暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

みちのく山形の旅・・・憧れの月清庵へ

2018年07月09日 | 

 山寺(立石寺)・・・今回は自重して登らず麓の立石寺本堂にお詣りしました
(月清庵の写真がありませんので・・・)

(つづき)
鈍翁茶会の後、Rさまのお招きで山形市内の月清庵へ向かいました。
毎年、鈍翁茶会に合わせてご実家の月清庵にて美術品や茶道具の展示会をされていることを伺い、こちらを訪問することも今回の旅の大きな目的でした。

前夜、Rさまにお電話を差し上げた折、
「どこで時間を使われるかはその方次第ですが・・・」と言われ、ハッとしました。
山形市内観光はいつでも出来るけれど、月清庵訪問は今しかないし、出来るだけゆっくり滞在できれば・・・と思い直し、大正解でした。
同行のFさんとKさんも全く同じ思いらしく、鈍翁茶会もさることながらRさまのおもてなしが心に強く残ったようで、私も嬉しいです。

ギャラリーに展示された、父上様遺愛の陶磁器などの美術品を一つ一つ拝見する貴重な機会が得られ、茶会のお支度でお忙しい中をRさまが時々現れて解説してくださって、それがとても楽しい時間でした。


   ホタル袋・・・山寺の芭蕉堂にて

月清庵は四畳半台目、吉野窓のような大きな窓(月)に雲がかかっています。

月清庵にて清らかな水音のBGMを聞きながら、Rさまのお点前で黒織部の茶碗に映える緑の薄茶を美味しく頂戴しました。
お茶を頂戴しながら、いろいろお話を伺いました。

床に掛けられた寒山拾得の画賛と二度目のお出会いです。
前回より明るかったせいで、狩野探幽の描く墨の濃淡のなんと色彩豊かなこと!
薄墨で描かれた顔の柔らかな線や表情のあいらしさ、また賛の意味するところの深さなどをお教えいただき、嬉しい再会となりました。

「寒山拾得が師の豊干に 悟りを得るために何をすべきか問う 
 師曰く すべきことはなにもないと」

わからないなりにこの賛の意味するところは読む人によって、また読むたびにその時の心の成長や在り様によって違ってくるような気がして、またいつか再び出会うことができたら・・・と思いました。

さりげなく季節の花(擬宝珠、忍冬、岡虎ノ尾だったかしら?)がいけられた竹一重切、そびえたつ峡谷を連想する景色や竹の色艶の美しさにも魅せられ、今も鮮やかに脳裏によみがえります。
大名家の化粧道具の離れという繊細な蒔絵の香合がお気に入りで、ずうずうしく中も開けて拝見させて頂きました。こちらもまた再会できたら・・・と思います。

点前座の伊賀の重ね餅の水指、火と灰の競演の焼き物は豪快かつ男性的な存在感がありました。
お点前の途中で茶道口から見事な仏壇が見えたこともあり、
Rさまに5年前にお亡くなりになったという父上様がぴったり重なりました。
父上様もお席持ちしたという鈍翁茶会に合わせて、茶会と特別展示会(その時はまだ拝見していませんでしたが・・・)をお一人でされているRさま、何よりのご供養と思い、胸が熱くなりました 


   下野草(しもつけそう)・・・上山の春雨庵にて

ギャラリーで終わりと思っていたので、香合の特別展示室に案内されびっくりしました。
毎年、テーマを決めて鈍翁茶会に合わせて親しい方だけをお招きして特別展示しているそうですが、この度その機会に恵まれた幸運に改めて感謝!です。

型物香合の型で同じ窯元や時代がわかるというお話を興味深く伺い、いつもはガラスの向こうで拝見するような逸品の時代香合を身近でじっくり見せて頂き、夢のような時間を過ごしました。
私の一番のお気に入りは螺鈿細工の卓に飾られていた青磁香炉(心に染み入る青磁の色、銀の火屋と下段にも銀細工の飾りが施された珍しい一品)です。

時代を物語る香合展も素晴らしかったのですが、私の心を捉えて離さなかったのは
父上様が鈍翁茶会で薄茶席を担当された時の道具組の展観でした。
(覚えているままに書いていますが、間違っていたらごめんなさい・・・)


   鈍翁茶会の香煎席の設え


始めて見る棚(遠州流幸来棚)が優雅で素敵でした。
水指は古染付桃型、中の見込みに桃の画が生き生きと描かれています。
古染付独特の呉須の色合いや虫食いが遠く明時代へ意識を誘い、時代を経てフルーツの産地・山形JA役員だったという父上様に繋がって行きました。

