MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

タイマー点灯

2006-08-30 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
今日は少し医療通訳から離れて私の本職の中での話をします。
私の本職はスペイン語生活相談員です。スペイン語での相談や通訳を業務としています。対応するのは中南米の方々ですので、ちょっと想像しづらいかもしれませんが、日本にいて日本ではないような職場です。
今日の仕事のひとつに交通事故通訳がありました。交通事故の専門相談窓口に出向き、保険会社、相談員と相談者の通訳をします。通訳者は何でもできそうですが、実は通訳内容に得意不得意があります。私は税金や保険、制度、法律説明などの「堅い」通訳が得意で、数字を使ったり、理詰めの説明を通訳するのが好きです。逆に、子供の教育やこころの相談などの情緒的な通訳が苦手です。だから、交通事故の通訳は比較的好きな通訳の部類に入るのですが、それでも30分位したらタイマーが点灯し始めました。いえ、本当にタイマーが点滅したんじゃなくて、ウルトラマンが3分間戦ったらピコピコなって限界にきていることを示す私の中のあのタイマーみたいなものです。
「るろうに剣心」って漫画の中で15分戦ったら自分で自然発火してしまうという悪役がいましたが、そんな感じですか・・・・いえ少しオーバーですね。
実は、通訳者には内容もそうですが時間にもキャパシティがあります。集中力の限界っていうのでしょうか。
普通に会話をしている人は相手の「話を聞く」、自分の言葉を「話す」の往復ですが、通訳者はその倍の作業を常に頭の中で行っています。また、母語で相談を聞いているときは日本語に訳さず直接スペイン語を聞いて理解すればいいので、話題が脇にそれたり、繰り返しモードに入ると頭を少し休憩させてもいいんですが(そうしないともたない・・)、通訳の場合、頭の切り替えはその内容を受け取った人が判断するので、とりあえず必要なさそうなことも、すべて通訳しなければならないのです。これがつらい。とくに、メモを取らない相談者は同じことを何回も聞くし、何度も繰り返し同じ説明を繰り返す人もいます。
それから、喧嘩のようにお互いが譲れないときはこれまた両方が同時に発語するのでつらい・・・。こっちは聖徳太子じゃないんだって。
またひとつのセンテンスが長く、適当なところで両者が切ってくれないことが続くと、普通以上に消耗が激しくなります。通訳を使い慣れていない、もしくは通訳への配慮のない場合、細かい通訳は私の場合15分~30分が限界です。1時間となると頭が飛んでいわゆる「切れる」状態になります。「あっまずい!」と自分で思いとりあえず席を立ちました。これ以上切れかけの状態で通訳するのは百害あって一利なしだからです。
逐次通訳は同時通訳にくらべて比較的時間的余裕があるように感じますが、それでも両者の会話のリズムを阻害しないためにはできるだけ早く言葉を出していくことが要求されます。
あなたが使っている通訳者のタイマーがピコピコなりかけたら、少し休憩をはさむことも必要だということを少し理解してくださいね。



通訳を疑え!

