南アフリカの手話通訳者の話が話題になっていました。
私は手話はわかりませんが、
でも、何かが違う・・・と感じることはできました。
愛知県大の授業の中で、
「どうして、手話は通じていないとわかったか」と学生に聞くと
「顔の表情がないから」という回答がでてきました。
なるほど・・・。
確かに誰かに何かを伝えようとするとき、
できる限りの表現方法を駆使しようとします。
目での表現や顔の表情は意外と大きな割合をしめているような気がします。
まして手話は「発語」がないわけですから、
表情はとても貴重な表現手段の一つなのに、
南アフリカの手話通訳はほとんど表情がかわっていませんでした。
手話を知らなくても、手だけでの表現には限界があると思います。
でも、私にはこの通訳者を笑うことはできません。
自称チャンピオンと言っていたというこの通訳者が
自分の実力をわかってこの仕事を受けていたのかどうか。
しかし、自分自身の実力を理解して、できない仕事を断るというのは
大切な誰かに頼まれたとしたら、意外と簡単ではないのです。
金額で断ることももちろんあるとは思うけれど、仕事を選ぶときには
社会的意義とかほかにその役割を果たせる人がいなくてどうしようもないときなどもあります。
私自身、身の丈に合っていない、そうした現場を受けてしまって、
同じ人物の前日の講演会を前倒しで聞きに行ったり(いわゆるカンニング?)、
朝まで原稿の翻訳をしていて頭がぼーっとしていたり、
なんとか乗り越えてはきたけれど、
それらはすべて断らなければいけないものでした。
そんなこと言ってたら、今までの医療通訳はほとんど断らなければいけなかったかも。
誤訳は当事者が多いから問題で、当事者が少なければ問題にならないというものでもありません。
これは憶測でしかないけれど
彼がまったくお金を受け取ってないければよかったのか?
低額の報酬を提示されて誰も引き受け手がいなくて頼み込まれたのか?
チャンスだから、このチャンスを活かしてもっと大きな仕事をしたいと思ったのか?
真偽のほどは本人にしかわからないことだと思います。
ただ、通訳者は時として世界的さらし者になる可能性があるのだということを
痛感した一件でした。
私は手話はわかりませんが、
でも、何かが違う・・・と感じることはできました。
愛知県大の授業の中で、
「どうして、手話は通じていないとわかったか」と学生に聞くと
「顔の表情がないから」という回答がでてきました。
なるほど・・・。
確かに誰かに何かを伝えようとするとき、
できる限りの表現方法を駆使しようとします。
目での表現や顔の表情は意外と大きな割合をしめているような気がします。
まして手話は「発語」がないわけですから、
表情はとても貴重な表現手段の一つなのに、
南アフリカの手話通訳はほとんど表情がかわっていませんでした。
手話を知らなくても、手だけでの表現には限界があると思います。
でも、私にはこの通訳者を笑うことはできません。
自称チャンピオンと言っていたというこの通訳者が
自分の実力をわかってこの仕事を受けていたのかどうか。
しかし、自分自身の実力を理解して、できない仕事を断るというのは
大切な誰かに頼まれたとしたら、意外と簡単ではないのです。
金額で断ることももちろんあるとは思うけれど、仕事を選ぶときには
社会的意義とかほかにその役割を果たせる人がいなくてどうしようもないときなどもあります。
私自身、身の丈に合っていない、そうした現場を受けてしまって、
同じ人物の前日の講演会を前倒しで聞きに行ったり(いわゆるカンニング?)、
朝まで原稿の翻訳をしていて頭がぼーっとしていたり、
なんとか乗り越えてはきたけれど、
それらはすべて断らなければいけないものでした。
そんなこと言ってたら、今までの医療通訳はほとんど断らなければいけなかったかも。
誤訳は当事者が多いから問題で、当事者が少なければ問題にならないというものでもありません。
これは憶測でしかないけれど
彼がまったくお金を受け取ってないければよかったのか?
低額の報酬を提示されて誰も引き受け手がいなくて頼み込まれたのか?
チャンスだから、このチャンスを活かしてもっと大きな仕事をしたいと思ったのか?
真偽のほどは本人にしかわからないことだと思います。
ただ、通訳者は時として世界的さらし者になる可能性があるのだということを
痛感した一件でした。