MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

僕を信じて

2013-04-15 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
英語以外の言語の通訳をしていると
利害の相反する二人(たとえば離婚裁判)の
通訳をしなければいけないことがあります。

法廷の通訳を受けるときには
必ず被疑者の名前を確認して
被疑者と個人的に知り合いではないか、
被疑者の関係者と知り合いではないか、
このケースに関連した通訳をしたことがないかなど
きちんと申告をした上で受任します。

でも、コミュニティ通訳は
まず通訳者があまりいないことと、
当事者が希望をした場合は、
とても難しいし苦しいですが
利益の相反する二人の通訳をすることもあります。
(もちろん関係者には許可を得た上ですが)

結婚届や子供の出生届け、
住宅の購入や新入学といった
うれしい手伝いをしてきた家族が突然破綻すると、
幸せだった頃とは違う表情の夫と妻に会うことになります。

妻は妻の主張をし、
夫は夫の主張をします。
そこには仲の良かった頃の思いではなく
お互いが譲らない自己主張の場になるのです。
それは日本人のケースでも同じ。
だけど外国人もしくは国際結婚の場合、
自分の言葉で直接主張するのが困難になります。
そこで通訳が必要になるのです。

通訳者は自分の考えを混ぜた通訳をしてはいけません。
妻から聞いたことは頭の中から消して、
夫の通訳にのぞまなければならない。
夫のいうことが正しいかどうかは
もちろん通訳が決めることではない。
だからそのまま通訳します。

千千に心は乱れ、
夫の「僕を信じて」の声が響くけど、
私は信じるとか信じないという立場ではなく
通訳なのだと説明をします。

コミュニティ通訳がただの「何もたさない、何も引かない」の
通訳ではないことは、やったことのある人ならわかるはず。
そこで守られなければいけないのは
言葉の壁で自分が主張する権利を奪われないこと。
そのために通訳者はあえて機械にならなければならないのです。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