優雅な幸来棚にふさわしい風炉と釜・・・お釜好きの血がふつふつと騒ぎます。
なんてかわいらしく個性的な車軸釜なんだろう!!
車軸釜は大好きですが、すっきりとこぶりで上品で、播州芦屋車軸釜という地方釜であるのも心に残りました。(長野新氏に造って頂いた私の愛釜は伊予車軸釜の写しです)
色紙風炉の形も珍しく初めての拝見でしたが、小ぶりな車軸釜にぴったりお似合いでした。
百合の花のような清楚な宗白磁の杓立と象牙の火箸の取り合わせは垂涎もので当分うなされそう・・・。
他にも風炉先屏風、モール建水、橘模様の鍍金(?)の蓋置、棚に乗せられた古久谷の色絵の薄器(替茶器?)など、どれ一つとっても素晴らしいのですが、その取り合わせの妙は筆舌に尽くせません。
今、朧の頭の中で思い出していますが、胸が高鳴るような道具組でした。ふぅ~!



   半夏生・・・・我が家のです

Rさま、お心こもる数々のおもてなしをして頂き、厚く御礼申し上げます。
同行させて頂きましたFさんとKさんからもご厚意有難く、くれぐれ御礼を・・・と申しております。 本当にありがとうございました!

その日は上山温泉に泊り、翌日、春雨庵、武家屋敷、楢下宿、こんにゃく番所(昼懐石)、蟹仙洞(かいせんどう)など、Rさまお勧めの名所を楽しんで横浜へ帰ってきました。
また鈍翁茶会と月清庵へ行きたい!!


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みちのく山形の旅・・・第34回鈍翁茶会(その2)

2018年07月03日 | 

「末摘花(すえつむはな)」と書かれた紅花(べにばな)が茶会会場にいけられて・・・

(つづき)
いよいよ本席です。
寄付から畳が敷かれた外露地を通って本席(四畳半台目、道具展示のみ)へ入りました。
外露地のガラス戸の向こうに鈍翁遺愛の蹲踞と灯籠がありました。

床には大燈国師御筆「徹翁(てっとう)」号が掛けられており、遂に目の前で拝見することが出来ました。
どのように表現したらよいやら・・・なんと「徹翁」号の力強く気迫みなぎっていることか、筆勢を追っていくと書いている大燈国師(宗峰妙超)のお姿が迫ってくるような錯覚に捉われ、そんな思いをさせる墨跡に出合えて本望でした。
少しでも長くこの書の前に座っていたい・・・・。




   香煎席にも「末摘花」がいっぱい!  

点前座へまわると、徳禅寺と鋳込みのある鉄ヤツレ風炉にたちまち心を奪われました。
ヤツレ振りが素晴らしいこの風炉に最初用意した釜を掛けてみたところ、どうにも合わないので浜松地紋の芦屋釜を掛けたら何とか落ち着いた・・・と、先の呈茶席で徳禅寺和尚さまのお話がありました。
「風炉と釜」の醸し出す味わいを感じてほしい・・・とも。
鉄ヤツレ風炉の存在感が大きすぎて、浜松地紋の釜も役不足の気がしたのは私だけでしょうか。
台目の点前座にはひっそりと目立たぬ風情の風炉と釜がお似合いでは・・・とも感じましたが、鉄ヤツレ風炉を拝見させて頂いただけでも感謝です。
(解説によると、ヤツレ風炉は、徳禅寺先住大亀和尚が執心された、湯木貞一翁(吉兆創始者)所持の風炉だとか)

水指は南蛮、鈍翁銘「四海」とあり、四つの海をはるばる渡って日本へ来たのでしょうか。
茶碗が素敵でした。青井戸かと思いましたが柿蔕(かきのへた)、鈍翁銘「青根岸」だそうです。
内側の青味を帯びた景色が何とも魅力的で、思わず引き込まれてしまいそう・・・。
点前座の隅に置かれた異様(個性的?)な形の竹の蓋置、庸軒作で朱の在判があり、久しぶりに庸軒の茶道具に嬉しい出合いです。



素晴らしい設えや茶道具を次々とたくさん拝見して、すでに一部記憶から抜け落ちていますので、本席の会記を記念に記します。

本席

 床    大燈国師筆  徹翁号
  花入  胡銅 龍耳           澤庵和尚箱
  花   沙羅の木(しゃらのき)(? う~ん・・・思い出せません)
  釜   浜松地紋芦屋釜(?)  
      (会記には、尻張 龍宝山茶堂 大徳寺常什トアリ 古浄味造)
  風炉  鉄ヤツレ  徳禅寺トアリ
  敷瓦  織部
  水指  南蛮  鈍翁銘 四海    同箱
  茶入  唐 大海
   盆  唐物  斑竹縁菱花盆
   袋  王紋モール裂
  茶碗  柿蔕  鈍翁銘 青根岸
   帛紗  徹翁金襴
  茶杓  宗甫作共筒  歌銘 権十郎箱  宗慶外箱
     歌は、
     紫のひともとゆへにむさし野の
          草はみなから哀れとそ見る  (古今集)
   蓋置  竹  庸軒在判
   建水  砂張
   