2006-08-23 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
お盆も過ぎて、朝晩は少し涼しい風が吹くようになってきました。
皆さん。お元気ですか?
今日は、通訳のクオリティについてのお話をしておきたいと思います。
これは私がもう何年も前に、大阪外大の津田先生の授業で、大阪地裁の要通訳裁判を傍聴したときのことです。一番件数の多い中国語通訳の裁判を見学しました。
前半の通訳者は、日本人通訳者で流暢な日本語でメモも見ないでスラスラと通訳していたので、すごく優秀な通訳者だと感じました。
後半の通訳者は、中国人通訳者で、一生懸命メモをとりながら、たどたどしい日本語で一語一語訳していきます。内容は聞き取れるのですが、お世辞にも流暢な日本語とはいえません。どちらかといえば直訳に近い朴訥とした感じの日本語でした。
私は中国語がわかりませんが、ただ聞いていると、どうみても前半の通訳者のほうが上手に思えました。
それが、後の意見交換会で中国語通訳さんたちが口をそろえて言ったのは、後半の通訳者のほうが正確に訳していて、間違いがない。それに比べて前半の通訳は、細かいところが抜け落ちていて、正確さに欠けるとのことでした。
驚きました。日本語での耳障りがいい通訳者を優秀な通訳者だと思い込んでいたのです。
実はそうしたことは現場でもよくあることです。きちんとメモもとらず、スラスラ日本語を出してくる通訳者は、一見耳障りもよくとてもきれいに聞こえます。内容もまとまっていて上品です。
でも、ちょっと考えてください。発語している外国人が全員そのような整然としたきれいな外国語をしゃべっていると思いますか?それをきれいな日本語に加工してしまうことは、実は通訳者として正しい態度ではありません。通訳者は言葉を使う仕事なので、汚い言葉やまとまりのない言葉を使うのはとても苦痛です。でも、医療通訳の場合も、法廷と一緒で正確さが要求されるのです。
一生懸命メモをとり、流暢でなくても一言一言正確に訳していく通訳者のほうが本当は優秀であったりします。
通訳を使われるとき、その流暢な日本語にだまされていませんか?
逆に、メモや辞書を見ながら不器用に訳していく通訳者が必ずしも下手だとは限らない、逆に誠実であったりするということを知っておいてください。

サポート通訳?それとも専門通訳?

2006-08-16 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
暑い日が続きますが皆さんお元気ですか?
私は、睡眠と野球観戦(?)でなんとか夏を乗り切っています。

最近、医療通訳だけでなく、広くコミュニティ通訳全般について考える機会が増えています。
コミュニティ通訳はパブリックサービス通訳ともいいますが、在住外国人の方が専門の窓口に行くときに使用する通訳者のことを言います。大きく分けて「司法通訳」「医療通訳」「行政通訳」の分野に分けることができますが、「司法通訳」は裁判所や警察、検察などで活動する通訳であり、「医療通訳」は病院だけでなく地域保健・福祉などの分野でも活動します。「行政通訳」の活動範囲は非常に広く、市役所、国際交流協会の生活相談窓口や福祉事務所、労働基準監督署、職業安定所、入国管理局、税務署、社会保険事務所、学校などです。しかし、それぞれの通訳者は一分野だけを受け持っているのではなく、いくつもの役割を果たしています。
たとえば、私の職業は「行政通訳」ですが、仕事の中で「医療通訳」になることもありますし、ボランティアで医療通訳の活動をしています。弁護士に同行して「司法通訳」をやることもあります。特に、英語以外の少数言語では通訳者の数が少ないため、なんでもやらなければいけない傾向にあります。
このコミュニティ通訳は、どちらかというと「外国人支援」「外国人サポート」の一環として成長してきました。この場合、言葉は外国人を支援するための「道具」であり、主役ではありませんでした。最初のうちはそれでもよかったのですが、年々外国人の抱える問題は複雑化、高度化しており、また本人の日本語能力も日常会話以上になりつつある現在、外国人の日本語のほうが、通訳ボランティアの外国語より上手であるというケースも出てきつつあります。
それは時には外国人のクレームに現れることがあります。交通費を払ってきてもらったのに、自分の日本語のほうがうまかったと・・・。
コミュニティ通訳が外国人サポートの一部であるという考えはすでに時代遅れです。コミュニティ通訳者は高度な語学力だけでなく専門性が必要です。外国人支援の現場でも、「サポート」が必要なのか「専門通訳者」が必要なのか分ける必要があります。「サポート」と「専門通訳者」に必要な語学レベルは違います。コーディネートする人は適切に配置する必要がありますし、通訳本人も自分のレベルを知っておく必要があります。


