暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

古染付・・・祥瑞詩入筒茶碗  その2

2016年06月17日 | 茶道具

                    
  呉須で書かれた漢詩が一層の味わいを・・・

                    

(つづき)
調べてみると、作者の違う2つの漢詩が書かれていることがわかりました。
王安石(北宋)の「元旦」と韓愈(かんゆ、唐)の「早春」です。
読みと意味が載っていたので記しておきます。

   元日    王安石(北宋)

   爆竹声中一歳除
   春風送暖入屠蘇
   千門万戸瞳瞳日
   総把新桃換旧符


    爆竹声中 一歳除(つ)き
    春風は暖を送りて屠蘇(とそ)に入らしむ
    千門万戸 曈曈(とうとう)たる日
    総(すべ)て新桃(しんたう)を把(と)りて旧符に換ふ

    爆竹が鳴りひびくうちに旧年は尽き
    春風は暖気を送って屠蘇の盃もあたたかい
    すべての家に初日がかがやくこの日
    どの家も魔除けの新しい桃の木の符(ふだ)に取り換える


   早春    韓愈 (唐)

   天街小雨潤如酥
   草色遥見近却無
   最是一年春好處
   絶勝煙柳満皇都


    天街は小雨(しょうう)酥(そ)の如く潤う
    草色は遥かに見るも近づけば却って無し
    最も是れ一年春の好き処
    絶だ勝る煙柳の皇都に満つるに(はなはだまさるえんりゅうのこうとにみつるに)

    注)天街とは都の目抜き通り、皇都は都長安。

                  
 「虫喰い」と呼ばれる「ほつれ」も見られます・・・

小ぶりの筒茶碗ですが、「元旦」や「早春」の漢詩を詠じながら、正月や極寒の侘び茶に使ったら・・・その年は間違いなく「心清長寿年」でしょうね。
古染付特有の「虫喰い」と呼ばれる「ほつれ」(焼成により釉薬の一部がわずかに欠けた部分)が数か所見られ、これも「痘痕にえくぼ」でしょうか。
見れば見るほど、数寄者が好みそうな一碗です。それに、火入に使ったらステキ!でしょうね。 

                  
 祥瑞詩入筒茶碗の仕覆


最後に仕覆のお話です。
格子柄の仕覆(綿?)が素朴であり、モダンでもあり、どんな由来の裂地なのか・・・気になっていました。
仕覆づくりをしているNさんに写真をお送りしたところ、ご丁寧なメールを頂戴しました。

   仕覆の裂地ですが、実物を拝見してルーペで糸を見ないと何ともいえませんが
   渡りの島木綿、下のリンクは望月間道の画像ですが、この格子部分の仲間では
   ないか?または、それを模して日本で作られたものかも知れません。
    http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009089

   糸は、縦横双糸であれば、多分渡り島です。
   島物は種類が多く、固有の名前を持つものが少ないのが実情です。
   (格子柄も島物の仲間に入ります)
   曖昧なお答えで申し訳ありません。

仕覆の裂地もなかなか奥が深く、興味深いです。
N氏、Nさん、いろいろお教え頂き、ありがとうございました!  


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古染付・・・祥瑞詩入筒茶碗  その1

2016年06月15日 | 茶道具

                       
   古染付の祥瑞詩入筒茶碗


骨董好きのN氏が毎回お稽古に、貴重な茶道具や骨董品を一つだけ持参して見せてくださるので
これを機に少しお勉強しなくては・・・と思い始めました。

前から好きだった古染付(こそめつけ)。
調べてみると、古染付は中国・明時代の末期、天啓期(1621~1627)を中心に崇禎期(1628~1644)頃までの間に景徳鎮民窯で焼かれた染付磁器の一群をいいます。
日本には多くの古染付が伝世しますが、中国や他国にはほとんどみつかっておらず、日本の茶人からの注文によって作られたと考えられています。

「虫喰い」と呼ばれる「ほつれ」(焼成により釉薬の一部がわずかに欠けた部分)が見られ、一見すると粗雑な作りに見えますが、形も絵も自由奔放、おおらかでさりげない趣があり、当時の日本(江戸初期)の茶人の好みに合い、あこがれの器だったのでしょう。

