ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

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タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

ロビー・ロバートソンが亡くなった(オリジナルのザ・バンドのメンバーで存命者はガース・ハドソンのみ)

2023-08-12 00:00:00 | 音楽関係(CD、コンサート、歌手、楽器その他)

ザ・バンド」の元(?)メンバーで、リーダー格ともいえたロビー・ロバートソンが亡くなりましたね。記事を

ザ・バンドのロビー・ロバートソンさん死去、80歳 スコセッシ監督追悼「常に欠かせない人物」
[2023年8月10日12時29分]

ロックバンド、ザ・バンドのギタリストとして60年代後半から70年にかけて名を残したカナダ出身のロビー・ロバートソンさんが9日、長い闘病の末に米ロサンゼルスで死去した。80歳だった。妻ジャネットさんや前妻、子供たちを含む家族に囲まれて息を引き取ったとマネジャーが明らかにした。死因は明らかにされていない。

ロバートソンさんは、カナダ人3人と米国人1人とザ・バンドの前身となるザ・ホークスで活動し、1965年から66年にかけてボブ・ディランのバックバンドを務めた。68年にバンド名をザ・バンドとし、「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」でデビュー。シングルカットされた「ザ・ウェイト」は、映画「イージー・ライダー」(69年)で使われて人気を博した。76年にサンフランシスコで行われた解散コンサート「ラスト・ワルツ」は、マーティン・スコセッシ監督によって映画化されている。

バンド解散後はソロデビューを果たし、音楽プロデューサーとしても活躍。スコセッシ監督の映画「レイジング・ブル」(80年)や「ディパーテッド」(06年)「ウルフ・オブ・ウォルストリート」(13年)などの音楽監督も務めている。ロバートソンさんは、亡くなる直前にスコセッシ監督とは14本目のタッグとなる今秋公開予定のレオナルド・ディカプリオ主演の「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の音楽を完成させていたという。

08年にはザ・バンドと共にグラミー賞特別功労賞を受賞。11年にはカナダ勲章も授与されている。

スコセッシ監督は声明で、「私の最も親しい友人の一人で、私の人生と仕事において常に欠かせない人物だった。私たちが出会うずっと前から、彼の音楽は私の人生、そして私と何百万人もの他の人々にとって中心的な役割を果たしてきた」とコメント。「愛する人と一緒にいる時間はいくらあっても足りません。そして、私はロビーを愛していました」と追悼した。(ロサンゼルス=千歳香奈子)

記事中死因は明らかになっていないとありますが、英語版Wikipediaでは前立腺がんと書かれていましたが、いま(8月11日午後6時30分過ぎ)確認しましたら、死因については書かれていませんね。ロバートソンは1943年生まれですので、 ジョージ・ハリスンミック・ジャガーキース・リチャーズジム・モリソンといった人たちと同じ年の生まれです。俳優なら ロバート・デ・ニーロや カトリーヌ・ドヌーヴなど。

記事中にもあるように、ロバートソンは、映画とも縁の深い人でした。映画『イージー・ライダー 』では、彼らの代表曲「ザ・ウェイト」が使われていて強い印象を残しましたし、事実上のザ・バンド解散コンサート(諸事情あって(どうも解散するならもう1枚アルバム出せとレコード会社から言われたらしい)その後も若干活動しましたが)を収録した『ラスト・ワルツ(The Last Waltz)』は、まさにコンサートドキュメンタリー映画の金字塔だし、監督をしたマーティン・スコセッシ監督とは、ロバートソンは強い友情にむすばれ、『レイジング・ブル』の音楽監督などスコセッシ監督にとって欠かせない立場ともなりました。

ところでロビー・ロバートソンは、父親がユダヤ人、母親が先住民(モホーク族インディアン)という出自でした。母方は当時のことで非常に貧しく、父を若くしてなくしたロバートソンは、相当苦しい生活をしたそうです。1987年に自分がインディアンの血をひいていることを明らかにし、それから彼は、Wikipediaから引用すれば、

以後、インディアンとしての音楽活動を強く打ち出すようになる。

というわけです。2017年に回想録を発表、日本でも翻訳されています。この本の存在は知っていましたが読んでいないので、こんど読んでみようかな。

ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春

ところでザ・バンドのメンバーも、ついに存命しているのはガース・ハドソンだけとなりました。リチャード・マニュエルは1986年自ら命を絶ってしまいました。リック・ダンコは1999年に死去(97年に日本で麻薬関係で逮捕されてしまいました)、ロバートソンと自他ともに認める不仲の存在であるリヴォン・ヘルムは2012年に亡くなっています。彼が亡くなった際には、私も追悼記事を書かせていただきました。

レヴォン・ヘルムが亡くなった

今回は、Wikipediaの表記にならって「リヴォン」と表記したことをお断りしておきます。気づいたのですが、当時の記事でも私は、

ザ・バンドのオリジナルのメンバーは、もはやロビー・ロバートソンガース・ハドソンしか生きていないのですね。

と書いていますね。ハドソンは、オリジナルのメンバーではもっとも年上でしたが、彼が最後まで生存したメンバーということになったわけです。

ロビー・ロバートソン氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。また本日は本来なら旅行の記事を発表する日ですが、やはり訃報は早急に記事にしないといけないのでこの記事を発表したことをご理解ください。ウッドストック・フェスティバルの参加者がお亡くなりになった際は、なるべくその関係の記事を発表するように心がけています。1番上の写真は、ウッドストックコンサートでのロバートソンとヘルムです。出典は、下です。

Woodstock


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