ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

これも、大金を稼いだ人がくだらん散財で財産を失う典型だと思う(複数の追記あり)

2019-09-26 00:00:00 | Weblog

昨日こんな記事を読みました。

>「金ピカ先生」死す…カリスマ予備校講師の佐藤忠志さん68歳、自宅で
2019年9月25日 4時0分スポーツ報知 # 芸能# 訃報・おくやみ

 予備校のカリスマ英語講師で、「金ピカ先生」の愛称でタレント活動もしていた佐藤忠志(さとう・ただし)さんが、都内の自宅で死去していたことが24日、分かった。68歳だった。

 佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしだったが、関係者によると、デイケアセンターの職員がこの日、自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したという。死因は不明。司法解剖が行われる。

 1980年代、コワモテの顔に金のネックレスの風貌でありながら、代々木ゼミナール、東進ハイスクールなどの予備校で生徒から絶大な支持を受けていた佐藤さん。人気が高じてタレント業にも進出し、「全盛期には年収2億円超えた」とも語っていた。87年には秋元康氏がプロデュースした「1度きりだぜ人生は―花の受験生応援歌―」で“歌手デビュー”するなど、華々しい生活を送っていたが、近年は寂しいものだった。

 2009年、それまで一度も訪問したことがなかった鹿児島・種子島の西之表市長選に出馬。本名よりも知られている「金ピカ先生」の名前で届け出たが、惨敗した。その後は2度の脳梗塞と心筋梗塞を患ったこともあり、表舞台から姿を消した。

 18年のスポーツ報知のインタビューでは、日本に1台しかないというクラシックカーを購入する“車道楽”や暴力などが原因で夫人とけんかし、16年ごろから別居していることを告白。離婚調停中だった。自らの生活について「隠居。生きる屍(しかばね)ですよ」と自虐的に話し、朝から酒をあおるなど、不摂生を続けていたが、それまでの人生を「バラ色」とも語っていた。

 ◆佐藤 忠志(さとう・ただし)1951年5月4日、東京都生まれ。慶応大学法学部政治学科卒。筑波大学大学院修了。77年に代々木ゼミナール講師となり、旺文社の大学受験ラジオ講座担当。88年、東進ハイスクールへ移籍。「金ピカ先生」の愛称で知られ、40万部突破の「ズバリ!合格の英単語」など参考書、著書多数。タレントとしても活動し、テレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!」やVシネマ、ドラマに出演。拓殖大では客員教授も務めた。2001年に参院選、09年に鹿児島県西之表市長選に立候補するも落選した。

記事でも紹介されている、2018年の記事はこちら。

年収2億カリスマ予備校講師・金ピカ先生…朝からビールの日々「生きる屍です」
2018年7月5日 11時30分スポーツ報知 # 芸能

 あの金ピカ先生はほとんど引きこもりの孤独な余生を送っていた。1980年代に予備校のカリスマ人気講師として君臨、高価な宝飾品を身にまとい、独特な風貌でタレントとしても活躍した佐藤忠志さん(67)。1年半ほど前に、長年連れ添った愛妻が夫婦喧嘩で家を飛び出し、今は「やりたいこともないし、やることもない。生きる屍(しかばね)です」。それでもこれまでの人生を「バラ色」と振り返った。

   *  *  *

 コワモテの風貌とは対照的に人懐っこい笑顔で親しまれた金ピカ先生。目ヂカラがしかし、失われているようにも見えた。

 「最近ですか? 隠居です。朝からビール飲んでますよ。朝昼晩。飲みたいもの飲んで。いつ死んでもいいんですから。だって、やりたいこともないし、やることもないんだから。生きる屍(しかばね)ですよ。人生、大満足しているから、いいんです。未練ないです。引きこもり生活? そうですよ。政治? まったくです。関心ないです。そんな元気ないです」

 2001年に小泉政権の自民党公認で出馬。落選したが、それまでも政界から何度となくオファーを受けるほど知名度と人気は抜群だった。1980年代に代々木ゼミナールを手始めに東進ハイスクールなど予備校のカリスマ講師として君臨。「いつやるの? 今でしょ」の林修先生のようなタレント講師の走りだった。

 当時の年収は。

 「2億。他に参考書の印税だけで1000万。(講義料は)90分で200万。それが何コマもあるから、1か月で1000万超えましたよ。2000万近かったんじゃないですか。(昭和)30年代の(石原)裕次郎さん、三船(敏郎)さんクラス(のギャラ)です。三船さんも随分と可愛がってくれましたよ」