ボランティアの熱意

2006-08-09 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
月曜日、「大阪府1000人ボランティアプロジェクト研修会」に参加してきました。
このプロジェクトは今年2年目で、医療や教育、災害、観光の場面で通訳ボランティアを活用するという主旨だそうです。
この日は、日本におけるパブリックサービス通訳の現状と必要とされる資質についてお話させていただきました。会場は参加者120名で埋め尽くされ、外の暑さもあって熱気ムンムン、迫力満点でした!いやあ、緊張しました!!食事前の時間だったので、寝ていらっしゃる方は皆無で、皆さん本当に熱心にノートを取りながら私のつたない話を聞いてくださいました。感謝、感謝です。熱心な参加者の視線がガンガン返ってくるのでこちらも負けじとがんばって話しました。
いつも思うのですが、パブリックサービス通訳は、こうした人たちの熱意に支えられているのだと痛感します。医療通訳もそのひとつですが、ボランティアの方々のがんばりが救いです。本来、こうした人権を保障するのは政府のはずなのですが・・・その議論はまた別の機会に。

ところで、行政の方で「ボランティアを使ってあげる」「ただでボランティアを活用する」というような言い方をする方がごく稀にいらっしゃいます。そういう言葉を聞くとがっかりします。ボランティアの人たちは皆さん真剣で、本気で地域社会をよくしようとか、自分の能力を他者のために活用しようとしています。だから、仕組みを作る人やコーディネートする人たちがそれ以上に真剣で謙虚でなければ、ボランティア事業はうまくいきません。現在のボランティア事業をコーディネートする人々がこうしたボランティアの心をつかみきれていないことに、定着の難しさがあると私は思います。

ただ、悲観ばかりもしていません。時々、とってもセンスのいい行政の方にお会いすることもあるのです。今風の言葉でいうと「いけてる」というか。思わず応援したくなる、そんな人がもっと現場に増えていってくれたらいいなと願っています。



今年も研究助成金をいただくことになりました。

2006-08-02 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
昨年は(財)21世紀ヒューマンケアー研究機構の助成金をいただき「終末医療・告知場面での医療通訳者に関する研究」で医療通訳者の二次受傷について研究しました。医療通訳者は、精神疾患や告知、終末医療など人の命にかかわる大切な通訳をする機会があります。そして通訳としてかかわることで、通訳者自身がストレスをためたり、身体に変調をきたすことも少なくありません。通訳は言葉の橋渡しをしているだけだと多くの人が考えていますが、通訳者は人間です。こうした困難を乗り越えるためにはそのサポートやトレーニングが必要なのです。
移住労働者と連帯する全国会議やびわこ国際医療フォーラムなどで、医療通訳者の二次受傷について発表する機会をいただき大きな反響がありました。この内容については、インタビューにご協力いただいた方々のご了承を得て、今後何らかの形でまとめたいと考えています。次から次へ新しい仕事が舞い込んできてなかなか時間がとれないのですが、(まずはMEDINTの機関紙ですよね。ごめんなさい、Tさん、Fさん)がんばります。
そして、今年度は兵庫県の「いのちと生きがいプロジェクト」の助成をいただき「終末医療における医療通訳者の役割に関する研究」をすることになりました。70年代以降急速に増えた移住外国人も長い年月を経て高齢化が進んでいます。40代以上で来日した人は、日本語習得が非常に難しく、医療機関でも言葉の問題を抱えています。今後は、こうした日本語でのコミュニケーションの難しい高齢外国人がかなり増えてくることが予想され、そのためにも終末医療における医療通訳者の役割はより重要になります。
こうした場面では、医療通訳者は「言葉の通訳」だけでなく「文化の通訳」、「家族のケア」なども含めて非常に熟練したスキルが必要になってきますし、死生観や死を乗り越えるトレーニングなども必要になってきます。現在では、「医療通訳」はすべて同じレベルで議論されていますが、この終末医療においては医療通訳者の果たす役割は医療従事者やソーシャルワーカー、カウンセラーに準じる場合がある(正しいか正しくないかの議論は別として)ことを明確化し、医療通訳者が終末医療に果たす役割について考えていきたいと思います。
まだ日本には多くのケースを抱える医療通訳者の方は多くありません。昨年に引き続き、日本中のいい活動をしている病院や医療通訳者に会いに行き話しを聞きたいと思っています。そのときはよろしくお願いします。