ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

「君は海を見たか」の1982年バージョンに(老人役でなく)出演していた人たちも、どんどん亡くなる時代なのだと思う(梅宮辰夫の死)

2019-12-14 00:00:00 | 映画

何をいまさらですが、俳優の梅宮辰夫が亡くなりましたね。記事を。

>2019.12.12
梅宮辰夫さん急死 81歳 早朝に急変し…「仁義なき戦い」「スクール・ウォーズ」
 
 映画「不良番長」シリーズや「仁義なき戦い」シリーズなどで人気を博し、「辰兄(たつにい)」「辰ちゃん」の愛称で親しまれた俳優の梅宮辰夫(うめみや・たつお)さんが12日午前7時40分、慢性腎不全のため死去した。81歳だった。

 所属事務所によると、12日早朝の4時頃、妻のクラウディアさんが、梅宮さんの異変に気づき、病院に搬送したが、そのまま息を引き取ったという。娘のアンナは、早朝に連絡を受け、東京から真鶴の病院に向かった。週に3回、人工透析を受けており、11日も透析を受け、いつもと変わらない様子だったという。

 梅宮さんは6度、がんに罹患するなど、30代半ばから何度も病と闘い、乗り越えてきた。2016年7月に初期の十二指腸乳頭がんの手術を受け、十二指腸と胆のうを全摘出、すい臓と胃の一部も切除した。19年1月には尿管がんの手術で左の腎臓も摘出。週に3回、1回につき4時間かかる人工透析を受けるようになっていた。

 1938年(昭和13年)3月11日、旧満州ハルビン生まれ。日大法学部在学中の58年、東映ニューフェイス5期生に合格し翌59年、映画「少年探偵団 敵は原子潜行艇」で主演デビュー。東映東京撮影所の現代劇で鶴田浩二、高倉健らと共に二枚目として活躍し、1963年には最初の東映任侠映画「人生劇場 飛車角」で青成瓢吉を演じた。

 70年代は実録路線で活躍し、東映京都撮影所の「仁義なき戦い」シリーズで演じた若杉寛と岩井信一が当たり役に。

 テレビドラマでも「前略おふくろ様」、「スクール・ウォーズ」、「はぐれ刑事 純情派」シリーズ、「特命係長 只野仁」シリーズなどのヒット作にレギュラー出演。主人公を温かく見守る人情味豊かな役柄を得意とした。

 気さくで豪快な人柄でバラエティー番組でも活躍した。

実際には、梅宮は、記事にある死亡時刻よりたぶん前に亡くなっています。娘が病院に到着した時点で、死亡を確認したということでしょう。あんまり蘇生なんかしなくてもいいんじゃないのという気はします。私は、しないことに決めています。

さて、私がこのブログで何回か記事にしているテレビドラマに、「君は海を見たか」というドラマがあります。倉本聰脚本で、いままで2回ドラマ化、1度映画化されていまして、梅宮は2回目のドラマ化の1982年のものに出演しています。このドラマは、Wikipediaから引用すると、

>一流企業エリートサラリーマン増子一郎は早くに妻を亡くし、一人息子の正一、妹の弓子と暮らしている。正一の世話は妹に任せきりで、家庭など顧みない仕事人間の一郎だったが、正一がウィルムス腫瘍で余命3ヶ月と医師に告げられてしまう。息子の病気をきっかけに、一郎は父と子のふれあいを取り戻そうとする。

というものであり、梅宮の役は、

松下課長(フジテレビ版のみに登場)

一郎の直接の上司。仕事よりプライベートを優先させる生き方が社員たちから反感を買っていると同時に、一種のあこがれの目でも見られている。一郎と正一に渓流釣りの楽しさを教える。

というものです。さらにWikipadiaには、

>仕事人間ではないマイホーム社員・松下課長が、一郎や正一に新しい生きがいを知らせるキーパーソンとして新たに登場している。

と、説明されています。釣りを趣味とする梅宮にあわせた設定なのだろうなと思います。もともと梅宮は、倉本が脚本を主に担当した「前略おふくろ様」でも萩原と共演しているくらいです。

それで、私の知る限りですが、このドラマの主要な出演者は、今年3名亡くなっていますね。1人は、主演の言わずと知れた萩原健一、もう1人が、主人公の息子の主治医を演じた湯浅実です。8月3日に亡くなっています。

萩原が1950年生まれで68歳死去、湯浅が1934年生まれの84歳での死去、梅宮が1938年生まれで81歳での死去ですか。萩原はだいぶ早いなと思いますが、湯浅氏はそうとう闘病生活も長かったようだし、梅宮も透析をしているくらいで体調は相当悪かったわけです。で、湯浅、梅宮ご両人とも、旧満州出身という共通点があります。そちらの方の生まれでなくても幼少期を満州あるいは朝鮮で過ごした人たちも、そろそろお亡くなりになる時期が来たのかなと思います。山田洋次は1931年生まれの豊中市出身ですが、2歳で満州にわたり、1947年にようやく日本に引き上げることができました。1932年生まれの五木寛之は、生後間もなく朝鮮に渡り、やはり1947年にようやく日本に帰国できましたが、母親を亡くしました。赤塚不二夫も1935年に満州で生まれています。

世の中ありとあらゆることが不平等ですが、時間の流れは万人に平等です。1982年に32歳だったり48歳だったり44歳であっても、どんな人でも2019年には、誕生日がくれば+37歳年齢が追加になります。子役だった六浦誠は、1971年生まれの48歳で、今年年男です(苦笑)。

そういえば先日死んだ中曽根康弘が首相になったのが1982年です。1918年生まれの人物ですから、64歳で首相になり、その37年後に亡くなったわけです。ほんと、長い年月が経ちました。

梅宮辰夫氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。なお、「君は海を見たか」については、下の記事をお読みいただければ幸いです。

CSで、倉本聰脚本、萩原健一主演の『君は海を見たか』を放送している(追記あり)

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