MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

情報弱者

2011-04-25 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
阪神大震災の外国人相談で一番しんどかったのは、
疲れの出る3か月~3年くらいの間でした。

被災直後はみんなが助け合います。
アドレナリンもたくさん出て頑張れます。
外国人も日本人も。
でも、周りがどんどん立ち上がっていく中で立ち上がれない人は大変です。
外国人が義捐金をもらうのも貸し付けを受けるのも、
仮設住宅や復興住宅に申し込むのも日本語情報との戦いでした。
今回はインターネットやツイッターの普及で情報は驚くほどたくさんありますが、
こうした情報にアクセスできない人たちは阪神大震災の時以上に取り残されるかもしれません。

行政からのお知らせが難しいと言って、
国際交流協会が出していたやさしい日本語の情報紙を持って帰る
日本人の人も少なくなかったことを思い出しました。
外国人にやさしい情報は日本人にも優しいのだと知りました。

そして医療通訳者は長い目で被災者に寄り添えるように。
患者の不定愁訴や心因性の病気の訴えもちゃんと訳せるように。
被災者のつらかった話に耳を傾けられるように。
情報の届けにくい人たちに伝えるのは
もしかしたら私たちの得意分野かもしれません。
それぞれのできることをやれればいいと思います。

ブログを読んでいらっしゃる皆さんには、
被災地のことをいつも思いながら
ご自分の仕事と支援を全うしていただければと思います。


見えない人の傷

2011-04-18 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
被災地の人にメールを送ったけどちゃんと返事がかえってこないとか、
手伝ってあげるといっているのに連絡が来ないとか思っている人もいるかもしれません。
お見舞いを送ったのにお礼が届かないとか心配している人がいるかもしれませんね。

阪神大震災の時、私は恩師や大学院の同級生たちから
いただいたお見舞いを突き返してしまったことを思い出しました。
今考えると失礼なことをしたと思います。
遠くから心配して手紙をくれた古い友人に返事を書けなかったことも覚えています。
本当に申し訳なかった。

理由は近所の人に比べたら自分はまだましな被災者だったから。
独身だし、借家だし、財産もないし、
もっと生き残らなければいけなかった人がいたかもしれないと思うと
友人たちからお見舞いをいただくことに大きな罪悪感を感じました。

被災者には受けた被害の大きさによって外の人にはわからない差のようなものがあります。

その差は被害の大きかった人同様、小さかった人の心にも大きな負担になります。
家が残った、家族が残った、仕事が残った、避難先がある。
たぶん、比較的被害の少なかった人は被害の大きかった人に申し訳なく思っているかも。
誰ももうしわけなく思ってほしいとは思ってないのですが、
私はずっと「すみません」と思いながら暮らしてきました。

そして何もかも失った人の前では申し訳なくて「つらい」なんて言葉にできないのです。
我ながらひねくれているなと思うのですが、
どうしても善意のお見舞いを受け取れなかった時の相手の当惑を思うと今でも謝りたいと思います。

だから、テレビで連日映し出される風景の裏に、
たくさんの様々な心に負担を持つ人たちがいるのではないかと心が痛みます。

何ができるかではなく

2011-04-11 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
農業で協力隊を目指していた農業大学校時代、
一枚のコピーを恩師にもらいました。

そこには「国際協力ゲリラ語録」とかかれてあり、
開発途上国の農村を目指す者の心得がかかれていました。

そのゲリラ語録をかかれたのは、
当時「風の学校」を主宰されていた中田正一先生です。

そのコピーはいつも私の作業着のポケットに入っていて
迷った時や落ち込んだ自分を励ましてくれました。

そこに書かれていた言葉のひとつが、

お金のあるものはお金を
知恵のあるものは知恵を
何もないものは汗をだせ

当時、何もなかった自分はひたすら汗を流すしかありませんでした。

時間が過ぎて、
20代の時よりは少しはお金も知恵もつきました。

先週の土曜日、被災地で自分に何ができるかというテーマで
AMDA兵庫県支部の医療ボランティアの方々のお話を伺いました。
ここで返ってきた答えは自分に何ができるかではなく、
相手に何が必要かを考えるということです。

スペイン語を使えますといったところで、
実際問題、被災地にはスペイン語話者はとても少ない。
スペイン語しかやりませんではなく、
だからなんでもやりますよというスタンスでなければ本当の支援ではないということ。

そして大切なのは、自分が実際に支援するだけではなく、
その支援する人を支えたり、被災地から出てくる人たちを支えたり、
被災者だけでなく日常的な弱者も支え続けること。
思い続けることが大切です。
被災地に行くことだけが必ずしも支援ではありません。
被災地支援だけではなくボランティアの大切な精神を
改めて教わった思いです。

当日の様子はこちら 



阪神大震災でつらかったこと

2011-04-04 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
阪神大震災のことは、あまり語ってきませんでした。
こんな災害が起きなければ、墓場まで持っていきたいと
思うような記憶です。

でも、その時どんなことを考えていたかということを
ここで書くことは何かの役に立つかもしれない。
だから思い出せることを書きたいと思います。

今でも一番つらいのは、
被災直後、本当に相談員が必要な時に仕事ができなかったことです。

当時、スペイン語相談員の仕事をはじめて1年10か月。
顔見知りの相談者もでき始めたころでした。
震災で、三ノ宮駅前の交通センタービルにあった職場は倒壊して、
相談者のデータを取り出すのはほとんど無理でした。
辞書もマニュアルも記録ノートも何もありません。

自宅も目の前のJRの高架が落ち、
歩いて2分の駅も倒壊した激甚災害の地域にありました。

事務所が倒壊して、
他の場所に移転して電話番号がかわって
出勤許可が出て、相談を開始するまでに1週間かかりました。
その時に力になってくれたのは、
震災前から活動していた大阪のRINKや京都のAPTなどのNGOや
ペルー人集住地域のカトリック教会の人たち
大阪市の外国人相談窓口の相談員でした。

彼らは、
なかなか動き出せなくて焦る私たちに、
必要なバックアップ体制をとってくれました。

この時、何もない中で被災者が被災者を支援することが、
どんなに大変なのかを痛感しました。

今回も市役所が津波で流されたり、
倒壊してしまったりしているところで活動している職員の人は
どんなに大変かと思います。

やらなければいけないことがたくさんあるのに、
思い通りに動けない自分が本当に嫌になりました。

中でも一番傷ついた言葉は、
「神戸には外国人を支援する機関がなかった」と言われたことです。
それは違います。
平時にやれていたことが、非常時にはできなくなる。
その悔しさが今でも私の中に残っていて、
この街を離れられない理由になっています。

被災地の支援は、
できれば被災地のことをよくわかっている団体を中心に
バックアップをする形をとってほしいと思います。
少なくとも被災地でがんばるひとたちを否定しないでほしい。
被災地の支援者はそれでなくても傷ついているのです。

震災から1か月がたちます。
我慢は日本人の美徳とされますが、
我慢は心の中に溜まっていきます。
「悲しみを大切にする社会」と関西学院大学の野田先生が
社説にお書きになっていました。
いい言葉だと思います。