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みちのく山形の旅・・・第34回鈍翁茶会(その1)

2018年07月01日 | 

6月23日、山形新幹線やまびこ129号に乗って


6月24日、山形市清風荘・宝紅庵で開催された第34回鈍翁茶会へ出かけました。
鈍翁茶会へ行きたい・・・と思ってから、実現するまで3年掛かりましたが、鈍翁茶会と共にRさんの美術品展観席&茶会へも参加できて、夢のようなひと時を過ごしました。



4月頃でしょうか、送って頂いた鈍翁茶会のパンフに
濃茶席は徳禅寺護寺会とあり、床に「徹翁」号を掛けると書いてありました。
大徳寺開山の宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が弟子である徹翁義亨(てっとうぎこう、後に徳禅寺開山)に与えた「徹翁」と書かれた書(写真)を何かの本で見て以来、いつか本物を拝んでみたい・・・と秘かに思っていたのす。
3年待った甲斐あって、その書に出合えるという期待と喜びでいっぱいになりました。
いつも旅のツアーコンダクターをしてくださるFさん、長年書を研鑽しているKさんをお誘いして鈍翁茶会へ繰り出したのでした。




9時30分のお席の整理券をもらい、清風荘で午後に伺う予定のRさんと偶然お会いし、一緒のお席で廻れたのも良き思い出になりました。

待合の正面の床に益田鈍翁氏の画像が掛けられ、花、香、蝋燭、茶、菓子が献じられています。
その手前に絵巻物が長々と開かれていて、「鈍翁の一日」と称して逍遥する老年の鈍翁氏の姿がほのぼのと温かいタッチで淡々と描かれていました。
私の尊敬する原三渓翁の筆だそうで、二人の友情の深さを嬉しく感じるとともに今日のご縁を有難く思いました。




濃茶席は席主が徳禅寺護寺会で、呈茶席、寄付、本席の三席で構成されています。
先ず呈茶席へ入り、裏千家淡交会のお点前で濃茶を頂きました。

呈茶席の床には大きな「春日鹿曼荼羅」が掛けられ、その前に垂涎の根来塗の手長卓(1間近くあるような細長い卓)があり、御蓋山(みかさやま)の香炉が置かれていました。
「春日鹿曼荼羅」には神鹿と五体の仏が描かれています。
白き神鹿と心を射抜くような目に魅了され、空間に浮かぶ五体の仏さま、高貴な赤の曼荼羅の色調が観る者を圧倒し、その神々しさにひれ伏したくなるような感動を覚えました。

席主・徳禅寺和尚によると、「春日鹿曼荼羅」は春日大明神の本尊として制作されたもので、徳禅寺開山の徹翁和尚は篤く春日大明神を信仰されていて、徳禅寺の鎮守さまでもあるそうです。
本席へ行く前に「春日鹿曼荼羅」の素晴らしさに圧倒され、大満足していましたが・・・。



少人数に別れて寄付に入ると、また素敵なお出合いがありました。
床に「金槐(きんかい)和歌集切」が掛けられていました。
源実朝筆、自歌集の断簡とのことで、料紙も表具も素晴らしいものなので良く見て感じてほしい・・・という説明がありましたが、鎌倉右大臣・実朝自筆の歌切ということだけで親近感を覚えました(最近ご縁がありませんが、実朝の和歌は雄大で、とても好きなのです)。
会記によると次のように書かれているそうです。

 古郷蘆橘  いにしへを しのふとなしにふるさとの
          ゆうへのあめににほふたち花   蘆橘薫夜衣


床上に和歌に因む香合・交趾橘が耳庵所持という印度更紗の帛紗に置かれていました。
素敵な印象に残る空間でしたが、なんせ暗い・・・・。
寄付については会記のみ記しておきます。

寄付
床    金槐和歌集切  古郷蘆橘    本願寺旧蔵
 香合  交趾橘  印度更紗帛紗シキテ  耳庵所持
 炭斗  膝継              鈍翁所持
 羽箒  鴻               世外旧蔵
 火箸  鉄透し  徳元在銘
 鐶   鉄素張  金象嵌
 釜敷  時代釘隠
 灰器  風炉焙烙            旦入造
 灰匙  砂張              暁中所持


    みちのく山形の旅・・・第34回鈍翁茶会(その2)へつづく