暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

再び車で四国遍路・・・嵐の「星ふるヴィレッジTENGU」

2022年07月02日 | 再び車で四国遍路

 

6月5日(6日目)、愛媛県宇和島市のホテルを出発し、高知県梼原(ゆすはら)という町を通リ、一路、愛媛県と高知県の県境にある四国カルストを目指しました。

四国カルストは日本三大カルストの一つで、標高1485mの天狗の森を最高峰に天狗高原や姫鶴平などのなだらかな山が連なり、白い石灰岩群とあいまって、独特の景観を楽しめます。

当初、41番龍光寺42番仏木寺43番明石寺を詣でてから四国カルスト・天狗高原へ行く予定でしたが、午後は雨の予報だったので何回もお詣りしている札所はパスし、初めて訪れる高原へ早めに着くように予定変更しました。

11時には天狗高原に到着したので、姫鶴平へドライブすると、四国カルストの白い石灰岩が緑の草原で草を食む羊の群れのように見えました。まるで「アルプスのハイジ」の世界みたい・・・ハイジとお爺さんが今にも現われそうです。

     (白い石灰岩は羊の群れのようにも見え、黒いのは牛です)

・・・すると、たくさんの黒い群れが現われて、これは本物の牛でした。放牧されて悠然と草を食んだり散歩したりしています。雨が降りだしても草原にいましたが、あとで台風のようになったのでどうしたのかしら・・・と気がかりです。

快適なドライブでしたが、急なカーブも多く、車酔いしそうになり運転を交代して、大野ヶ原から韮ヶ峠を目指しました。

        (坂本龍馬脱藩の地「韮ケ峠」)

韮ケ峠は、幕末に坂本龍馬が土佐藩から脱藩した道として有名だそうで、峠に記念碑がありました。

脱藩の道を歩くコース案内があり、なんと!案内板にかねてから興味があった「茶や谷の茶堂」を発見!  車は通れない道添いなので今回は断念しましたが、いつか訪れてみたい「茶堂」です。

「茶堂」とは、旅人にお茶のお接待をするお堂で、江戸時代からあり、愛媛県と高知県の一部に現存しています。

 高知県梼原(ゆすはら)町には現在13棟の茶堂が保存されています。広さは2間四方くらいでカヤ葺き屋根、木造平屋、板敷きという素朴な建物(お堂)です。木仏または石仏などを安置しお祀りしています。

 お遍路さんや行商の旅人などに茶菓子の接待を地区住民が輪番で行い、信仰とお接待、また地域の社交の場としての役割を果たしてきました。現在も「茶堂」の活動を行っているところがあるそうです。

   (「梼原町 脱藩の道」案内板に⑨「茶や谷の茶堂」を発見!)

 

「韮ケ峠」で雨がぽつぽつ降りはじめました。だんだん雨脚が早くなり、2時半ころ早めにホテルに入りました。

       (ホテルの看板「星ふるヴィレッジTENGU」)

    (ホテル「星ふるヴィレッジTENGU」・・・右側がプラネタリウム)

その日のホテル「星ふるヴィレッジTENGU」は四国カルストの天狗高原にあり、名前の如く、星ふる満天の夜空を期待して泊まったのですが、あいにく夕方から前線が通過し、台風のようになってしまいました。

このような日を想定してホテルにはプラネタリウムが併設されていて、その夜見えたであろう星空や星座にまつわる神話の世界をプラネタリウムで寝ながら楽しむことが出来ました。

その夜、雨がたたきつける窓から暗い外の様子を窺うと、山上にある「星ふるビレッジTENGU」はまるで荒れ狂う大海に漂う小船のようで、心細い思いがしました。今回の旅で雨にあったのがここだけなのも、台風だったのもお大師様の思し召しかもしれません・・・。

翌朝、雨は上がりましたが、雲でしょうか、霧でしょうか、幻想的な風景が広がっています。もやの中を慎重に下界へ車を走らせました。

 

この日(6月6日、7日目)は44番大寶寺45番岩屋寺をお詣りし、松山市の砥部焼窯元に寄ってから今治市方面へ向かいました。

 

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