MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

想像力の欠如

2006-07-26 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
皆が思っていることだけれど、矛盾が大きくて口にできないこと。

医療通訳を日本で政策にのせるためにはどうしたらいいか。

それは「大きな誤訳による医療過誤事件が数件起きて、その保障のために病院側や行政が動かざるを得ない状況がでてくること」

しかし、そこには矛盾がある。

「事故が起きて犠牲者がでるのを待つのか?」という倫理的な問題と、「その事件にかかわる人々が表沙汰になる」というプライバシーの問題。

そして、裁かれるのが一生懸命治療に努力した病院とその通訳者であるという事実。

しかし一番怖いのは、そういう事故がおきて積極的に解決策を模索するのではなく、消極的に「日本語のできない患者おことわり」の事態が発生してしまうのではないかという危惧である。

交通事故が起きなければ信号ができない。死亡事故が起きなければ柵が設置されない。すべては想像力の欠如である。本来、こうした事故を未然に防ぐために施策は作られなければならないはずだ。

アイヌ文化フェスティバルに行ってきました

2006-07-19 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
6月に北海道に行った際に、アイヌ民族博物館をいくつか訪ねる機会があり、その自然と共存する豊かな文化や言語に触れてすっかり魅了されました。
先日、神戸で開催されたアイヌ文化フェスティバルでは、ムックリという楽器の弾き方を教わり、踊りや歌、口承を聴いてますますすばらしいと思うようになりました。
よく日本は単一民族で日本語というひとつの言語を使っていると言う人がいます。私も長い間そう思っていました。しかし、北海道にはアイヌ文化、沖縄には琉球文化が存在し、やまと言葉以外の豊かな文化や言葉がずっと昔から存在しています。しかし残念ながら、そうした文化との共生を目指すのではなく、様々な同化政策をとってきたことで、最近ではこれらの言葉を話すことができる人が少なくなっているとのことでした。最近はアイヌ語のラジオ講座の開催や文化伝承に向けての取り組みなどがはじまっているといいます。この文化フェスティバルもその一環でしょう。会場は満員でした。子ども達が民族を誇りに思えることはすばらしいことです。

北海道に、「ウタリ協会」という協会があります。
北海道に居住しているアイヌ民族で組織し、「アイヌ民族の尊厳を確立するため、その社会的地位の向上と文化の保存・伝承及び発展を図ること」を目的とする団体(HPより)だそうです。
なぜ、「アイヌ」ではなく「ウタリ」というのかというと、「アイヌ」という言葉が蔑称として使われたことを嫌がる人たちが、「人間」を意味する「アイヌ」という言葉を使いたくないと考えていると聞いて、とても悲しくなりました。ちなみに「ウタリ」とは同胞とか仲間の意味だそうです。

多文化共生の時代は、実は初めて体験することではないということを知りました。アイヌや琉球文化以外にも、日本の領土には内在する豊かな地方・民族文化がたくさんあります。こうした文化を大切にすることで、はじめて多文化共生のスタートラインに立つことができるのではないでしょうか。


楽しい週末

2006-07-12 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
週末の土曜日は医療従事者のための語学講座、日曜日は医療通訳者のための講座でした。
語学講座が「英語中級」と「スペイン語初級」の各2時間、通訳者向け講座が「更年期障害」と「通訳技法」の各2時間でした。どの講座も非常に充実した内容で、講師の先生方の熱心さにはいつも頭が下がる思いです。現在のMEDINTの目的は、医療従事者の方々には言語とコミュニケーションについて考える場所を設けたいということ、医療通訳者には少しでも多く医療と通訳に関する研修の場を提供することです。それをご理解いただいた先生方にご協力いただき、ほとんど交通費程度の謝礼で講義をしていただいています。会員の中には2日間すべて参加された方もいらっしゃいました。やはり現場を持っている方々は熱心です。私も少し腰が痛くてしんどかったのですが、皆さんのやる気に支えられて次の講座へ意欲がわいてきます。

それから、この2日わざわざ東京から○新聞のB記者が医療通訳の取材に来てくれました。
医療通訳はプライバシーの問題があって、当事者へのインタビューや診察室での取材、撮影が難しく、また大きな事件にもなっていないために、なかなか新聞などで取り扱ってもらえる機会がありません。ですので、じっくりとこの問題に共感してくださる方にめぐり会えるまで、あまりこちらからアクションをしないようにしています。社会が注目してくれる時期がきたら、たぶん自然と様々な場所で医療通訳の記事を眼にする日がくるだろうと思うからです。
取材を受けた2日間は、外からの眼でいろんな鋭い質問をされるので、今まで考えたことのなかった言葉が出てきて自分でも驚きました。何よりもB記者が情熱をもって、この問題に興味をもってくださったことがとてもうれしかったです。
この活動がまだ10%の場所にいるという感覚だということは以前書きましたが、それはまだまだ大きな壁や組織が目の前にあるということです。それに立ち向かっていくのは、小さな人々の善意とネットワークだと信じています。
日本はどうしようもないと簡単にいってしまうのではなく、少しでも住みやすい場所にするのは自分達自身だと、胸を張って子どもに言える社会を作らなければと思います。


長く続けることの意義

2006-07-05 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先週はお休みしてしまってすみません。
6月24日~25日移住労働者と連帯する全国ネットワークの全国大会が北海道であり、「ことばと医療」の分科会に参加してきました。
全国から外国人医療と言葉の問題にとりくむ団体や個人が集まって、貴重な情報交換ができた楽しい2日間でした。
その後、ちょっと自転車で釧路湿原を放浪していました。
毎日、騒々しい「言葉」の中にいることは、それはそれでエキサイティングで楽しいのですが、鳥の声と風の音しかしない空間に何時間も浸れる時間もかけがえのない経験です。すっかりリフレッシュして帰ってきました。ですので、言い訳になりますが、ユースホステルにネット環境がなかったので、ブログの記事を送ることができなくて1週間のお休みになってしまいました。お詫びといってはなんですが、このブログ初の写真をあげておきます。釧路湿原をお楽しみください。

さて、会議に参加して強く感じたのですが、外国人を支援するボランティアで一番大切なことは、とにかく息長く活動を継続するということだと思います。
対人支援には、経験が必要です。能力の高い低いはあるかもしれませんが、一生懸命ケースをこなしていくことで、学ぶことがたくさんありますし、ネットワークもできます。
しかし、外国人支援の場合、ひとりでケースにのめりこんでしまい、燃え尽きて(バーンアウト)やめていく人も多いことも事実なのです。優秀なボランティアの志を持った人に「医療通訳だけはやりたくない」といわれるのはとても悲しいことです。

医療通訳の団体で、長期間やっている人たちを見るととてもクールです。
私生活や自分の時間をきちんと保持し、クライアントと距離を保つ大切さを知っています。
だから、長期間この活動に携わってこられたのだなと思います。
私自身は、どちらかというとのめりこんでしまうタイプなのですが、必要な支援者になるためにできるだけクールに振舞うように心がけています。

もし、あなた自身が悩んだら、息長く活動を続けられるよう判断をしてください。その時は、冷たいと思われるかもしれません。しかし、結果的にはあなたが燃え尽きてしまって貴重な通訳者を失うことのほうが、もっと大変なことなのです。
継続は力なりです。無理をせず、息の長い活動を続けていきましょう。