいということなのだとはっきりと理解しました。では、こうした課題にどのように取り組んでいけばいいのか・・・。まったくわかりませんでした。残念ながら、私にはすぐに問題に取り組む行動力はなく、そこからさらなる出会いと長い模索の日々が始まりました。

子供が通訳をすることについて

2006-03-01 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
お父さんが子供と一緒に病室に入ります。お父さんは癌です。

子供はお父さんと一緒に5年前に来日しました。小学1年生のクラスに入って、最初は日本語がまったくわからなかったけれど、今は友達もできて元気に学校に通っています。学校の友達とは日本語で話し、日本のテレビを見ていますが、お父さんは家でスペイン語を話せというので、家ではスペイン語を使っています。
でも、お父さんは、毎日工場で働いて、日本語の勉強ができないので、日本語が話せません。「けんさ」とか「ざんぎょう」とか仕事で使う単語はわかりますが、日常の日本語は子供まかせです。だから、ビザの更新の時も、市役所へ行くときも、子供が学校を休んでついていきます。

今日も、お父さんの調子が悪いので、病院についてきました。子供は体育の授業が大好きなサッカーだったけど、学校を休みました。お母さんは働いているので、仕事を休めません。
お医者さんは子供に話します。「お父さんは癌です。手術しなければいけません。手術しますか?手術しても、成功の確率は○○%です。その後の抗がん剤治療には副作用があります。副作用は・・・・・・・。」
お父さんは、子供をじっと見つめています。「先生はなんと言っているの?大丈夫だといっているのか?仕事はできるか?」
子供は困ってしまいました。難しい言葉が多いです。日本語ではなんとなくわかるけど、スペイン語ではわかりません。その上、先生はとても怖い話をしています。「失敗の確率は○○%です」「頭の毛が抜けます」「肝臓が悪くなります」
涙がでてきます。「お父さん大丈夫だって」といいたいけれど、先生はそんな簡単なことを言っているわけではないようです。でも、ちゃんとお父さんに伝えなければいけません。わかっています。でも、涙が出ます。

アメリカでは子供に医療通訳をさせてはいけないと法律で決まっている地域もあります。また、子供が大人の通訳のために学校を休むことは、学校で勉強したい子供の福祉を阻害するといわれます。子供を診察室に入れないですむように、一日も早く医療通訳を整備したいと思いませんか。