MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

医療通訳における電話通訳のメリット・デメリットについて

2016-03-22 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
「医療通訳は診察室の同席でなければいけない」という話はよく聞きます。

この話を聞いて、「恵まれてるな~」と思います。

私の住む地方都市では、
府県単位を少人数の医療通訳者がカバーしなければいけない現状ですので、
特別なケースを除きとても現場まで行くことはできません。
そこで、登場するのが電話通訳です。

最初に書いておきますが、
電話通訳には熟練とトレーニングが必要です。
最初から誰でもできるわけではありません。
それでも、対面通訳にないメリットがあるので、
今後、日本で医療通訳を制度化するにあたり、
この電話通訳や遠隔通訳の活用をはずすことができません。

今日は、この医療通訳を電話で行う際の
メリットとデメリットをまとめておきたいと思います。

メリット
1:通訳者の交通費がかからない。
通訳者を派遣する場合、その交通費がかかります。
電話通訳なら、現地に行くことがないので、交通費がかかりません。

2:待ち時間が発生しない
電話通訳の多くは病院に行ってから通訳依頼が発生します。
ですので待合室で待つことなく、診察室に入ってから、通訳を始めることができます。
また、だいたいの待ち時間を知ることができるため、その間に準備することが可能です。

3:件数をこなせる
私はスペイン語なので、1日平均5件程度ですが、
もっとメジャーな言語や人数の多い地域なら件数はもっと多いかもしれません。

4:秘密を守りやすいと感じる
あまり知られたくない病気や治療のケースでは
顔の見えない通訳との関係は、後腐れなくつかえるというメリットがあるように感じます。

5:感染症の場合
感染症患者の現場では、通訳者への感染の危険があります。
そのために電話通訳に切り替えます。
新型インフルエンザやSARSのときも電話通訳が活用されました。

6:外からでも問い合わせが可能
予約変更や薬の副作用が出た場合など、患者が外から病院に電話することもあります。
その際に、電話であればトリオフォンシステムを使って3者同時に話をすることができます。

デメリット
1:患者の顔が見えない
患者の顔、表情だけでなく、患部や薬やそういったものが見えません。
「ここ」といわれればそのまま訳しますが、
通訳者には「ここ」が「どこ」なのか見えないまま訳す必要があります。
具体的に言語で表現する医療従事者側のトレーニングが必須となります。

2:対話通訳でなく、ある程度まとめて通訳する
医療通訳の原則は対話を通訳するのですが、
電話の場合、携帯や固定電話であれば電話口がひとつのため、
医療者と患者の間で受話器が行き来することがあります。
そのため、ある程度まとめて通訳する必要があり、
話した内容を漏らさないように、
メモを確実に取るなどの通訳者のスキルが求められます。
ハンズフリー設定で、診察室すべての会話をきくことができる機器であれば
ノイズは増えますが受話器のやり取りはなくなります。
また、受話器のやりとりにおける医療者への感染の危険も減少できます。

3:ユーザートレーニングが必要
一般通訳の利用も慣れていない日本人が多い中、
電話での医療通訳の使い方に、医療者も患者、家族も慣れる必要があります。
また、当然のことですが、目配せやジェスチャーなどは見えません。
通訳者が場所の空気も読みにくいことも確かです。
ユーザーサイドは伝えたいことをすべて的確に「言葉」で伝える必要があります。

ちなみに、2002年のワールドカップのとき、
医療通訳ボランティアの携帯電話を登録して、
24時間対応しようという試みがありましたが、
私は登録しませんでした。
寝ているときや外出中にかかってきたとしても
ベストの状態で、また守秘義務が守れる場所で受けることはできません。
家族と過ごす時間や映画を見ている時間に電話がかかってきても
気持ちよく医療通訳に打ち込むことができないのであれば
受けるべきではないと思います。
医療通訳は片手間にできる通訳ではないことも理解すべきです。
センターのような場所を用意して、守秘義務が守れる環境を用意する必要があります。

先週の倫理の問題にも触れますが、
医療通訳者自身の通訳環境の管理は通訳者自身で行う必要があり
自信をもって通訳できないのであれば、受けないという責任感も必要です。

一人でも多くの患者に医療通訳を使えるように考えたとき、
同席でなければ通訳できないのであれば
救急の対応や遠隔地の少数言語などは対応できないことになります。
しかし、医療通訳を必要としている人は日本中にいます。
医療者、医療通訳者、患者それぞれが電話通訳に慣れることによって、
格段に通訳できる場面は増えるとおもいます。


