MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

オシム監督のこと

2007-11-28 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
サッカー日本代表のオシム監督が千葉県内の自宅で急性脳こうそくで倒れて10日が過ぎました。サッカーファンの端くれとして、オシム監督の一日も早い回復を心から願っています。
ところで、オシム監督が倒れたとき、フランス経由で救急車を呼んだという話が新聞にでていました。もちろんオシム監督ほどの方ですから、サッカー協会やチームに友人や通訳者はたくさんいたと思います。ただ運悪く倒れた時間が夜中でなかなか近くにいる人と電話がつながらなかったため、フランスにいる方を経由しての救急車要請になってしまったとのこと。
これを受けて、では日本にたくさんいる外国人たちは、こんな場合どうしているのかと聞かれることが何度かありました。

人間が暮らしている以上、救急車を使うことは想像できますし、これは外国人に限ったことではありません。実際に電話を2本使って救急車を呼んだこともありますし、救急車から電話がきたり、救急の窓口から電話を受けることもあります。
多くの市町村が発行している外国人向けガイドブックには1ページ目に「110」と「119」についてかかれてあります。生活している人にとってこの2つの番号はもっとも大切な番号だからです。「kajidesu」「kyuukyuusya onegaishimasu」など、電話口で伝える言葉もローマ字やひらがななどで表記されています。
小さな子供やお年寄りが家族にいる人は、電話口に貼っておくか、手帳にカードを入れておくようにしています。神戸市消防局は小さな英語で書かれたカードを発行しています。
ただ、大切な人の緊急の場合、冷静に電話ができるかといえば、皆さんだって自信がないのではないでしょうか。
もちろん、理想は母語で救急車を呼べる24時間センターがあればいいと思います。主要言語を網羅して、その情報を最寄の消防に伝えることが出来ればいいでしょう。その際の若干のタイムラグはいたし方ありません。ただし、救急車に乗ってからの家族からの聞き取りや、本人の意識確認なども含めて通訳が必要になってきます。
一度救急車からの電話を通訳したことがありますが、意識を確認するのに電話通訳でいいのかなと思ったことがあります。そこで、救急車に置く多言語マニュアルを設置している市町もあると聞いています。マニュアルがあれば最低限の意識確認や本人の名前や年齢などは聞くことができるでしょう。
家族が話せたかは不明ですが、オシム監督は、母国語のセルビア・クロアチア語のほか、ドイツ語、フランス語、更に英語も話せるとのこと
外国人医療と言葉の問題は、純粋に言葉の問題だけでなく、その背後に潜む情報の少なさ、初診の遅れ、医療文化の違いなども複雑に絡み合ってきます。今回の件も一面だけをみるのではなく、言葉と医療の問題を多角的に見る必要があると思います。
「救急」と「精神科」については、通常の医療通訳と少し分けて早急に対策を考える必要があるでしょう。
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難しい通訳

2007-11-21 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療通訳にはいろんな意味での難しさがあります。

よく医療専門用語があるから難しいですねと言われますが、単語は覚えればいいし、覚えられなくてももしわからなければ辞書を開けばいいので、特に大変だとは思いません。それは別に医療用語に限ったことではないので・・・。
それよりも私にとって大変だと感じるのは、文字通り言葉を介した「問診」もしくは「治療」の時です。

先日も、脳疾患が疑われるおばあちゃんにたずねました。

「ここはどこだかわかりますか?」
「今日は何月(何日ではない)ですか?」
「ここになぜいるかわかりますか?」

別に問題がなければ、スラスラと答えることの出来る質問です。
(逆になんでこんなこと聞くのだ!と怒られそうな質問です)
もちろん医師からの質問ですと断った上で問診の一環として通訳しているのですが、なかなか答えられない時はちょっと困ります。
このケースでは患者は少し耳が遠い方で、すぐ横で大きな声で言い直すとはっきり答えてくれました。
それ以外にも、少し痴ほうが進んでいて、子供の頃使った言葉(ケチュアとかグアラニーとか)が戻ってきてしまう方の場合はスペイン語では手に負えませんし、同じスペイン語でも訛りがきつかったり、特有のお国言葉を話されると、今度はこちらがわからないケースもあります。
でも一番怖いのは、私のスペイン語の発音が下手で聞き取れないことで、これは本当にドキドキします。

それから3歳児検診のときに、「靴」の絵を見せて、「くつ」と発音して、「く」「つ」の音が聞き取れているかという診断をしなければいけない場合があるのですが、これも「zapatos」と訳してしまっては「く」と「つ」が聞き取れているかどうかがわからないので、そのまま日本語で発音しますが、子供にとっては「靴」は親から「zapatos」と教えられてきたので、「くつ」という単語と絵が結びつかないこともあるんじゃないかなと思いながらお手伝いしています。

それから、私はやったことはないのですが、言語リハビリの手伝いもかなり大変なようです。このメソッドは日本語に準じて作ってあるため、音や発音だけを使うと本人にとっては意味のわからない言葉になってしまうのですが、スペイン語に訳すと音が違うためリハビリにならないという矛盾に陥ります。
言語リハビリは母語の病院がいいのだろうなとは思うのですが、患者にとって生活拠点が日本にあれば簡単に帰国は選択できません。

医療通訳が通訳すればすべての外国人医療の問題が解決するというような簡単なものではないのだと痛感しています。
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色鉛筆

2007-11-14 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
外国人支援の仕事をしていると、様々な外国人に出会います。
たくさんの人に会うと、一人ひとりが違うことがよくわかります。
「外国人」「ペルー人」でグループにしてしまうのは無理だということもよくわかります。
いい人もいるし、悪い人もいる。責任感のある人もいるし、ルーズな人もいる。踊りが好きで社交的な人もいれば、シャイで内向的な人もいます。
ラテンアメリカの人は、踊りが好きとか明るいとか言われますが、全体的な傾向としては否定しませんが、逆にシャイなラテンアメリカの人はいつも当惑しています。また、ラテンアメリカもメキシコからアルゼンチンまで非常に広い文化圏を有しているため、たまたまスペイン語であっても方言もあれば、歴史も違い、考えかたや生活習慣も違います。
病院で通訳していても、「南米の人は毛深い」「南米の人は肉が好きで太っている」「南米の人は腸が短い」などなど、びっくりするような思い込みがでてくることがあります(笑)。

当たり前のことを言っているようですが、どうしても日本社会では「外国人」「南米人」とか「ペルー人」でひとくくりにする習性がなかなか抜けないような気がしてなりません。
いわゆる職務に対する国籍条項についてもそうです。日本国籍がないけれど、日本社会のことを大切に思い、よくしようと活動している人たちがいるのに、国籍がないということだけで排除してしまう状況をみるにつけて、この人たちは日本社会の宝物なのにもったいないなあと思います。

私は「色鉛筆」のような社会がいい社会だと思っています。
赤い色でも、朱色や紅色やばら色など様々な色があり、そのどの色もそれぞれの役割を担っています。
「外国人」ではなく、○○さんという個人とつきあいができるように、通訳としても偏見を持たず、個人をみつめることができるようにと精進する毎日です。
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