ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

昔の日本の通勤電車というのも、ひどいものだったのだと思う(高樹澪の受難)

2022-06-21 00:00:00 | 美女探求

前に読んで、これはひどいと思った記事を。2017年の記事です。

「ボイン」誕生50周年!あの「癒しのバスト」に会いたい!(3)<直撃3>高樹澪

>81年にデビューした高樹澪(56)は、女優としても歌手としても鮮烈な印象を残した。だが、あのクールな表情の下には、実は驚くほどの豊満なバストが隠れていたのだ。

 芸能界に入る前は、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)で企業の当座預金業務を担当していた。人目に触れる窓口にいたわけではないが、それでも、桁外れのプロポーションは通勤ルートさえも困難にした。

「乗るたびに痴漢にあっていたんですよ。だから毎日、家から銀行に行くまでの電車を変えたんです。あえて先の駅まで行って戻るとか、時には父親に同乗してもらうこともありました」

(後略)

・・・(苦笑)って、いや笑っちゃいけませんが。これは1980年ごろの話ですかね。彼女のWikipediaによると、1981年に彼女は銀行を退職したとのこと。

彼女に痴漢をしたのは、たぶん1人じゃないんでしょうね。常連さんもいたのでしょうが、複数の人間がいたのでしょうし、また通りすがりで痴漢をした手合いもいたはず。

それにしたって現在はさすがにこの時代よりは痴漢に対する社会的な姿勢が厳しくなっているし、被害にあう側もより強硬な姿勢に立っているでしょうが、当時はこんなひどいものだったわけです。だいたい今はそんなことを言う人もいませんが、昔は「痴漢にあうのは女の勲章だ」なんていうことすら語られていたはず。それは過去の話ですが、「痴漢なんて大したことはない」というのは、世間のコンセンサスだったと思います。体罰などと同じで、そんなにひどい悪だとは思われていなかったわけです。最近では、当時より通勤地獄も多少なりとも緩和されているし、そういう意味ではいい時代になったのかもしれません。

ところで高樹澪ですが、80年代の写真を。

すごい美人ですね。

こちらが、昨今の彼女です。が、これなどまだいいほうです。

最後の写真は、2022年5月11日に放送された『クイズ!脳ベルSHOW』より。 写真の出典はこちらから。うーん、劣化が激しいですね。それは仕方ありませんが、あんな美人だった女性がねえという気はします。


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