MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

言葉と表情

2013-12-30 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
南アフリカの手話通訳者の話が話題になっていました。

私は手話はわかりませんが、
でも、何かが違う・・・と感じることはできました。
愛知県大の授業の中で、
「どうして、手話は通じていないとわかったか」と学生に聞くと
「顔の表情がないから」という回答がでてきました。

なるほど・・・。
確かに誰かに何かを伝えようとするとき、
できる限りの表現方法を駆使しようとします。
目での表現や顔の表情は意外と大きな割合をしめているような気がします。

まして手話は「発語」がないわけですから、
表情はとても貴重な表現手段の一つなのに、
南アフリカの手話通訳はほとんど表情がかわっていませんでした。
手話を知らなくても、手だけでの表現には限界があると思います。

でも、私にはこの通訳者を笑うことはできません。
自称チャンピオンと言っていたというこの通訳者が
自分の実力をわかってこの仕事を受けていたのかどうか。

しかし、自分自身の実力を理解して、できない仕事を断るというのは
大切な誰かに頼まれたとしたら、意外と簡単ではないのです。
金額で断ることももちろんあるとは思うけれど、仕事を選ぶときには
社会的意義とかほかにその役割を果たせる人がいなくてどうしようもないときなどもあります。

私自身、身の丈に合っていない、そうした現場を受けてしまって、
同じ人物の前日の講演会を前倒しで聞きに行ったり(いわゆるカンニング?)、
朝まで原稿の翻訳をしていて頭がぼーっとしていたり、
なんとか乗り越えてはきたけれど、
それらはすべて断らなければいけないものでした。
そんなこと言ってたら、今までの医療通訳はほとんど断らなければいけなかったかも。
誤訳は当事者が多いから問題で、当事者が少なければ問題にならないというものでもありません。

これは憶測でしかないけれど
彼がまったくお金を受け取ってないければよかったのか?
低額の報酬を提示されて誰も引き受け手がいなくて頼み込まれたのか?
チャンスだから、このチャンスを活かしてもっと大きな仕事をしたいと思ったのか?
真偽のほどは本人にしかわからないことだと思います。
ただ、通訳者は時として世界的さらし者になる可能性があるのだということを
痛感した一件でした。
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MEDINTシンポジウム2013の報告

2013-12-23 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
毎年、冬空の中開催されるシンポジウムなのですが、
今回は、晴天に恵まれて、寒さも少し和らいで、外出しやすい気候でした。
おかげでたくさんの方にお集まりいただきました。
ご協力いただいた皆様ありがとうございました。

今回のテーマは「チーム医療における通訳~こんな医療通訳者と働きたい」で、
コーディネーター、基調講演者はじめ、発言者はすべて医療従事者で統一しました。
ですので、聴衆は多くが医療通訳者です。
実際に、医療通訳者を雇用、配置している病院に勤務する医師とコーディネーターから
医療現場で望まれる医療通訳者像を話してもらいました。

基調講演の内田恵一先生には
三重大学付属病院でのポルトガル語通訳者配置の経緯と、
病院の中での役割、そして評価についてお話いただきました。
通訳者としては、こんな上司がいたらうれしいなと。
医療通訳者を理解し、どうしたら仕事がしやすくなるかを
真剣に考えてくださっているなあと胸が熱くなる思いでした。
三重大学付属病院は、通訳雇用のモデルとなるケースだと思います。
もちろん、業務形態や課題はまだありますが、
これからの進化に注目したいですね。

シンポジストの先生方も
それぞれ医師として、助産師として、コーディネーターとして
辛口な表現も含めてご指摘いただきました。
いつもは優しい皆さんに、あえて厳しくとお願いしたので、
申し訳なかったところもありますが、
ハートの温かい先生方であることは皆さん理解されているので、
あえて厳しいご意見もとても参考になりました。

議論も、結構ゆっくり時間をとったつもりでしたが、
やはり時間が足りなくなってしまいました。

遠方からご参加いただいた皆さんにも
本当に感謝しています。

詳細については、いつもの様に来年3月までにプロシーディングを作成します。
そちらをご覧いただければと思います。

長時間お付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。
参加できなかった皆さんには、お伝えしたいことがたくさんありますので、
折を見てこのブログでも紹介していきたいと思います。

ご期待下さい。
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一人称で訳すか、三人称で訳すか

2013-12-16 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先日、MEDINTの言語分科会がありました。
MEDINTの言語分科会は5言語、同じ場所同じ日程で開催されます。

12月は1時から英語とポルトガル語、
3時からスペイン語と中国語とタイ語を開催しました。

詳しくは medint活動報告(作成中) をご覧下さい。

なかなか教室がとれなくて、
今回はスペイン語と中国語は同じ部屋、
ポルトガル語とタイ語は廊下(!)でやったんですが、
言語の違いは通訳者の違いでもあり、雰囲気の違いがとても興味深いです。

基本的には各言語、中級以上のレベルのクラスということで設定しています。
なので、先生方のご説明も含めて外国語で進行します。
医療通訳者が勉強したくても地域には初級の講座しかなかったり、
専門用語や医学用語を特別に学ぶのも独学が中心になってしまい、
中級以上になると通訳者の学べる場所は少なくなるのが現状です。
日常会話のできない医療通訳者はいないので、
MEDINTではすべてのクラスはそれ以上のレベルで設定しているのです。