古染付の生まれた天啓期(15代憙宗天啓帝 在位1621~1627)は、300年続いた明朝の末期で国力が最も衰微した時期です(16代毅宗崇禎帝の時に明は滅亡 在位1627~1644)。
乱世という社会情勢の中で、景徳鎮では官窯に代り、民窯の活動が盛んになった時期でもあります。
古染付の絵には、長寿、子孫繁栄、立身出世、富貴栄華など庶民の願いを描いたものや、
文人たちの理想社会を描いた山水文様が多く、乱世を生きる作り手たちの願いが込められているとか。

作られた時代の歴史を紐解くと、古染付への理解が進み、作り手の息遣いが聞こえてくるようです。
そんな折、「古染付の祥瑞詩入筒茶碗」を見せて頂きました。
小ぶりの筒茶碗で、すこしいびつ、白地に呉須で漢詩が書かれています。
どうみても下手な字ですが、おおらかな味わいを醸し出し、詩の世界へいざなってくれます。

「えっ! これが祥瑞なの??」
祥瑞といえば、白地に呉須で描かれた特有の模様(丸紋、幾何学模様など)がありますが、どう見てもそのイメージとは全く異なる茶碗です。
すると、N氏は持参の「小さな蕾」(趣味の古美術専門誌N0.177)を開いて
「詳しくはここに書かれていますので読んでください。写真も載っていますが、これがその本歌です」

                         
    施釉した生がけの生地を削った高台廻り


伊藤祐淳氏が「小さな蕾」の「古玩隋語」に書かれた冒頭の部分を書きだしておきます。

     祥瑞詩入筒茶碗  伊藤祐淳

 拙著「古玩隋語」の中の「祥瑞小皿」の項で、祥瑞の主たる特色を列挙した中に
「施釉した生がけの生地を削った高台廻りが鈍いこと」を挙げ、
「この高台削りが特に重要で、染付模様が如何に祥瑞的でなくても、時代さえそれに合致すればこれを祥瑞と呼びます」という一項があります。
 少々説明不足のような気がして心のつかえが残っていましたが、幸いに実物が出て来ましたので、補足する意味でおめにかけることにします。
ご覧のとおり、形も染付も全く祥瑞の意匠とは無関係で、七言の詩を書きなぐっただけのものです・・・(後略)。
   (つづく)


       古染付・・祥瑞詩入筒茶碗  その2へつづく 



一座同舟・・・水無月の茶事(稽古茶事)を終えて

2016年06月12日 | 暁庵の裏千家茶道教室

  「清趣」  広間(待合)の画賛です

6月5日(日)に稽古茶事をしました。

年2回、風炉と炉の時期に稽古茶事をしてあげたい・・・と思いながらなかなかできませんでしたが、とても良い茶席(箱根湯本・玉庭)のご縁を得て、総勢9名で箱根へ出かけました。

その日はあいにくの雨、外腰掛から露地の風情を味わい、蹲を使って茶室へ席入りの予定でしたが・・・。





自称雨女の亭主・Fさんは数日前から心配そうに
「先生、お天気が心配で毎日天気予報をチェックしているのですが、雨マークが出てしまいました・・・」
・・・なんか、かわいそうでしたが、最近晴れ女の神通力も弱って来たし、こればっかりはね。

それで、広間の待合から廊下を通り、四畳半台目の茶室へ席入りです。
初座のお軸は大亀老師のお筆で
「清流無間断」
Fさんお持ち出しのお軸の言葉に添うように、山滴る箱根の庵にて最後のご挨拶まで、一座同舟、お茶の清流をくだって行きました。

茶事の次第は次のようです。
寄付――待合――板木・白湯――初座の席入(床:掛物、点前座)――主客挨拶――懐石――初炭――主菓子――中立(15分)――迎付(銅鑼)――後座の席入(床:花、点前座)――濃茶――後炭――薄茶――主客挨拶(見送り)



初座では半東・Yさんの到着まで代わりに半東と水屋、その後は席中に入り懐石まで黒子として同座し、後座は水屋の方を手伝いながらご指導させていただきました。
亭主、半東は一生懸命のおもてなしでしたが、お客さまにその気持ちが伝わり、愉しく何らかの風趣を感じて頂ければ・・・と願うばかりです。

