MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

知らなければ聞き取れない心

2010-03-26 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
MEDINTを作った目的のひとつに、
医療通訳者同士の情報交換があります。

私たちが医療通訳をやりはじめたころ、
「医療通訳」という言葉はありませんでした。
たくさんの失敗やつらい思いを経験して、
それでも続けてきたのはいろんな理由があるからですが、
これから医療通訳を始める人には不快な思いや同じ失敗をして欲しくないのです。
だからできるだけ、失敗したことやつらかったことや、
医療通訳としては失格だといわれるようなことも
あえて隠さずにきちんとみなさんにお話したいと思っています。

前回、精神疾患の話をしたのでその続きです。

私がはじめて統合失調症の患者さんの話を電話で聞いたとき、
その人は隣の住人が、窓から覗くとか天井から覗くと訴えてきました。
「幻覚」や「幻聴」という病気があるとは知らなかったので、
これは家宅侵入罪だと思い、警察への相談をアドバイスしました。
しかし、その訴えはどんどん大きくなっていき本人は身体の危険を訴えます。
仕方がないので、私は本人の訴えを警察に通訳しました。
警察はすぐにやってきました。

ただし、隣の人を逮捕するためではなく、
その人を拘束するためでした。
それも麻薬担当の人が来ていました。
私も本人も「何故?」という思いになったのですが、
結局それは病気によって見えてみたものであることが後になってわかりました。

言葉のできる人は、
母語が話せるということで病気の訴えを聞く立場になることが少なくありません。
これは日本社会との接点である日本語教師にもありうることかもしれませんが、
私たちの短い人生経験の中で知っている病気などたかが知れています。

病気を知らなかったことで
物理的な相談だと思ってしまったのは悪かったなと思います。

ただ、精神科に関わる方々に知っておいていただきたいのは
外国人患者は言葉や文化の問題があり日本人以上に精神科への敷居が高いということです。
だから、普通の家族の問題や友人・隣人問題などの相談の中に明らかに治療の必要な相談が潜んでいます。
それを受診につなげるのは信頼関係が構築されてからです。
そのノウハウを私たちは知りません。
そんな中でなんとか受診をするように促すすべを経験の中で学びました。

医療通訳の皆さんには精神科の勉強はきちんとしてほしいです。
それは患者さんの声の中にしらなければ聞き取れない心の声がひそんでいることに、
きちんと気づいてつなげるためなのです。

PS;やっと球春到来です。今年は沖縄キャンプも神宮オープン戦もパリーグ開幕もすべて行ったけれどそれでもペナントレースのはじまりはわくわくします。今年も仕事とMEDINTの活動の合間を縫ってできるだけ球場に駆けつけたいと思っています
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被災者の不定愁訴からはじまった

2010-03-19 23:37:51 | 通訳者のつぶやき
また1週間さぼってしまいました。
年度末でまだスケジュール消化できていないMEDINTのクラスが週末に集中しており、
学会やプロシーディングの作成やMEDINTで受けるHP作成の打ち合わせやら・・
と本業以外の業務で2月中旬から週末休みが全く取れない状態でいたら、
とうとう先週駅まで来て気分が悪くなり会議をキャンセルしてしまいました。
幸い看護部会のメンバーが参加してくれていたので、
変わりにプレセンを引き受けてくれ本当に助かりました。

そんな中、身体と相談をしながらも
金曜日から福島で開催された
「多文化間精神医学会」に参加してきました。

様々な文化の違いをもつ人たちの症例や診療についての議論があり
とても面白かったです。
(次回の学会会報に印象記を書くことになっていますので詳細はそこで)

そこでふと、私が医療通訳に関心をもったのは精神科医療からだと思い出しました。
一番最初は阪神大震災のときの被災者の不定愁訴でした。
そのときまだ2年目の新米相談員だった私は、
不定愁訴という概念を知りませんでした。

耳が痛いといえば耳鼻科に、
生理不順といえば産婦人科に、
調子が悪いといえば内科に同行していました。

でもどこでも検査結果が出ずに原因がわからないままでした。
私も自宅が激甚地域にあったので、
精神的に疲れてはいましたが、
なれない仮設や避難所で暮らす外国人の心労はいかばかりだったか。
身体のSOSが心のSOSになっていることになかなか気づくことが出来ませんでした。
かわいそうだったなとおもいます。
だからきちんと心の病や疲れについても知識を持とうと思いました。

街がきれいになっていくにつれて
アルコール依存症や薬物依存、うつ病や統合失調症の患者さんが
スペイン語相談と称してたくさん話をしにきました。
病院に行っても言葉が通じないなら、
言葉の通じる相談窓口のほうがよほど楽になれたのかもしれません。
中には自殺した人もいました。
病気に関しての知識を持っていたら、
彼らにもっと違ったアドバイスができたのにとも思いました。

私の場合、精神科の通訳はたぶん他の通訳より数が多かったと思います。
でも、いくら場数を踏んでも精神科の通訳は難しい。
他の通訳さんは一体どうやっているのだろうと思っています。

学会のランチョンミーティングで
うつの単極性と双極性について学んだのですが、
もし通訳者がその両方を知らずに、
軽躁状態をきちんと聞き取れなければ、
医師の判断はうつとなってしまうと思うと、
治療が違ってきます。
本当に怖いなと思いました。

精神科の先生方は通訳がいれば・・・と軽くおっしゃいますが、
精神科の通訳は他の疾患通訳より難しいです。
文化の判断についても通訳に多くを期待してもらっても困ります。
精神科の通訳は知識も必要ですし、こころの準備もいります。

ある精神科クリニックで働く通訳さんと話したときに、
精神科の通訳は別の資格にしたほうがいいとおっしゃっていましたが、
私も同感です。

今後、学会の中で精神科医療通訳について議論がでてくればと思っています。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コミュニケーションの達人

2010-03-05 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
看護講座に参加して、
看護師の「伝える力」はすごいと思いました。

そして、はて、
これと同じような人にあったことがある・・・
どこだったかなあ・・・

思い出しました。

それは「近所のおばちゃん」
時々ペルー人の病院受診に同行してこられているのですが、
もちろんスペイン語もできないし、
医療のプロでもない。
でも、かなり的確に状況を把握しているのです。
ペルー人たちも信頼しきっています。

一体この人はなにもの?
正体は・・・本当に普通の近所のおばちゃんなのです。

ペルー人が子供に日本人女性を呼ばせるとき、
「おねいちゃん」か「おばちゃん」か迷ったら
「おねいちゃん」と呼んだほうが、
子供はかわいがってもらえるよと教えるのですが、
ここでいうおばちゃんは正真正銘のおばちゃん。
もう孫がいるくらいの出産経験も育児経験もばりばり、
思春期も親の介護も見てきた百戦錬磨の主婦のプロたちです。

彼女らは言葉はできなくても経験から状況を把握できます。
だから下手な通訳よりもずっと患者の言いたいことがわかるのです。
それに日常から子供たちと接してきているので、
その子の状態なんかもよくわかっているのです。
おそるべし。コミュニケーションの達人!

そういえば、
協力隊で現地に溶け込んでいる隊員は、
必ずしも派遣前訓練の語学成績がよかった人とは限りませんでした。
語学力とコミュニケーション能力は違うと思います。

相手を思いやることと経験がものを言う世界。
肩書きや資格ではなく、
人生経験や人を思いやる能力がものをいいます。
医療通訳者は年齢を重ねるごとにいい味がでてくるものです。

そして自らの病や苦悩も
力にしていくことができる仕事だと思います。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする