MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

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言葉とキャラと・・・

2013-08-26 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
播州弁(兵庫県のちょっと西の方)ネイティブの私は
18歳の時大学に進学するため
はじめて東京に住むことになりました。

当時は漫才ブーム。
関西弁をしゃべるとイコール面白い人と思われ、
漫才キャラを要求されるので、
1年生の時はなるべく関西出身であることがバレないように
関西弁を封印し、なるべく寡黙に日常を過ごし、
一日も早く東京弁が話せるように苦労しました。
たぶん暗いやつと思われていたと思います。

本当はしゃべりたくて仕方がなかったのですが、
関西弁に東京弁にはない表現があり、
それにハマる言葉がなくて、口から言葉が出なくなるのです。

播州弁独特の
「全然」→「でんでん」(by小学校の教頭先生)
「ギャザー」→「ギャダー」(by家庭科の先生)
「マゼラン」→「マデラン」(by社会科の先生)
「冷蔵庫」→「でいどうこ」(by美術の先生)
発音がでないかも気が気でなりませんでした(笑)。

そこで、自衛手段として
関西弁を話す自分の時と
東京弁で話す自分の時でキャラを使い分けました。
結局、大学~農業大学校~パラグアイで都合10年ほど
関西を離れていたので
自然と相手によって無意識にキャラを使い分けるようになって、
エセ東京人に化けることもできるようになりました。
(ネイティブ東京人には見破られてしまいますが)

難しい話をするときはエセ東京人、
オチのある話をするときは関西人とキャラを使い分けると
自然に馴染むようになります。

今でも学生時代の友達と話をする時は東京弁になるのですが、
となりで聞いている家族は「きしょい(気色が悪い)」と言います。
ずっと言葉を変えずに生きてきた人から見ると笑い話のようですが、
同じ日本語なのにもかかわらず
当時はわりと真剣というか、死活問題でした。

外国人患者に医療通訳が付いた途端に
患者が饒舌に話しだしたということをよく聞きます。
同じ日本語でも、言葉にしづらくて口ごもっていた経験があるので
ちょっとだけどわかるな~と思います。

MEDINTができた時からずっと言い続けている言葉
「病気になった時くらい、母語で安心して医療を受けられる社会」は
辛い時くらい一番自分を表現しやすい言葉で伝えたいというという思いからです。
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頭を垂れる稲穂かな・・

2013-08-19 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
県大の成績もつけおわり、
やっと9月までつかの間の夏休み。
秋以降の活動のことを考えなければと思いつつ
週末はずっと寝ていました。

先週の続き。

MEIDNTの講座に来られる方の中には
ガイド通訳や法廷通訳でバリバリに活躍されている方々がいます。
本業だけでやっていけるのに、
どうして医療通訳の勉強をするのか聞いてみたら、
本業の中で、クライエントが病気になったり、医療用語がでてくることもある。
それに備えて勉強しているし、社会貢献もしたいとおっしゃいます。

英語の先生をされていた方もいらっしゃいます。
今までは学生に教えてきた立場の方で、
もう学ぶことなんてないんじゃないかなと思うのですが、
他の受講生と一緒に楽しそうに学んでいらっしゃいます。

ひとつの分野を極めた人はやっぱりすごいなあと思います。

医療通訳はいろんな社会経験、人生経験が活かせる仕事です。
通訳者としての反射神経や物覚えが少し落ちたとしても、
会社や学校が定年退職になったとしても
人を思いやる気持ちや痛みが理解できる人生経験が、
ずっと活かせる仕事なのです。
それはとても元気な若いときには気づかなかったことかもしれない。

いろんな経験を持つ方が
医療通訳の仲間になってくださればうれしいですね!


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稼げる通訳、稼げない通訳

2013-08-12 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
私の趣味のひとつにプロ野球を眺める(応援ではない)がありまして、
去年は社会福祉士の実習と受験勉強で、
ほとんど球場に足を運べなかったのですが、
今年は神宮、広島、名古屋(ドームと球場)、神戸、都市対抗と行ける時に行ってます。
どこの球団が好きとかではなくて、
ただ、比較的静かなエリアで試合を眺めているのが好きで、
一緒にいく友達も横浜ファンだったり、中日ファンだったり、エネオスファンだったり、
審判ファンだったり、マスコットファンだったりなんでもありです。

もし、あなたが野球好きなら、
プロ野球選手の年棒とキャリアにスポットをあてて描かれている
「グラゼニ」が最近読んだ漫画の中で面白かったです。
「グラゼニ」の意味は「グラウンドにはが埋まっている」の略。
プロ野球の世界の実力主義とでもそれだけではない現実がよく描かれています。

プロ野球選手にとっては、成績がすべて。
球団にもよりますが、成績がよければ年棒は上がるし、FAで好きな球団にもいける。
怪我をしないことと、もちろん強い運をもっていることも大切ですが。
残酷だけどわかりやすい世界だなと思います。

それに比べて我々通訳者の世界。
会議通訳者や商談通訳者には、もちろん実力で高い年棒を稼げる人もいるけれど、
コミュニティ通訳の世界では、
実力があったとしても、そこまで稼いでいる人は少ないと思います。
だから、コミュニティ通訳者を年棒で評価することができないのが現実。
「コミュニティ通訳はペイが悪いからボランティアに任せる」
みたいなことを言われることもあるし、
「医療通訳は責任は重いのに報酬は少ない」のは事実です。
責任は重く、知っておかなければいけないことは多いのに報酬には反映されない。
この事実は、通訳者側にはとても厳しいです。

また、技術の指標がとても曖昧であることも追い討ちをかけます。
これは通訳という仕事の特徴かもしれませんが、
少しくらい下手くそでも使い勝手がよい通訳者が好かれたり、
耳あたりのいい日本語を話す通訳者が好まれたりすることもあり、理不尽ですが、
評価を明確に図る「ものさし」がない以上、これは仕方のないことかもしれません。
だからコミュニティ通訳者は「やり甲斐」を支えに仕事を続けているのかもしれません。

医療通訳は「プロ」と「アマチュア」の間でせめぎ合っているのではなく、
「稼げる通訳」と「稼げない通訳」の間でせめぎ合っています。
そもそもアマチュアは医療現場に入ってきてはいけないことになっています。
お金が絡まないボランティアはありでも、
そもそも技術のないアマチュアは医療専門職の中に入ってきてはいけない。

また、救急現場にやってきた時に、お金のある人の通訳はするけれど、
お金のない人の通訳はしないということが「専門職」としてあってはならない。
これは医療通訳士協議会(JAMI)の倫理規定にも明示されています。

どちらかといえば「医療職」のあり方に近い形で
医療通訳を位置づけたいと思います。

本来は医療通訳を「稼げない通訳」として放置することに問題があります。
もちろん稼げる通訳にするためには制度設計であるとか、
医療通訳者自身の自覚による部分も大きいとは思いますが、
今後、どこまで医療通訳者が踏ん張れるか、
そして支援してくれる人達を広げられるかにかかってくると思います。


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Dios lo sabe

2013-08-05 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
実際に生活していると腑に落ちないことはたくさんあります。

その一つ一つに理由をつけていると、どうしても納得いかない。

若くで死んだAさんはとてもいいお母さんでした。
失業したBさんは真面目で少し不器用だけど働き者でした。
勉強を頑張っているCさんは家庭の事情で進学できません。

それぞれの人が持っている運命のようなものは
人間の努力だけではなかなか変えていけるものではないよなあと
年を取れば取るほど思います。

だからなにかにつけて自己責任を持ち出してくる社会には
なんとなく嫌~な感じがしています。

もともといろんな社会資源に恵まれて暮らしている人には
持たずに暮らしている人の気持ちはわからないかもしれません。

○○さんはうまいことやっている。
収入申告していない、扶養家族を水増ししてる、
仕事をせずに遊びまわっているのに生活できる。
自分は真面目すぎてダメだ。
働いても働いても貧しさから抜け出すことができないと、
相談の中でよく言われます。
でも、あなたも○○さんの真似をしたら・・とも言えません。
あなたが、どれだけ頑張っているか私は知っているよといいたいけれど
私が知っていても、たいしてうれしくないでしょうし。

そんな時、よく「Dios lo sabe(神様はわかっている)」という言葉を使います。

あなたが正直で真面目に暮らしていることは
神様は知っている。

特に信心のない私がこの言葉を使うのはどうかと思うのですが、
ずるい人や人を騙して楽をしている人に対してどうかより、
自分自身がどう生きているかは自分が一番よく知っている。
だから、ここでいうDiosは自分自身なのかもしれません・・・と。

「地獄」という本が売れる理由がちょっとだけわかる気がします。

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