先日のシンポジウムの中で、ある参加者からの発言がとても印象に残った。
その発言者は、もう何年も前から病院通訳をしている方で、時折、医師の方針と患者さんの希望の板ばさみになって苦しいという。
気持ちが痛いほどわかって涙がでそうになった。
通訳は、当事者つまり「患者」でも「医師」でもない。だけど、多くの医師は通訳に向かって話し掛ける。患者さんを見ずに通訳のほうを向いて、通訳が理解しているかどうかを確認しながら話す医師も少なくない。
「先生、患者さんを診てください!」といいたくなるのだが、診察の流れを止めてしまうようで、言い出す勇気がでない。「話をするときは相手の眼を見て話しましょう」と育てられたのか、どうしても癖で実際口を動かしているしている通訳のほうを向いてしまうらしい。
一番困るのは、病院の方針を患者に納得させるようにと通訳にいわれる場合だ。通訳は医師ではない。説得というのは本来の通訳の仕事の中には入っていない。しかし、文化の介在者としての役割を知らない間に通訳は担わされている事が多い。
逆もまたしかり。患者も医師には直接批判めいたことはいえないが、通訳には簡単に言える。通訳に愚痴をこぼすくらいなら良いが、通訳に医師との交渉をさせようとする場合がある。また、交渉がうまくいかなければ通訳が悪いということになってしまうことだってある。
通訳はこんな板ばさみに毎日苦しんでいる。
その発言者は、もう何年も前から病院通訳をしている方で、時折、医師の方針と患者さんの希望の板ばさみになって苦しいという。
気持ちが痛いほどわかって涙がでそうになった。
通訳は、当事者つまり「患者」でも「医師」でもない。だけど、多くの医師は通訳に向かって話し掛ける。患者さんを見ずに通訳のほうを向いて、通訳が理解しているかどうかを確認しながら話す医師も少なくない。
「先生、患者さんを診てください!」といいたくなるのだが、診察の流れを止めてしまうようで、言い出す勇気がでない。「話をするときは相手の眼を見て話しましょう」と育てられたのか、どうしても癖で実際口を動かしているしている通訳のほうを向いてしまうらしい。
一番困るのは、病院の方針を患者に納得させるようにと通訳にいわれる場合だ。通訳は医師ではない。説得というのは本来の通訳の仕事の中には入っていない。しかし、文化の介在者としての役割を知らない間に通訳は担わされている事が多い。
逆もまたしかり。患者も医師には直接批判めいたことはいえないが、通訳には簡単に言える。通訳に愚痴をこぼすくらいなら良いが、通訳に医師との交渉をさせようとする場合がある。また、交渉がうまくいかなければ通訳が悪いということになってしまうことだってある。
通訳はこんな板ばさみに毎日苦しんでいる。