茶事バカの暁庵は茶事というとアツクなり、茶事はたとえ稽古茶事でも何でも同じでして、毎回が真剣勝負だと思っています。
稽古茶事という言葉を使っているのは、まだ慣れていない方にとって稽古茶事の方が救いがあるからです。
本来の茶事ではわからないことがあっても聞けませんが、稽古茶事ではお尋ねすることが出来ますし、指導者としてどうしても気になるところは注意させて頂きます・・・。



今回の茶事を通して一番気になったのは、おもてなしの表現でしょうか。
どんなに亭主方が心を込め一生懸命だったとしても、その心がお客様へ伝わらなければ何にもなりません。
それには、普段の心懸けと稽古や茶事で自分自身を磨き、叩き上げなければならず、私の永遠の目標でもあります。

結論として「う~ん、茶事は楽しいけれど難しく奥が深い。だからそこに魅かれるのかしら・・・?」

今回の稽古茶事を機に、これからも茶事を重ねることでいろいろ経験し、一座同舟で心技体のレベルアップが出来れば・・・と考えています。
皆でいつか「自分の茶事」が自然体でできるように頑張ろうね! 


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東京教室の稽古・・・「稽古も一会」 皐月 in 2016

2016年06月03日 | 稽古備忘録・・・東京教室の稽古
                          
                                 大賀ハス

5月30日(月)はS先生の東京教室の稽古でした。
あいにく朝から雨、出かけるときは凄かったのですが、東京へ着くと雨が上がっていました。

いつものようにコンビニでおにぎり2個とお茶を買って、教室へ。
教室のある一画は、水滴る緑樹に覆われ都心とは思えぬ、ほっとする佇まいです。
その清々しさに心が洗われ、自然と気合が入ってきます。

その日の科目は、盆香合、茶碗荘、台目・続き薄茶、行之行台子、東貴人且座、貴人清次花月で、
台目・つづき薄茶の次客と東貴人且座へ入らせて頂きました。

稽古とはいえ、皆さま、いろいろ考えてくださるので、問答が素敵でした。
盆香合は、香合の由緒を伺うのが楽しみですが、Aさんが用意されたのは
かつての師のご主人が手作りされた蓮の果托の香合(漆塗り)でした。
しかも、その蓮は大賀(おおが)ハス、1951年(昭和26年)に落合遺跡(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)で発掘された、
2000年以上前の古代のハスの実から、発掘者の大賀博士が発芽・開花させた蓮だとか。
Aさんの貴重な思い出とともに、2000年以上前の大賀ハスのルーツや困難を極めたという発掘作業に思いを馳せました。
                          
茶碗荘はYさん。
朝鮮唐津の水指、その前に置かれた高麗の井戸茶碗、
茶碗の中に茶入、紺系の仕覆は珠光緞子でしょうか? 組み合わせの妙に心が騒ぎます。
茶碗荘の問答が、これまた素敵でした・・・。

                         

その日、一番期待していたのは、Oさんの台目・つづき薄茶でした。
6月5日に稽古茶事があり、茶席が台目なのです。
・・・それで、いろいろ確認しておきたいことがありました。
教室は十畳台目なので、端っこにある台目席(二畳台目としました)に次客で入りました。
見学の方が背後で目に入らないせいか、Oさん亭主、Aさん正客で小間の茶事の雰囲気を楽しみました。
S先生から台目据えや足の運びなど、細かいご指導があり、疑問もすっきりです。
つづき薄茶になり、煙草盆、干菓子が運ばれ、台目の稽古はますます佳境へ・・・。

稽古も終わり近くなり、貴人清次花月を見学しながら、翠のお庭を眺めていると紫陽花が咲き初めています。
遠く、近く聞こえるS先生のご指導の声、花月のきびきびとした白足袋の動き、きれいな点前や所作・・・・
美しい夢の中にいるような、平和でかけがいの無いひと時です。自然と句が湧き出てきました。

      緑陰や 茶筅振る音(ね)に 烏啼く

      紫陽花の 花咲き菓子は 明月院

「稽古も一会である」という言葉が思い出され、私も暁庵の教室でそのような気持ちで臨みたい・・・と思うのでした。
S先生、皆さま、ありがとうございました!  



  
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     詳しくは、暁庵の裏千家茶道教室HP:https:akatsukiane.wordpress.com/をご覧ください。
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