MEDINT(医療通訳研究会)便り

医療通訳の制度化を目指す医療通訳研究会(MEDINT)のコラム
~みんなで 医療通訳者を増やし、守り、育てよう!~

集住地区という言葉

2007-02-28 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先日、ある行政の方とお話したときに、「うちは集住地区ではないから、あまり問題がないんですよ」といわれました。なんとなく「へんだな?」と思ったんですが、その時は「どうして変なのかな?」がわからなくて、少し考えていました。
言葉の問題や教育の問題、職場などの関係で、同じ国の人たちが一緒に住むというのは海外でもよくある風景です。神戸にも居留地がありましたし、海外でも日本人街や日系移住地など、同じ国の人たちが助け合って生活している場所は少なくありません。
日本でも、東海地方には自動車産業やプラズマテレビなどの工場があって、南米日系人の集住地区になっていることは有名です。地域を見ても食品工場の集まる地域に小さな集住があったり、残留孤児の人たちがたくさん住んでいる団地などもありますね。皆さん、仕事や家族、何かしらの事情でその地域に住んでいるといえます。
そもそも「集住地区」は日本人サイドから「管理」の視点で見たときにでる言葉です。
なぜなら「集住地区」の後に必ず「問題」という言葉が入るからです。
集住地区に住んでいなくても、外国人自身は様々な問題を抱えています。離れて暮らしている人も、一人で暮らしている人も、皆問題を抱えています。
先日、ひとりでがんばる中国人相談員に出会いました。その市には全員合わせても100人も中国人がいません。でも、それぞれの中国人は問題を抱えています。問題がないわけではありません。外国人の個人の視点で見ると、集住しているから問題が多く、集住していないから問題が少ないということではないのです。私自身も、集住ではない地域で活動していて、だからといって問題がないというわけではないのに・・・といつも思います。
たとえば100人の地域で1件の事件が起こっても、それは単なる事件でしょう。でも2000人いるところで、20件の事件が起こったら「多い」と感じ、外国人=事件と感じるかもしれません。たくさん集まるからこそ発生する問題。その正体は、住民の感じる「違和感」なのかもしれません。
ただ、ある外国人が集住地区に行くと「○○人」というレッテルをはられるので、嫌だといっていました。今すんでいる地域では「XXさんは、○○という遠い国からきているんだねえ」といわれるのに、集住地区に行くと「XXさんの前に、○○人といわれるから・・」といっていました。外国に住むということは、常に自分の国を代表して住んでいるという意識が必要ですが、自分という個人の前に国籍によるレッテルを貼られてしまうのは悲しいことです。
医療通訳を議論するとき、集住地区かどうかが問われます。集住地区の人は対策を急いでいますが、そうでない人は様子を見ている感じがします。私は、人の命に「集住」は関係ない、医療通訳で「集住地域」を論じるならば、ただ「効率」という点あるだけだと思います。田舎に住む外国人も、集住地区の人たち同じように病気も怪我もします。システムを考えるときにその格差がでないように配慮しなければいけないと痛感しています。
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自分を大切にしよう

2007-02-21 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
2月18日(日)医療通訳を考える全国会議が京都市で開催されました。関係者の皆様、参加者の皆様、お疲れ様でした。当日は首都圏開催でもなく、また日曜日にもかかわらず、180名を超える参加者で、全体会議は熱気にあふれていました。
外国人を支援する通訳が「ボランティアの問題」と現場に放置されていた頃から考えると、ずいぶん社会的認知が高まってきたなあと感慨深い思いです。

私は第4分科会をコーディネートさせてもらいました。
第4分科会は、今回はじめて「医療福祉系の現場を持つ通訳者限定(オブザーバー不可)」を対象に開催されました。実は、通訳者以外の方にも、第4分科会に興味を持ってくださった方はたくさんいらしたのですが、短い時間でもひとりひとりの通訳者の想いを発言してもらいたかったので、人数も20名限定とさせてもらいました。
テーマは「医療通訳者のセルフケア」です。対人支援を職業とする人が、仕事を通じて悲惨なケースやつらい話を追体験することによって、うけるPTSDを「二次受傷」といいます。医療通訳者にもこの「二次受傷」があるのではないかという仮説から、どのように症状を悪化させず、職務をまっとうするかについての話が中心になりました。
詳細については、今回の全国会議の報告書がでますので、それで見ていただくのが一番いいのですが、一番伝えたかったのは、活動されている一人一人の通訳者は、実は、日本における外国人医療にとって大切な資源・宝であるということです。長く医療通訳に携わってくださることによって、経験も知識も豊富になり、医療通訳能力も上がります。だからこそ、自分で自分を大切にしてほしいのです。
私自身も、仕事を始めて3年くらいしてなれてきた時に、今から思えばとてもつらい経験をしました。医療に関する通訳をやるのは嫌だなと思っていた時期もあります。でも何とか続けてきたのは、そこに必要とする人がいたからです。基調講演の大澤先生からいただいた「自分を大切に」というメッセージは、つらい事例を抱えている通訳者の心に沁みました。また、医療通訳者の中で心療内科やカウンセリングに通っている人の多いことにも驚きました。
通訳者は患者のことを考えて行動します。でも、自分のメンテナンスも忘れてはいけません。それは甘えでも弱さでもなんでもなくて、職業として必要なことなのです。参加者の皆さんの想いを受けて、一緒にがんばろうという気持ちが強くなりました。

