MEDINT(医療通訳研究会)便り

医療通訳の制度化を目指す医療通訳研究会(MEDINT)のコラム
~みんなで 医療通訳者を増やし、守り、育てよう!~

板ばさみ!

2004-04-27 16:50:19 | 通訳者のつぶやき
先日のシンポジウムの中で、ある参加者からの発言がとても印象に残った。
 その発言者は、もう何年も前から病院通訳をしている方で、時折、医師の方針と患者さんの希望の板ばさみになって苦しいという。
 気持ちが痛いほどわかって涙がでそうになった。
 通訳は、当事者つまり「患者」でも「医師」でもない。だけど、多くの医師は通訳に向かって話し掛ける。患者さんを見ずに通訳のほうを向いて、通訳が理解しているかどうかを確認しながら話す医師も少なくない。
 「先生、患者さんを診てください!」といいたくなるのだが、診察の流れを止めてしまうようで、言い出す勇気がでない。「話をするときは相手の眼を見て話しましょう」と育てられたのか、どうしても癖で実際口を動かしているしている通訳のほうを向いてしまうらしい。
 一番困るのは、病院の方針を患者に納得させるようにと通訳にいわれる場合だ。通訳は医師ではない。説得というのは本来の通訳の仕事の中には入っていない。しかし、文化の介在者としての役割を知らない間に通訳は担わされている事が多い。
 逆もまたしかり。患者も医師には直接批判めいたことはいえないが、通訳には簡単に言える。通訳に愚痴をこぼすくらいなら良いが、通訳に医師との交渉をさせようとする場合がある。また、交渉がうまくいかなければ通訳が悪いということになってしまうことだってある。
 通訳はこんな板ばさみに毎日苦しんでいる。
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コミュニティ通訳

2004-04-18 16:49:18 | 通訳者のつぶやき
毎日新聞兵庫県版の読者の方はお気づきになられただろうか。先週11日より、司法通訳人協会の会長である長尾ひろみ先生が毎日新聞の日曜版に「コミュニティ通訳」と題したエッセイを連載されている。「コミュニティ通訳」という言葉は、まだまだ日本ではなじみが薄い。しかし、医療や司法通訳の専門性を端的に説明する言葉として使う異議は大きいと思う。
 日本で、在住外国人のための通訳をしていると「ボランティアさん」と呼ばれることが多い。私は外国語生活相談員の仕事を専門としているが、いつのまにか「ボランティアさん」と呼ばれていることもしばしばである。いや、私は仕事でやっていますからとか、税金で働いてますからねと説明しても、「良いことをされていますね」とほめてもらったりする。「仕事ですから」と答えても、どうも理解していただけない場合が多い。これが、会議通訳や企業通訳ならまずそんなことはないだろう。いつから在住外国人の通訳はボランティアという決め付けが出来てしまったんだろうと悲しくなる。これは私の職業なのだと声を大きく主張したいと思い続けてきた。
 コミュニティ通訳の分野は技術的専門性が非常に高い。アマチュアでは決してできないクオリティが必要であるのに、とにかく言葉の置き換えが出来ればいいという認識の人が多くて戸惑うことも多い。質の悪いコミュニティ通訳を使うことで実害をこうむるのは外国人本人なのだが、無料でやってもらうと、通訳の質に対して文句が言いにくいというのが原因になっているとも思う。
 そんなとき、司法通訳人協会の長尾先生たちの活動に出会い、とてもうれしかった。また、コミュニティ通訳という名称に、「これだ!」と思えた。
 「コミュニティ通訳」という言葉に違和感がある方々もいるとは思う。しかし、言葉や名称ができて初めて社会的認知がなされると考えるならば、今はこの名称を大切にしたいと思う。
 これから長尾先生の豊富なご経験から様々なお話が展開されると思い期待している。
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ワールドカップの思い出

