MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

5年の年月

2009-04-22 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
ある日、一人の青年がたずねてきました。
その青年がAさんの息子さんだと聞いて、驚きました。

私の覚えているAさんは10年前、
いつも体の調子が悪くて、
病院にはいくけれど原因がわからず困っていました。

被災してストレスの多い生活を送っていた彼女は、
常に体の不調を訴えていて、
でも検査では何も発見されなくて、
そのつらさを抱えたままで・・・見ていても気の毒なくらいでした。

「ところでお母さんはお元気ですか?」
と聞いたところ、
「母はなくなりました」
といわれました。

Aさんは結局どこの病院でも診断がつかず、
我慢できなくなって帰国したところ病気が見つかり、
そのままなくなってしまったそうです。

帰国した後のことは聞いていなかったので、
母国でうまく治療できたのだと、
そう思っていました。

入管法改正からもうすぐ20年。
40歳で来日した人は60歳になります。
病気を抱えて、でもうまく伝えられなくて
苦しんでいる人たちも少なくありません。

最近突然死が増えたような気がします。
働き盛りの50代男性が突然なくなるケースが増えているのです。
血圧が高いとか小さな異常に気づいていれば、
もう少し防げたかもしれませんが、
仕事優先で我慢をしてしまいます。

病院へ行くハードルを少しでも低く、
言葉の壁を少しでも低くできればと
この活動を始めましたが、
いろんな意味でのタイムリミットが近づきつつあります。
急がなければとあせるばかりです。

協力隊

2009-04-15 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
今年も4月から青年海外協力隊及びシニア海外ボランティアの春募集説明会がはじまっています。
青年海外協力隊は20歳~39歳、シニア海外ボランティアは40歳~69歳です。
私は20年前、青年海外協力隊の農業隊員としてパラグアイで活動しました。
そこで初めて南米とスペイン語に出会い、今の仕事に繋がっています。

11日(土)には、募集の一環として
西宮で元ペルー・ケニア大使の青木さんを招いてシンポジウムが開催されました。
青木さんは90年はじめ青年海外協力隊の事務局長をされていました。
私が91年に帰国したとき、帰国面接をしていただいたのも青木さんでした。
パラグアイで悩みながら書いた膨大な量の業務報告書を熟読してくださり、
アドバイスをいただいた時には驚きと共に感動しました。
久しぶりにお会いしたときも
私が現地の農薬使用に悩んでいたことを覚えてくださっていました。

青木さんを囲んで開催されたシンポジウムのテーマは
すばり「協力隊を経験してその後の人生に活かすこと」です。
実は、私自身も協力隊経験の社会還元は大きな課題だと思っています。

現在でこそ、各自治体で「国際交流協会」や「国際課」のような部署がありますが、
私が参加した当時は「青少年課」のような青少年育成を目的とした部署が
青年海外協力隊の担当課でした。
20~30代の若者が海外で協力できることなどたかが知れています。
海外で育ててもらった隊員が、
日本に帰国して後、日本の国際化にどれだけ貢献できるかが
この事業の趣旨なのだと痛感しています。

実際に外国人支援の活動をしていると、
いたるところで協力隊のOB/OGに出会います。
先日のHIV/AIDS支援者研修には私を含めて4名のOVがいました。
協力隊OVはほとんど日常生活の中では協力隊の話をしません。
なんとなく浮いてしまうからです。
でも、なんとなくこの人そうじゃないかなという「匂い」みたいなものがします。
協力隊OVであることがわかると、
隊次(訓練時期)と派遣地域を示すだけで、自己紹介は終わります。
訓練所も含めて2年間の共通体験があるからです。
これはNGO活動をしていく上での私の大きな宝となっています。。
協力隊説明会の司会の仕事を15年続けていますが、
参加者の人たちへの話の中にはいつも
「無事2年で帰ってきたら一緒に活動してくださいね」というメッセージをこめています。

PS:今週末は札幌でした。
自治体職員で作る労働組合「自治労」の2年に一度の研究集会に参加するためです。
公務職場にいる人たちにこの医療通訳の問題を少しでも知って欲しいと思いました。


うれしかった言葉

2009-04-08 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先週末、パブリックサービス通訳翻訳学会が東京と西宮で開催されました。

学会としては人数も少なく、
派手な活動はありませんが、
本来、外国人支援の通訳には
「司法」「医療」「行政」「教育」などの
明確な垣根はありません。
もちろん、私も裁判所にも行くし、学校の通訳もします。
病院で医療通訳していても
健康保険の窓口と通訳することもありますし、
労働災害の関連で労働基準監督署と通訳することもあります。

ですので、これらの分野を分離するのではなく、
外国人支援の通訳を広くパブリックサービス通訳として、
横の連携を取っていこうというのがこの学会の趣旨です。

もちろん、報酬や研修などで一歩進んでいる「司法通訳」も
資格認定はまだ実現していませんし、
社会的認知度も高くはありません。
学会ではこれらを切り離して議論するのではなく、
連携しながら議論していくことが大切だと考えています。

ただ、これは通訳者の視点なのです。

ユーザーだけで考えれば、
医師の目の前にいるのは「医療通訳者」だし、
裁判官の目の前にいるのは「司法通訳者」で十分です。
しかし通訳者は様々な役割を兼務しています。
そういう意味ではPSIT学会は通訳者目線の学会だと思います。

先日の総会の中で
医療通訳者のカウンセリング的役割についての議論がありました。
私は、100%通訳するだけですむならどんなによいだろうと思っています。
しかし、現実問題として、
目の前にいる患者が打ちひしがれていたり、落ち込んでいるならば、
手を差し伸べようとするのが自然な姿だと思っています。
そうのべると理事のお一人であるK先生が、
「そういう患者へのケアは医師がやるべきなんだよ」とおっしゃいました。
この言葉で、迷いがぱっと晴れたのです。

医師や看護師がこうしたケアまでされていれば、
医療通訳者がカウンセリング行為をしたり、
言葉を付け足す行為をする必要はまったくありません。

しかし現場では文化的配慮が足りなかったり、
時には患者が孤立してしまうような状況もあり、
その場合は通訳者が介入せざるを得ないことがあるのです。

目の前でおぼれている人がいたら手を差し伸べることは
人間として当たり前のことです。
もし外国人患者がおぼれていたら通訳者は倫理より先に人命を優先するでしょう。
その前に、倫理を守ることのできる環境を作ることが、
とても大切なのです。

通訳者が横で手を握らなくても、
リラックスして患者が診察を受けることができるなら、
通訳者は手など握りません。

通訳者が詳細を説明しなくても、
わかりやすい説明を医師がしてくれたなら、
安心して通訳に徹することができます。

「何も足さない。何も引かない。」は
こうした環境でこそ成立する倫理コードだと思います。