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公共サービスで守るもの

2007-02-14 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
週末に東京で社会福祉協議会の人たちの分科会に参加していました。様々な公共サービスの現場で働く人たちの交流会で、国際交流関係の人は残念ながらいなかったのですが、異業種の方々のお話を聞く機会はとても貴重でした。
「小さい政府」とか、「できることは民に」という声が年々大きくなってきています。それはある意味正しいことだと思います。ただ、セーフティーネットとして公共サービスが担わなければいけない仕事も年々増えてきているような気がします。社会福祉協議会は障害者や介護の必要な人たちに必要なサービスを提供している、地域のセーフティーネットの役割を果たしています。ただ、介護保険が導入されて以降、企業が参入してきて競争原理が働くようになってきました。自由な契約なので、必ずしも企業が受けなければいけない義務はない。そうすると、効率の良いクライアントばかりを企業が契約して、採算のとれない、非常に丁寧にケアをしなければいけないクライアントは置き去りにされてしまいます。これは資本主義のあるべき姿なのかもしれませんが、こうした人たちにも今まで高いレベルの公共サービスを提供してきたから、日本では皆が年をとっても安心して暮らせるという想いがあったのです。福祉の現場に100%競争が入ると、そこは市場原理に支配されてしまいます。社会福祉協議会の人たちは、そうした状況を何とか自分達で乗り越えようとがんばっています。
私達は通訳という技術で外国人支援をしています。コミュニティ通訳はどちらかというとお金持ちでない一般庶民を支援する通訳で、市場や競争原理で言えば、はじかれてしまう仕事です。だからなかなかプロが参入してきません。市場で解決することと、公共サービスとして死守していかなければいけない仕事は同じように議論されてはいけません。
コミュニテイ通訳の仕事は非常に公共性の高い仕事です。特に医療通訳は人の命にかかわることのある重要な仕事です。これを「儲かる」「儲からない」だけで議論していてはいつまでたっても結論が出ないでしょう。

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裁判通訳の研修

2007-02-07 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
今週は仕事を休んで神戸地裁で開催された裁判通訳の研修会に参加してきました。
裁判所に登録している少数言語の通訳者が感覚を鈍らせないように、またいつでも稼動できるよう研鑽を積むため(油断しないため?)に、2日間模擬法廷でのロールプレイや通訳技法などを学びます。実際の法廷と同じ形で研修が進むので、翻訳書面の準備や単語の洗い出しなど、慣れないものにとっては準備だけでも数日眠れない日々が続きます。
様々な通訳の中でも裁判の通訳は最難関のレベルだと思います。まず、裁判という独特の厳粛な空気の中で、通訳人の席につくだけで、緊張して頭の中が真っ白になってしまいます。裁判官や書記官、検察官も怖い顔をしている(ように見える)し、傍聴席にはお客さん(もとい傍聴人)がいます。儀式のような冒頭手続きがあるし、きちんと通訳するという宣誓もします(これがすごいプレッシャーです)。手には汗をかくので、鉛筆が滑ってメモがとれません(涙)。ひとつ単語を聞き間違えようものなら・・・・その先は覚えていません・・・。
外国人の支援通訳の場合、近くに座って、クライアントの立場に立って、ジェスチャーや表情、言葉の言い換えなどを駆使して、いかにわかりやすく伝えるかを工夫しながら通訳しています。ですので、裁判のように、クライアントと距離があり、純粋に言葉だけを使って通訳するのは、非常に難しいと感じます。
ただ、医療通訳の場合、患者の支援・サポーター、もしくは医療チームの一員と位置づけて通訳に入る場合と、まったく言葉だけを通訳して欲しいという要望を受ける場合とがあります。後者の場合は、裁判の通訳と同じように、一切の説明をつけずに、しっかり一字一句通訳する能力が必要になってきます。
私達のように少数言語を扱うものにとっては、この通訳はできるけど、この通訳はできないとは、なかなか言えません。(もちろん、好き嫌いはありますけど)
そんなとき、通訳者には度胸とプロ意識が必要なのだなあといつも痛感しています。

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