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「できません」と言わせて

2016-03-15 15:07:25 | 通訳者のつぶやき
医療通訳をやっている人たちの研修に参加すると
本当にいろんな声が聞こえてきます。

医療通訳は、病院派遣の場合
「一人で行って、一人で通訳して、一人で帰ってくる孤独な作業」と
表現した人がいましたが、本当にそう思うことがあります。

看護師や医師のように同じ職種の人たちとカンファレンスしたり、
倫理に関してアドバイスをもらうというような機会はほとんどありません。

日本の医療通訳者には日本独特の「医療通訳者あるある」があります。

でも、今までなかなかそれを共有したり、議論したりする機会がありませんでした。

以前にも書きましたが、
私たちは「道具」だけど、心を持つ「道具」であることをあまり理解されません。
医療通訳の制度を作るとき、
通訳者の意見や仕事のしやすさ、倫理にかかわる問題を無視して作ると、
制度はあっても、それを行使する通訳者が根付かないものになってしまいます。

2011年に医療通訳士協議会では「医療通訳倫理規定」を作りました。

私も策定委員の一人として参加しましたが、
現在、医療通訳倫理のワークをやるときに
この倫理規定に当てはめて考えていくようにしています。
するとワークを重ねれば重ねるほど、よくできた倫理規定だと思います。

ところで、この前文と9つの条項の中で一番私が気に入っているのは、第4条の部分です。

4:業務遂行能力の自覚と対応
医療通訳士は、自己の業務遂行能力について自覚し、
中立性を保てない場合や自らの能力を超える場合は、
適切な対応を講じ、あるいはその業務を断ることができる。

医療通訳を始めた頃
未熟な状況で様々な医療通訳場面に遭遇し、
逃げ出したくてたまらなかったです。

他にできる人がいたら、その人にお願いしたかった。
私にはできませんと断りたかった。
でも、それが正しいことなのかどうかわかりませんでした。
また、患者や家族を前にして、「通訳できません」はとてもじゃないけど言えなかった。

「自己の業務遂行能力の自覚」ということの大切さを
「中立を保てない」「自らの能力をこえる」ということを自分で判断できる力を
適切な対応を行使する能力を
そして、業務を断る勇気をもつことをこの条項では伝えています。

医療通訳士倫理規定はあらためて「医療通訳者を守るために作られた」と実感します。
みなさんも困ったとき、是非一度この条文を読み返してみてください。




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たかが缶コーヒー、されど缶コーヒー

2016-03-07 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
2月末は医療通訳に関する研修が続きました。

全部日帰りなので、
途中から自分がどこにいるのか時々わからなくなりました。
徳島から始まって、JIAMの医療通訳研修、岐阜まで1週間、
いわゆる「インプット」と「アウトプット」が交互にでてくる
「医療通訳漬け」の1週間でした。

2月28日、岐阜県の医療通訳研修にいきました。

ほとんどの方が医療通訳やコミュニティ通訳経験のある方で、
言語もタガログ、中国、ポルトガルの3つでした。

研修内容はいつもだいたい同じなのですが、
さすがに参加者の人たちは実践をしている人たちなので、
鋭い意見や質問、共感できる体験談が出てきます。
講師である私自身、学ぶことの多い刺激的な研修会でした。

特に「医療通訳をして御礼に缶コーヒー(120円相当)をもらうこと」について議論したときは
「もらう」派と「もらわない」派に別れたのは興味深かったです。

いつもはだいたい、教科書どおり「缶コーヒーをもらわない」となります。
ただ、現場ではもう少し複雑なやり取りが展開されるのです。

では、もう少し高いスター○ックスのコーヒーはいいのか?
1000円相当の菓子折りは?
現金は?
そもそも値段の問題なの?・・・・
となっていきます。

私自身もボランティアでついていったあとの
正当な通訳報酬以外の謝礼に関しては今でもとても悩みます。

そして、もらったとき、もらわなかったとき
どちらのケースでも「これはまずかったなあ」という経験をしています。

もらうとそのあと特別扱いを期待されたとか、
喜んでもらっていると、ある日患者にお金がなくなってボランティア依頼できなくなったとか
(そのまま孤独死されたこともあります。お金がないなら何もいらなかったのに・・・。)
でも無邪気にもらっていた自分が情けない。
20年以上前のことだけど、その時から何かをもらうのは断ろうと心に決めました。

でも、もらわないと患者のプライドが傷つくということも
経験しました。
その缶コーヒーには患者の「借りを作りたくない」という気持ちも
含まれていることも理解しなければいけないと感じました。

もし患者側が、医療通訳相当の一部なりを支払えれば
通訳者に報酬を払っているから「借り」と感じないかもしれないと思います。

そうすれば患者がよくない通訳にクレームを出せるかもしれません。
今はボランティアに対しての遠慮があって、
クレームが出しにくいのではないかとも感じることもあるのです。

たかが缶コーヒー、されど缶コーヒー。

1本の缶コーヒーの中には
教科書ではかけないたくさんのことが詰まっていて、
医療通訳者は日々、悩み続けているのです。

今週は京都府の中国帰国者支援の人たちの研修に行きます。
いろんな現場の痛みや悩みを共有できればと思います。
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