2004-04-11 16:48:19 | 通訳者のつぶやき
神戸に暮らしていて贅沢だなあと思うのは、野球とサッカーのチームが、両方あることだ。電車一本で、どちらのスタジアムにもいける。市民招待デーや市民割引などもあり、暇があればお弁当をもって会社帰りに気軽に立ち寄ることが出来る。こんな時、神戸市民でよかったなとしみじみ思う。願わくばどちらももう少し強ければいいのだが・・。今年の活躍に期待しつつ、今日も応援に励んでいる。
 先週末は、近所のショッピングセンターの福引で当たったチケットでヴィッセル神戸の試合を見てきた。いつもは、応援するためにヴィッセルのサポーター席かM自由席なのだが、今回は招待券だったのでメインスタンドに入った。実はここに入るのは2回目だ。
 はじめて入ったのは2002年のワールドカップ。ブラジル対ベルギー戦でメインスタンド担当のポルトガル語「医療通訳ボランティア」をした時のこと。私はいつもはスペイン語の通訳をしている。趣味でスペイン語に比較的似ていて音がきれいなポルトガル語を習っているので、先生からお誘いをいただいて、この世紀のイベントに参加できたのだ。このときほどポルトガル語を習っていて良かったと思ったことはない。
 また正式に「医療通訳」ボランティアとして活動したのも、この時がはじめてだった。いつもは、本人に頼まれて病院に同行することが多いため、「あなたは誰ですか」の自己紹介からはじまるのだが、このときは、お揃いのジャージや名札もいただき、行政から正式に医療通訳ボランティアとして任命(?)されたのである。これは実はとても画期的なことだったように思う。
 私たちはお揃いのジャージに身を包み、ポルトガル語と書かれた札を首からぶら下げ、それぞれのスタンドにある医務室に配置された。ご存知のようにサッカーのスタンドは4つに分かれており、それぞれのスタンドは独立している。熱狂的なのは両サイドのサポータースタンドだ。ベテラン通訳の3人はブラジル人サポーターの多いスタンドで待機した。比較的おとなしい(?)と思われたメインスタンドには、私一人が配置された。一緒に医務室で待機していたのはお医者さん2名、看護婦さん、救急隊員の方だった。
 幸いなことに、その夜暴動や喧嘩などがスタジアムで起きることはなかった。その試合はブラジルが勝ってとてもご機嫌な夜だった。逆に一番ひやひやしたのは、ベッカム選手が試合見学のためメインスタジオにやってきて、それを見ようと観客が押し合いになったときだった・・。これは余談だが。
 2002年のワールドカップは海外からたくさんの人たちが押し寄せる大イベントだった。それも、東京だけでなく、日頃外国人観光客の少ない地方都市でも開催されたため、各地方自治体では、外国人が怪我や病気になったらどうしようとか、暴動が起きたらどうしようとか、いろいろと対策を立てていたようだ。「医療」と「通訳」というものが、表立ってクローズアップされたのも、このイベントが契機になってというところも少なくない。
 どんな契機であれ、医療通訳の必要性が認識されるのはいいことだ。しかし、イベントが終わったことによって、ブームが去るように地方自治体の熱が冷めていったのは残念だ。ワールドカップでは、たくさんの外国人が来日したが、実は日本に住んでいる外国人の数はその比ではないことに、気づくとてもいいチャンスだったのに。
 
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病気と言葉

2004-04-04 16:40:33 | 通訳者のつぶやき
掲示板でも書いたが、医療通訳をやっている人には、ただ言葉が出来るからやっているという人より、自分自身が海外の病院で苦労したり、友人や家族の通訳をした経験を持つ人が多いように思う。やはり、自分が大変だったので、日本にきている人たちも、大変だろうなと容易に想像できるからなのだろう。
私も、南米に住んでいた時、同じような経験をもつ一人だ。現地の農業共同組合で働いていて、同僚には日本人はいなかった。ミーティングや農業指導のクラスもスペイン語でこなさなければならない。しかし、これは苦ではなかった。仕事は充実していた。主な仕事は農村で女性を対象に家庭菜園の指導と野菜の食べ方の指導をするというものだった。しかし今考えれば、指導するというより、多くのことを女性たちから教わった貴重な体験であったと思う。心配していた健康面も、現地の人と料理教室で同じものを食べるという仕事柄、寄生虫は常におなかの中に飼っていたが、それ以外は特に問題もなく任期の3年が終わろうとしていた。
帰国が近いと心に油断が出たのだろうか。ある日、朝起きると顔がはれ上がっていた。残務整理の激務で疲れは感じていたが、鏡を見ると唇が腫れ上がり、凄い顔になっていた。なぜかわからない。しかし熱もあり、とにかく身体がだるい。原因がわからないので。気が動転してしまった。説明しようとしてもスペイン語がでてこない。私自身、3年間も暮らしていて、すでに言葉には不自由を感じなくなっていただけに、言葉が出なくなったこともとてもショックだった。
そこで、心配した同僚が私を車に乗せて、遠路日系移住地の病院まで連れて行ってくれた。幸いなことに、そこには日本人の眼科医のシスターがいた。何を話したかは、もうおぼえていないが、彼女が日本語で話し掛けてくれたことで、随分心が静まり落ち着いたことは今でも忘れない。
炎症は病院に行っても原因不明ですぐには治らなかった。しかし、様子を見るために家へ帰ったとき、ホームステイ先のお母さんが、隣の家からもらってきた葉を煎じて飲ませてくれたらすぐに直ったのである。未だになんの病気だったのか謎である。もしかしたら日本に帰りたくないという逆ホームシックだったのかなと思うときもある。
この時、いくら長期間住んでいて、言葉に問題がないと思っても、病気になったときは言葉がうまく出てこないこともあるし、なによりも精神的に不安になると実感した。
日本で、医療通訳を通じてスペイン語圏の人々にあのときのささやかな恩返しができればと願っている。
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