 当時の代ゼミ人気のなかでも金ピカ先生の存在はズバ抜けていた。講座を取るために徹夜の行列が出来たほどだった。

 「でしょ。だって、500人(の講座)が2時間(で締め切り)でしたもん。私は人気講師だったから」

 教壇で日本刀をかざすパフォーマンスも人気だった。今では完全にアウトだろう。

 「正月の講演の時に竹、ズバッとやりました。大歓声でした」

 当時の代ゼミ講師は「5者」でないといけなかったという。

 「易者、芸者、医者、あと2つ、なんでしたっけ。…役者、学者ね」

 受験生の未来を占い、導き、受験生をもてなして引きつけ、時にはメンタルにも気を配り、知識をたたき込むためのパフォーマンスが求められた。金ピカ先生は、話術だけでなく、独特な風貌でも人気を集めた。

 当時、代ゼミの講師用の駐車場は高級外車だらけだった、とも聞く。

 「それは嘘ですよ(苦笑い)。ただ、横浜校の駐車場は私のリンカーンが止まれるスペースを作ってくれました。(代ゼミが)こんな凋落するとはだれも思ってなかったでしょう。だからあの頃の私と同じ年齢の先生たちは、今、生活大変でしょうね。かわいそうに。大船校も撤退して、行ったら、道路まで変わっちゃって。あの頃は、大船校の商店街で、私の講座の生徒がすげえもんだから苦情がきたんですよ。ところが私が横浜校に行っちゃったら、あの頃が懐かしい、また大船に戻ってきてくれって。商売なんないって言ってました」

 タレント予備校講師は金ピカ先生がまさに先駆者。その後の道を切り開いた。

 「そうですね。だけど、林先生はギャラ、安いんじゃないですか。(当時の)私は、ホテルは一番いいスイートでしたし、移動はハイヤーでしたし、新幹線はグリーンはもちろん、飛行機はファーストクラス。ねー、いい時代でした」

 ちょうどバブル期も重なった。使っても使っても使いきれないほどの収入を得た。

 「欲しいもん、なんでも買えました。スイスでこれ(時計)買いに行ったんですよ。そしたら、ホテル代出してくれましてね。お金あると逆に使わなくて済むんです。時計の値段? 当時で2000万円。キャッシュで? そうです。キャッシュが一番強いんです」

 ところで、林先生と面識は。

 「全然ないです。歳がだいぶ離れていますから、接点ないです。でも、そうやって生き残れるのは、一握りじゃない、一粒ですよ」

 最近、テレビから出演依頼はないのだろうか。

 「お座敷かかんない」

 テレビを見ることは。

 「ニュースと野球だけ」

 そう言ったところで「お茶を出さずにすみません。女房いないもんで」と話した。取材場所は都内にある先生の自宅。室内は確かに荒れ、途切れることのないたばこの灰皿は吸殻が山盛りに埋め尽くされていた。

 健康が心配に思えた。

 「心配していません。早く死にゃあいいと思っていますから。1人で生活して? 1年半ほどです」

 離婚はしていない、という。

 「女房のやつがね。私が暴力ふるったとウソの110番して、警官が6人きて、11日間、留置されましたよ。戻ってきたらいなかったんです。犬連れて。まあ、ほっぽっときますけどね。もう女房に未練ないし」

 そう言いつつも、室内には著名人との写真の他に、若かりし頃の愛妻とのテニスコートでの記念写真などがまだ飾られていた。9年前に脳梗塞で倒れた直後は、愛妻との約束で酒を断ち、食事にも気をつけていたが、1人となった今では自暴自棄のような言葉を度々、口にした。

 妻との喧嘩の原因の1つが、趣味の車だった。CMC社のティファニークラシックを「人生最後の愛車に」と購入した。

 「1億。めったにないですよ。日本で1台しかない車ですから。米国で1億3000万って言っていたのに、目の前で1億積んだらOKというのでね」

 ちょうどその時期の自身のフェイスブックに「糞ばばに入院中に解約された。私の趣味は日本刀と車。(中略)もう私には趣味は無い。生きる甲斐、目標が無い。(中略)自殺では妻の世間体が悪い」などと記し、その後、更新をストップ。安否を心配する書き込みなどは放置されたまま。妻をのろけることもあったブログもやめてしまっている。

 趣味の暴走は、熟年夫婦の亀裂になった。

 「女房が反対したからですよ。勝手にキャンセルしちゃったんです。結局? 買いました。大きなケンカに? 私から車を取り上げよう、取り上げようとするから…」

 車は生きがいだった。

 「リンカーン・コンチネンタル、キャデラックのフルサイズ、ベンツのオープンカー、ロールスのターボに乗ってきました。今のティファニーは私にとって息子のようなものです」

