ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

アルコール依存症で人生つぶした人間多し

2020-06-26 00:00:00 | Weblog

inti-solさんがこんな記事を書いていらっしゃいました。

酒は万病のもと

その記事中では、アルコール依存症で早逝あるいは最後寝たきりになった人間が4人紹介されていて、赤塚不二夫、中川昭一、春一番、横山やすしでした。

inti-solさん同様私も「春一番」という人物は知りませんが、赤塚、中川、横山といった人たちは、ひどい依存症で有名でした。中川、横山は仕事でひどい不祥事を起こしたり飲酒の交通事犯(横山)などがあり、選挙で落選、所属事務所から契約を解除され、2人とも若くして亡くなりました。赤塚も、記事中引用されている元記事では、

>晩年、急性硬膜下血腫で入院したとのこと。血を固める凝固因子は肝臓で作られるので、肝臓が悪くなると、頭を打った程度でも血が止まらなくなるんです

とあります。赤塚は、依存症治療で入院してその退院後のインタビューでグラスを傾けるといったことまでしており、これは彼なりのサービスだったのでしょうが、そんなことが「サービス」になっちゃうくらい、彼のアルコール依存はひどいものだったのでしょう。

そのコメント欄で私、およびinti-solさんとで、やはりアルコール依存で命を縮めた可能性のある著名人として、石原裕次郎、美空ひばり、江利チエミ、田中角栄らの名前を指摘しています。詳述は避けますが、裕次郎はひどい大酒飲みでした。50代で肝細胞ガンで亡くなった彼は、肝炎→肝硬変→肝細胞ガンというコースをたどったのでしょう。本来なら奥さん、母親、兄、側近、渡哲也ほかが注意しなければいけなかったのでしょうが、あるいはしたのかもですが、裕次郎は話を聞かなかったし自分でもやめることができなかったのだと思います。

それでinti-solさんは次のようにお書きになっています。

>よく言われるのは、アルコール依存のある一線を超えると、「底付き体験」をしないと本気で治療に向き合わない人が多い、ということです。つまり家族に捨てられ仕事も失い、酒を買うお金すらない、という状況になって初めて本気で治療に向き合う、というのです(ただし、異論もあります)。ここに名が挙げられている人たちは、完全に家族に家族に見捨てられることも仕事を完全に失ったりお金がまったくなくなったりすることもありませんでしたから、「底付き体験」に至る前に生命の方が底をついてしまった、ということなのでしょう。
ただ、私自身の経験に基づいていうと、「底付き体験」ですべてを失っていても、まだ治療には向き合えない人も少なくありません。

それで私が思い出したのが、前に記事を書いた人のことです。

これも、大金を稼いだ人がくだらん散財で財産を失う典型だと思う(複数の追記あり)

ちょっと正直絶望的な気分になってしまった(元予備校講師である佐藤忠志氏の死について)(10月9日発表)

inti-solさんは上の続きで、

>そうなると、あとはもう死ぬしかないのですが、そういう状況に至っている人は、肉体的な生命という意味では「まだ」生きていても、社会生活能力という意味ではすでに「ご臨終」状態になっていたりします。いや、ほんとにね、手の施しようがない人というのはいるのです。
アルコール依存から脱却するための自助グループがいろいろありますが、そういうところに通いながら飲酒が絶てない(本人はなかなか認めないけれど)人もいます。そういう人はいったいどうしたらいいんだろうかと、自助グループに聞いてみたことがありますが、回答はいたって簡単でした。「どうしようもありません」と。そんな人は大勢いる、というようなことも聞いた記憶があります。アルコール依存からの脱却の最前線にいる人たちからその言葉を聞いたとき、「ああ、一線を越えたアルコール依存は本当にどうにもならないんだな」と痛感しました。

と書いています。2018年7月の時点で、佐藤忠志氏は、

>朝からビール飲んでますよ。

>取材場所は都内にある先生の自宅。室内は確かに荒れ、途切れることのないたばこの灰皿は吸殻が山盛りに埋め尽くされていた。

といった感じであり、死が間近だった昨年8月末の段階では、

>口にするのは近所のコンビニで売られている格安のカップ焼酎と、タバコだけ。息も絶え絶えの様子で焼酎をあおり、ゴホゴホとむせる。

というありさまだったわけです。金がなくて困っていた彼は1億円で車(超高級クラシックカー)を買って奥さんが激怒、(ご当人は否定していますが)DVをして奥さんから逃げられ、その2~3年後には100円を近所に借り歩くような状態になり、生活保護を受給、それからまもなく亡くなったわけです。

その1億円というのも、(たぶん見るに見かねた)知人が、住み続けていいという条件で自宅を買い取ってくれたものだったわけで、そんなものでクラッシックカ―なんか買ってあんたどんだけ馬鹿なんだよと思いますが、ご当人たぶんアルコール依存、ニコチン依存などのほかに、浪費依存(買物依存?)みたいなものもあったんでしょうね。どう見てもinti-solさんのいう

>底付き体験

だと思うんですが、ご当人はそこから入院なり金銭管理を全面的に他人にゆだねるといったこともできずに

>あとはもう死ぬしかないのですが、そういう状況に至っている人は、肉体的な生命という意味では「まだ」生きていても、社会生活能力という意味ではすでに「ご臨終」状態になっていたりします。いや、ほんとにね、手の施しようがない人というのはいるのです。

ということになったわけです。

いやはや、こうなってしまうと本当にどうにもなりませんね。佐藤氏だって、亡くなる前からずいぶん長く無職だったようですが、でも破格の条件で家を買い取ってくれたり、また教え子が医者になったりして彼を心配してくれたり手を差し伸べてくれる人間はそれなりにいたわけです。しかし残念ながらそういった人間関係を活用できず、生活保護受給→孤独死といったことになってしまったわけです。

佐藤氏の場合、酒で身を崩したというより浪費癖のほうが致命的だったのかもですが、でも朝からビールや焼酎を飲むような生活をしていなければ、たぶん彼は私がこの記事を書いている現在(いま)でもまだ生きているのでしょうから、やはり酒おそるべしですね。私は大酒飲みではありませんが、それでもビールは嫌いではありません。日本酒、焼酎、ウイスキーほかは、宴会か旅行に行かなければ飲みませんが(しかししょっちゅう旅行に行っているのも事実です。最近はさすがにそうはいきませんが)、しかしこれもビールほどではないにしても嫌いではない(バーボンウイスキーは、学生時代に1本1日で空けて翌日地獄だったので、いまだに嫌いです)。私は、神から甘いものか酒のどちらかをやめろと命じられたら、はい、では酒をやめますと即答する人間なので、最終的には酒をそんなに好きな人間ではないのでしょうが、可能であれば死ぬまで酒は多少なりとも飲んでいたいとは思います。やはり国内外を問わず、地元のビールを飲むときの喜びは何ものにも代えがたい。

というわけで酒を飲まない人には関係ないかもですが、酒を飲む読者の皆さま、アルコール依存症にはならず、死ぬまで酒を適度に楽しみましょう。またこの記事は、引用したinti-solさんの記事を参考にしました。感謝を申し上げます。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする