私がはじめて病院での通訳を経験したのは、腎臓内科だった。
当時、私の父が腎臓透析患者であったので、どうしても人事とは思えなかったからだ。
そのときは、自分の経験不足も省みず、何度か病院に同行したのだが、人工透析が必要なまでに悪化していた患者さんは、残念ながら国民健康保険の適用を受けることが出来ず帰国することになり、その1年後に亡くなった。
ボランティアで医療通訳をやっていると、どうしても個人的な感情が介入してしまう。
父の病とだぶるし、病院で付き添いをしたり、医師からの説明のなかで、聞いたことのある説明が多かったので、通訳をしながらなんとかしてあげたいという同情の気持ちが大きくなった。
心を揺さぶられるような通訳支援だった。
これが、もし心臓疾患だったり、脳疾患だったら行かなかったかもしれない。
しかし、考えてみれば、医師や看護婦が個人的な感情で治療する患者を選ぶなどということはありえないだろう。
その時、腎臓内科だから同行したというのは、ボランティアという甘えが自分にあったのだと思う。
もちろん、出産に立ち会ったり、子供さんの予防接種についていくのは比較的気持ちが楽だ。
治る見込みのない病気や、とても難しい病気は通訳をしていても気持ちが重くなり、貴重な休みを使っていくのもきついなあというのが本音だろう。
それでも医療通訳を続けている人々は、私も含めてお金や時間に変えがたい何か大切なことを学んでいるのではないかと思う。
当時、私の父が腎臓透析患者であったので、どうしても人事とは思えなかったからだ。
そのときは、自分の経験不足も省みず、何度か病院に同行したのだが、人工透析が必要なまでに悪化していた患者さんは、残念ながら国民健康保険の適用を受けることが出来ず帰国することになり、その1年後に亡くなった。
ボランティアで医療通訳をやっていると、どうしても個人的な感情が介入してしまう。
父の病とだぶるし、病院で付き添いをしたり、医師からの説明のなかで、聞いたことのある説明が多かったので、通訳をしながらなんとかしてあげたいという同情の気持ちが大きくなった。
心を揺さぶられるような通訳支援だった。
これが、もし心臓疾患だったり、脳疾患だったら行かなかったかもしれない。
しかし、考えてみれば、医師や看護婦が個人的な感情で治療する患者を選ぶなどということはありえないだろう。
その時、腎臓内科だから同行したというのは、ボランティアという甘えが自分にあったのだと思う。
もちろん、出産に立ち会ったり、子供さんの予防接種についていくのは比較的気持ちが楽だ。
治る見込みのない病気や、とても難しい病気は通訳をしていても気持ちが重くなり、貴重な休みを使っていくのもきついなあというのが本音だろう。
それでも医療通訳を続けている人々は、私も含めてお金や時間に変えがたい何か大切なことを学んでいるのではないかと思う。