 まるで漫画「ルパン三世」の中に出てくるような見事なクラシックカーだが、都内で乗り回すのにはなかなか大変にも思える。

 「簡単ですよ。ただ、駐車場がね、困るんですよ。ホテルしかダメですね」

 人気絶頂のカリスマ講師時代は、そんな愛車のどでかいトランクが生徒からの差し入れで埋まった、という。

 「530リッターのトランクがいっぱいになって、車内もいっぱいになりましたね。おねえちゃんの下着とかもありましたよ。オレは外見じゃなくて中身の方が好きなんだよって言ったら、翌週(差し入れた)彼のお姉ちゃんが来て、私、先週の中身です、って」

 至る所に教え子がいて、偶然の出会いもある。

 「向島の芸者がね、慶応を出て、慶応の大学院出て、考古学学んで。相撲の力士と親方と行ったんですよ。ハメ外すかなーと思ったら、玄関で、先生、昔お世話になりましたって。そしたら親方、どんなお世話したんだーって(笑い)」

 教え子たちの存在が励みになり、人生のピンチを救ってもくれた。

 「脳梗塞を2度やりました。あと、心筋梗塞も。最初の時は3時間の開頭手術でした。脳外科の教授が私の教え子で、先生を殺しちゃいけないと思って、メス、震えましたって。心筋梗塞ではステントいれました」

 時の流れは速い。

 「ですね。人生と言うのは、振り返ると短いですよ。あっという間です」

 最後に、これまでの人生を「色」で表現するなら、と聞いた。

 「バラ色ですよ、ずっと。だって、仕事でイヤな思いも苦労もしたことないんですから」

 金ピカからバラ色へ。そういうことなのだろうか。

 「そう。はい。バラ色の余生? ええ」

 梅雨が明け、暑い季節がやってきた。再び、健康と生活ぶりが心配になった。

 夏場、大丈夫だろうか。

 「あぶないっす」

べつに全文引用する必要もありませんが、リンク切れにもなるし、これもいろいろ参考になるかなと思ってご紹介しました。報知新聞が彼の死亡記事を率先して伝えているのも、たぶん2018年の記事の関係でしょう。私もこの記事を、発表された直後に読んだかは記憶にありませんが、ともかく読んでいます。それで佐藤氏の窮乏も私は知っていました。

なお一応お断りしておきますと、他紙の報道などからすると、見つかった遺体が佐藤氏かどうかの最終的な確認はまだされていないようです。外見がかなり個性的な方ですから、どうも相当遺体が傷んでいる模様ですね。つまりある程度死後日数がたっているということでしょう。確認はされていないとはいえ、遺体が佐藤氏であることは確実であると考えられますので、以後佐藤氏が亡くなったという前提で記事を書きます。

訃報記事で私が興味のあるのがこちら。 

>佐藤さんは生活保護を受け

ってことは、昨年の記事にあった車などは売却したってことなんですかね。引っ越しもしたのか。そのあたりつまびらかでありませんが、あんな車を持っていて生活保護はないでしょうから売却した、しかし売却益をもってしても金がなくて首が回らないっていうところだったんですかね(9月28日付追記:下の追記部分をご参照ください)。そのあたり詳細は不明ですが、病気のせいもあるにしてもこれといった仕事もしていなかったみたいだし、奥さんからも逃げられた。それで1日じゅうビールばかり飲んでいるようではまったくもってどうしようもないとしか言いようがない。孤独死も、なるべくしてなったというべきかもしれません。

それでこういう記事を読んでいて思うのが、前に私が書いたこのような記事です。正直内容はけっこうシビアですが、やはりこういう現実があるということは受け止める必要があるでしょう

「自分は例外だ」なんて考えないほうがいいのかもしれない(米国スポーツ選手の浪費と困窮について)

記事でご紹介した米国のスポーツ選手はまた桁、次元が違いますが、でも本質的には変わらないですよね。後先のことを考えず散財した結果です。また下の記事でご紹介しましたように、かつては全米トップの人気を誇ったといって過言でないスーパースターの俳優も晩年は経済的に困窮したようです。

バート・レイノルズも金には困っていたらしい

上の記事でもふれましたように某有名ミュージシャンの困窮も有名ですし、子役の家が大金が入ったために家族全員狂ったなんて話もありふれています。

世の中頭の悪い人間がいて、そういう人は大金を短期間に実に無意味に散財してしまうことがありますが(犯罪者など)、佐藤氏の場合、勉強はできるのでしょうが、けっきょくのところ、金の使い道を考えるとか後先のことを考えるとかについては、まったくもって米国のスポーツ選手やバート・レイノルズや子役(の家族)、犯罪者と同類だったのでしょう。で、本人もそういう自分のだめさは重々承知ですから朝からビールを飲み続けるような生活になったのでしょう。自己嫌悪が激しかったわけで、今回の死も自殺ではないかもですが、実質緩慢な自殺に近いように思います。

おそらく2018年の記事が発表された際は生活保護受給者ではなかったのでしょうが、彼も生活保護を受ける際は、ついにここまで来てしまったか・・・という気持ちは強かったでしょうね。それにしても過去年収2億円の人が理由や過程は定かでないにしても生活保護受給者になり孤独死する。そこまでいかなくてもいいだろうと個人的には考えますが、たぶん彼は、どこかで完全に止まることができなくなっていたのでしょうね。財産を失う人というのはそういうものなのでしょう。下の記事で私が紹介した人と同じです。

金をためられる人、財産を残せる人は、けっきょく金にシビアなのだと思う

なお、伝え聞いたところによると、この記事に登場した女性は、2年ほど前に亡くなったそうです。だました男は、葬式に来たのですかね? いや、そもそも葬式をしたかも定かでありませんが。

佐藤氏も、この記事のタイトル

>大金を稼いだ人がくだらん散財で財産を失う典型

としか思えませんね。たぶん上の記事の女性と同様、本当に親身になって意見してくれる人がいなかったんでしょうね。いてどうにかなったかは定かでありませんが、いた方が彼もまだましな人生を歩めたでしょう、たぶん。

佐藤忠志氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。

記事発表日の追記:元の記事では写真は(あえて)はりませんでしたが、こちらの記事を読んでほんと絶句しました。

追悼 予備校講師「金ピカ先生」が我々だけに語った「最期の言葉」
「生きていても、意味がないから」

その記事に発表された写真です。今年8月末の撮影とのこと。

あまりのひどさに言葉もありませんね。なお昨年8月の写真が下です。

この時はまだ笑顔も見せていましたが・・・たった1年でこうなってしまったわけですね。上の記事ご当人の弁によると焼酎(ビールではないそうです)と煙草くらいしか口にせず、食事もほとんどとっていないということで、あるいはですが相当精神もやられていたのかもですね。おそらく入院でもしなければいけなかったのでしょう。たぶん医療の保護も受けていたと思いますので、それなら医療費に金はかからないはずですが。下は、1988年に出版した本の表紙から。

上の収入2億円うんぬんの時代がこのころでしょう。

いやはや、人生あんまり後先のことを考えないで生きていくのはやっぱり考えものだなと思います。ほんと、そうです。

9月28日の追記:inti-solさんから、inti-solさんのブログ記事へ投稿した拙コメントに対する興味深いコメントの返しをしていただいたのでご紹介します。出典は、こちらより。

>(前略)

1億円のクラシックカー、それが別居の原因ということで、別居が2016年頃というので、購入もその頃、ということなのでしょうね。
1億円を生活費に当てていれば、65歳からなら、まずお金に不自由することなく人生を終えることができたでしょうけどね。それができなかったんですね。こう言ってはなんですが、亡くなるべくして亡くなった、というしかないのかなと思います。

まったくの想像ですが、車は処分していなかったと思います。売りに出して、すぐ売れるようなものではないでしょうから。それに、どう考えたって売って生活費に充てようという気なんか、これっぽっちもなさそうです。

(後略)

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2 コメント

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Unknown (通行人A)
2019-09-29 09:49:41
選挙に出ないで、有能なマネージャーがいたら「教育評論家」として今もテレビや講演会とかで活躍してたと思われます。落選以降は人間関係も荒れたのですかね。アルコールや浪費の問題は、依存症に詳しい病院に受診すれば良い方向に向かったかもしれません。
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>通行人Aさん (Bill McCreary)
2019-09-29 14:27:58
おっしゃるように明らかに彼の場合、金銭管理と仕事管理のマネージャーみたいなものが必要だったのでしょうね。しかし選挙に出ちゃったから、他からもお呼びがかからなくなった。本人の不徳の致すところで仕方ありませんが、なんともはやです。

>アルコールや浪費の問題は、依存症に詳しい病院に受診すれば良い方向に向かったかもしれません。

そうですよねえ。明らかにアルコール依存だし、また買物依存でしょう。死の数年前に1億円の車を買うというのは明らかに異常だし、それが最終的なとどめになったようですから、これは医療の手を借りる以外なかったのでしょうが、たぶんご当人自分が病気であるとは認めなかったし、それを治療するなんて意思もなかったんでしょうね。
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