MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

回復はどこにあるかわからない

2006-02-22 20:05:29 | 通訳者のつぶやき
もうすぐ3月。この時期にはこころの相談が増えます。10年以上仕事をしてきて、これは毎年かわりません。3月から5月、日差しが暖かく、花が咲き、皆幸せな気持ちになれる季節に、どうしてつらい思いをかかえなければいけないのか、患者さんの気持ちを考えると切なくなります。
話を聞くのは、医療通訳者の仕事ではありません。でも、話を聞くことで、患者さんが少しでも回復へ向かうなら、私はいくらでも話を聞こうと思います。以前、中萩エルザ先生が、「回復はどこにあるかわからない」とおっしゃたのが心に残っています。「気は心」という言葉がありますが、ストレスで病気になることもあれば、気力が充実して病気を跳ね除けることだってあります。通訳者は職人ではありますが、同時に医療従事者と一緒に患者の治療に協力するチームメンバーです。
滋賀の事件はとても悲しい事件でした。日本人のお母さんでも同じように孤独に追い詰められている人はたくさんいるのだから、これは外国人のお母さんの特別なケースではありません。そこを間違えないで欲しい。でも、外国人のお母さんには相談できる場所が少ないのです。相談できる人が選べるほどいないのです。結婚の相談に来るカップルに、「外国人の彼女は一人で日本に来ます。あなたが夫だけでなく、兄になり、父になり、友人になり守りきる覚悟はありますか」と確かめます。それくらい、少ない。少数言語であれば、私たち通訳者はその少ない人のひとりになる可能性もあります。私も、こころの相談を聞くとき、最後のひとりに残れるようにと思っています。
医療通訳者には、技術の前にまず患者を思いやる気持ちを持って欲しいと思っています。
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オーダーメード

2006-02-15 15:15:06 | 通訳者のつぶやき
日本語での会話が難しい患者さんがいらした時、強い味方になるのが多言語問診票や多言語ガイドです。
特に、AMDA国際医療情報センターの出されている医療関係の多言語ガイドはとてもよくできていますので、是非一度ごらんになっていただきたいと思います。
http://homepage3.nifty.com/amdact/PDF/jap/pdf-J-master.html

ただ、実際に病気になると、いつもは問題のない「読む」「眼を使う」という作業がとてもしんどいことがよくわかります。私自身も昨年2週間病気で寝込んだ時に家でテレビを見るとか雑誌を読むとかという作業はまったくできませんでした。ましてや、体がしんどくて病院に来ている人は、一刻も早く診断をしてもらって横になりたいという気持ちが強いでしょう。用紙を読んで一問ずつ答えていくやり方は元気なときには問題ありませんが、付き添いがなく一人で病院に行くときには、とてもつらいのです。
また、定住外国人の中には、義務教育途中で日本にやってきて、母語も日本語も両方ともとても上手に話せるけれど、どちらの言語も読むことができない人や、どちらの言語でも大人が使う専門用語がわからない人もいます。
医療の現場では、「文字」はかならずしもユニバーサルな道具ではないと思います。

また、実際に診察を受けていると、問診票に掲載されている言葉以外の言葉がたくさんでてきます。「痛い」を表現する時にも「しくしく」「ずきずき」「じーん」などさまざまな言い回しがありますし、例えば先日通訳した中には「胃の奥の下の方がじわっと熱く感じる」という表現をした人がいました。これらは指差し問診表では出てこない表現です。でてこないからといって「胃が痛い」だけを伝えるだけでは十分ではないでしょう。ある医師が、「言葉ができなくて、問診しなくても、だいたいのことは検査の数値でわかる。」と言っていました。私は医療従事者ではないので、正確なことはわかりませんが、それでも本人からの情報が診断の重要な手がかりになることは確かだと思います。そうしたやりとりは、すべてオーダーメードなのです。その患者さん一人ひとり違う言葉でのやり取りになります。問診票や翻訳機が進化するのは、私たちとしても大歓迎です。ただ、最後はやはり人間を通した通訳に勝るものはないということを忘れないでほしいと思います。



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通訳者の資質

2006-02-08 17:50:24 | 通訳者のつぶやき
よい医療通訳者ってどんな人でしょう。最近わからなくなってきました。

先日ある通訳者を訪ねました。来日して数年。コミュニティの人たちの医療通訳要請に応じて、病院を飛び回っています。
見せてもらった手帳は予約で真っ黒です。なかには2週間待ちという人もいます。
彼女は、通訳者のプロでもなく、本国の看護師や医師の資格を持っている専門家でもありません。日本語も、お世辞にも流暢とは言えません。でも、たくさんの外国人が彼女を慕い、彼女の通訳を頼りにしています。
町には他にももっと日本語の上手な通訳や外国語の上手な日本人がたくさんいます。どうして彼女なのでしょうか。でも話を聞いて納得しました。
彼女は相手のことを思いやる心がとても強いのです。患者がどのように対応してほしいかということをよく理解していて、患者の立場に立って行動しようとします。時には通訳以外のこともやりますし、患者が医師の言葉にショックを受けそうならもう少し柔らかい言葉で言い換えます。患者に感情移入しすぎて寝込んでしまうこともあります。家族に心配されながらも、今日も患者を連れて地域の病院をまわります。

プロ通訳としては失格でしょう。
医療従事者が必要とする通訳でもないようです。

でも、彼女を慕う外国人がたくさんいます。この現実は、よい医療通訳者ってどんな人だろうと、あらためて考えさせられてしまうのです。
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ハラスメント?

2006-02-01 17:27:07 | 通訳者のつぶやき
「ドクターズ・ハラスメント」という本を読んだ。「セクシュアル・ハラスメント」が権力の上下関係のもとで行われる性的なハラスメントだとすれば、医師と患者の間にも少なからず「治療してもらう」「治療してあげる」という上下関係ができることは、なんとなく想像できる。もちろん、ほとんどの医療者は良心的に診療にあたってくれているが、悪気ない一言が患者を傷つけることもあるのではないだろうか。
ならば、医療通訳者と患者の間にもこうしたインタープリター・ハラスメントが起こる可能性はないだろうか。私は起こりえることを十分認識しなければいけないと思う。もちろん、医療通訳の主な仕事は診療室の中で通訳ということは以前書いたが、それだけではなく待合室や受付で世間話をすることもある。世間話をすることが、医療通訳者として良いか悪いかの議論は別として、病気のバックグランドを知ったり、相手の言葉の癖を知るための大切な情報収集の機会にもなっている。しかし、そうした世間話の中で、クライアントを傷つける言葉を吐いていないかといわれれば必ずしも自信はない。
特に身体的なことや先天的な遺伝、家族の経済状態などを知ってしまう通訳としては、悪気はなくても「おせっかい」や「病気や本人について過剰に興味を持つこと」、「クライアントが気にしていることを連呼すること」、「自分の宗教や考えを押し付けること」はやってはならない。
友人や家族ならその(思いやりのない)性格を知っているから許しもできるが、第三者である通訳に冷たい言葉を浴びせられればただちに信頼関係は損なわれる。
しかし、そこには「通訳してもらう」「通訳してあげる」関係があることから、患者からなかなか文句がいえないという事情もでてくる。医療通訳が通訳倫理を厳しく守る第三者でなければいけないゆえんである。
という私も数々の失敗を今までしてきて、反省ばかりで偉そうにいえる立場ではないのだが。
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