そこでは、言語だけではなく、いろんな通訳技法やその言語圏の方にかかわる話がでます。

先日は、Aさんから「一人称で訳すか、三人称で訳すか」という議論になりました。
コミュニティ通訳としては要約する場面もありますが、
基本、医療通訳にはようやく場面はほとんどないと考えていいと思います。
ですので、私はほとんど一人称で訳します。
ただし、ある条件下ではそういえば三人称で訳すことがあるなあと。

それは、あってはならないことなのだけれど、
その発言に「激しく同意できない言葉」の時です。
「○○です」ではなくて
「○○と言っている」と言うことで、
自分が言っているのではないことを、あえて強調します。
でなければ、その言葉を発する通訳者の発言と勘違いして
その後口を聞いてくれない患者がいたりするのです。

本来、通訳者が発する言葉は、医療者の言葉だったり患者の言葉なので、
そういうことはしてはいけないのです。
でもどうしても我慢できないときは
「私はそうは思わないけれど・・・」という気持ちを3人称に込めたりします。
それから、そういう時は「目」で表現をします。
通訳者は言葉で表すのが仕事なのですが、意外と目の表情を使っている気がします。
どんな言葉の時、こうした態度をとるかというと、
明らかに患者に対して差別的であるとか、失礼に当たる言葉を使っているとか。
もちろん、こうした場合は抗議をするということもありますが、
短い診療時間で言葉の言い直しに関する議論はできません。
せめてもの抵抗として3人称を使うことってあるなあと思うのです。

コメント (2)
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専門職の教養としての在日外国人理解

2013-12-09 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
去年の今頃は社会福祉士の国家試験で
目が血走っていましたね~。
合格した時思ったのは、嬉しいとかではなく
「ああもう一度(受験勉強)やらなくていい・・・」でした。

勉強しながら思っていたのは、
日本には外国籍住民が全人口の1.6%もいて、
なかでも低所得者層は福祉に関わるケースも少なくないのに、
あんなにたくさんある教科書の本の数ページ(それも事例)しかなくて、
外国人に関する記述が少ないなあということです。

当たり前の事ですが、
ケースに当たって、在留資格や言葉の問題、異文化への対応など
社会福祉士の人にも知っておいてほしいことはたくさんあるのに
書く人がいないのか、それとも新しすぎて教科書向けではないのか。
どちらにしても社会福祉のケースを担当するにあたって
教育現場での在日外国人に関する基礎知識が少なすぎると感じるのです。

それでも、勉強したい人は「滞日外国人支援の実践事例から学ぶ多文化ソーシャルワーク」がおすすめです。

今回のテーマ、「専門職の教養としての在日外国人理解」は
医療現場だけでなく、行政の窓口や教育現場などにもいえることなのですが、
専門職として学ぶ過程で、1コマでもいいので、
在日外国人の背景について学んで欲しいと思うのです。
例えば、看護学部では国際看護の中に在日外国人をテーマにしたコマを入れるところがあります。
国際看護といえば、国際協力や災害派遣のイメージが強いと思いますが、
実際の医療現場にやってくる在日外国人患者はそれよりもより身近な存在です。

看護師だけでなく、医師、薬剤師、医療事務、MSW(医療ソーシャルワーカー)といった人たちにも
「教養」としての在日外国人理解を学んで欲しいのです。
詳しくなくていいので、医療現場を訪れる外国人患者さんとその家族の
背景がわかれば怖くない(!)と思うのです。
また、逆に彼らに興味を持ってもらえればと思います。

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コミュニティ通訳の医療分野

2013-12-02 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先日「医療通訳」という言葉について議論する機会がありました。

考えてみれば「医療通訳」を社会的に認知してもらうためには
名称というかその行為・活動を示す言葉がどうしても必要であり、
そのためには本来どういう言葉をあてるかという議論が不可欠なのですが、
医療通訳の場合は、とにかく活動が先に始まっていたので
Medical Interpreterの翻訳としての「医療通訳」が定着してきた気がします。

私たち「医療通訳研究会(MEDINT)」ができたのが2002年
連利博先生編集の「医療通訳入門」が発行されたのが2007年
「医療通訳士協議会」ができたのが2009年
それ以外にももっと前から様々な場所で「医療通訳」という言葉が使われてきました。

「パブリックサービス通訳(医療)」や
「ヘルスケア通訳」、「保健医療通訳」などの候補はありましたし、
病院、医療現場だけでなく、地域・福祉と医療が連携していく時代に
医療に限定する通訳を作ってしまっていいのかなという気もします。

個人的なことをいえば
私にとって「医療通訳」は
「コミュニティ通訳の医療分野」という認識が一番しっくりきます。

コミュニティ通訳は、
地域に住む外国人が司法、医療、行政などの公共サービスを利用する際に使う通訳と定義されていますが、
実際に通訳をやっているとその切れ目というか境目というものがはっきりしていません。
当たり前のことですが、専門機関はそれぞれに分かれていますが、
利用者の方は同じ一人の人なので、
通訳を使う場合はそれらが連携したり、入り混じるということはごく自然のことなのです。

病院を出たとたん、ではこれで「医療通訳」は終わりです、
保険の手続きについては「行政通訳」に頼んでください・・・というわけにはいけませんし、
DV被害者なら、治療(医療)→相談(行政)→保護命令(司法)という流れの中で
通訳者が頻繁に変わるというのも
その都度通訳者と信頼関係を作らねばならず精神的に大変と言われます。

現在、パブリックサービスの中で
議論され、大きく動いている「医療通訳」ですが、
医療だけが突出するのではなく、コミュニティ通訳全般を
議論していくことが実は大切だということも忘れてはいけないと思います。

PS:でも今は「医療通訳」をすすめる時期だと確信していますが・・・
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