「蓮の花」 (しまなみ海道の生口島、耕三寺にて撮影)
お暑うございます。
・・・夏休み中ではありますが、押入れの奥にしまい込んで忘れないうちに茶碗のことを書いておきます。どうぞお付き合いください。
7月3日(日)に社中Iさんの「海想の茶事」が無事に終わりました(とても素晴らしい茶事でした・・・ため息)。
Iさんはスキューバダイビングを趣味にされていて、毎年夏になると沖縄の海へ行って潜っていましたが、コロナウイルスの蔓延以来、行きたくってもいけない状況が続いています。
遥か南の海で繰り広げられる、この世のものではないような不思議で美しい海中の一期一会を想いながら、お茶事の薄茶席で壺屋焼茶碗が2碗使われました(各服点なのでその他に3碗)。
小橋川仁王氏と新垣栄三郎氏の作品で、それぞれ個性が違う形状や色、特に緑色の色彩の奥深さに心惹かれました。
・・・そんな刺激を受けたせいで壺屋焼の茶碗が欲しくなりました。
壺屋焼(つぼややき)を調べてみると、
壺屋焼は沖縄県那覇市壺屋で主に生産されている陶器です。
今年は沖縄の本土復帰50周年にあたりますが、壺屋焼の歴史を調べていると、戦後の那覇の解放と復興は、壺屋から始まったことを知りました。
1945年の沖縄戦で旧那覇市街は灰燼に帰しましたが、郊外の壺屋地区は比較的被害を免れました。当時、住民は民間人収容所に収容され、日々の生活は困窮を究めていましたが、「壺屋は業者が移住できればすぐに生産が開始できる」と米軍政府関係者に懇願し、粘り強く交渉を重ね、ついに移住の許可を取り付けました。
1945年11月、各収容所から壺屋出身の職人や建築作業班が集められ、140名がまず壺屋に入り整備作業が始まりました。その陶工の中には小橋川仁王や金城次郎らがいました。
その年の12月、最初のやきものが焼かれ、1ヶ月で壺屋の人口は8,000人に増えたそうです。1946年1月3日に糸満地区管内壺屋区役所が設置され、那覇市の戦後の回復と発展は壺屋と壺屋焼から力強く始まりました。
(沖縄ではなく高知県の海ですが・・・叶崎にて)
私はいまだ沖縄へ行ったことがありませんし、何故か沖縄を避けていた気がします・・・それは頭あるいは体に刷り込まれた、生まれる前の空襲体験のせいかもしれません。
やっと沖縄のエメラルドの海ややきものに逢いたい気持ちになりましたが、「再び車で四国遍路」へ行ったばかりですし、コロナウイルスBA.5株の急な襲来(第7派)もあり、まして暑中の茶碗探しの外出は無理・・・。
それでネット検索していると、とても気になる茶碗に出合いました。
添付の写真を見ていると、沖縄の特産物である芭蕉布の味わいを感じましたが、問題は径が15センチ近くで大きいことです。
(沖縄特産の芭蕉布・・・目が飛び出るくらい高価です)
大きくても薄茶で使う茶碗だし、これを逃すと、このような茶碗に出合うことはないかもしれない・・・という思いが頭をよぎり、購入を決めました。
一度逃すと、いくら探しても出合えないことを幾度か経験しているので、今は「私の所へ来てくれてアリガトウ!」と思っています。
(私の所へ来てくれてアリガトウ!)
古箱には「琉球 茶碗」とだけ書かれていて、道具屋さんによると江戸中期の作だそうで、形状や釉はげに素朴な魅力を感じ、古作を思わせます。アバタもエクボかもしれませんが・・・気に入っています。
岡田製糖所の「和三盆」を賞味しながら、愛称「芭蕉布」茶碗で薄茶一服を楽しみました。
(購入した壺屋焼の茶碗で一服・・・稽古の後に)
「芭蕉布」茶碗はやはり夏がお似合いです。
お暑いですが、立礼席、洗い茶巾で一服いかがでしょうか?
8月中なら、どなた様でも大歓迎です・・・。