暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

桜旅  醍醐寺・上醍醐へ

2014年04月16日 | 京暮らし 日常編
            醍醐寺・霊宝館の枝垂れ桜
           (2014年4月1日撮影、クリックすると大)

4月1日、京都新聞の開花だよりを見ると、もう腰が落ち着きません。
その日の桜旅は醍醐寺の枝垂れ桜を訪ねました。

醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で、山上の伽藍を上醍醐(かみだいご)、
山下を下醍醐(しもだいご)と呼んでいます。
昨秋のテレビで上醍醐の荘厳な伽藍や厳しい修行、霊気溢れる醍醐水が紹介され、
さくらか紅葉の頃に訪ねてみたいと思っていました。


              青空に満開の枝垂れ桜が映えて

醍醐寺は貞観16年(874年)、弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝の創建ですが、
次のような話が伝えられています。

霊山・笠取山(醍醐山)へ登った聖宝は、山中で白髪の老翁(地主神・横尾明神)
に会い、この山を譲り受けます。
その時、老翁は落ち葉をかきわけ、その下から湧き出した泉を汲んで
「あぁ 醍醐味なる哉」
という言葉を残して、こつ然と消えたと伝えられています。

「醍醐」とは元々乳製品で、五味の中で最上の滋味とされていますが、
寺では、心の糧として仏法が最高であるという意を表わしています。
上醍醐には今でも醍醐水が湧出し、大切に祀られています。

             
             折しも清瀧宮拝殿(下醍醐)で読経が・・・

            
             観音堂・・・西国三十三観音霊場大11番札所
             焼失した上醍醐観音堂の准てい観世音を祀る

総門から仁王門を通り、清瀧宮、金堂、不動堂、観音堂を経て、
女人堂(成身院)から上醍醐へ登って行きました。
昔、女人は女人堂までしか行けなかったとか、ここで杖を借りました。

   
         女人堂(成身院)                 「従是女人禁制」

女人堂からしばらく登ると、「槍山」という立札があり、
「醍醐の花見」で豊臣秀吉が槍山に花見御殿を造った・・・とありました。
こんな山の中で・・・と思うような場所でした。

             
                 「槍山」と醍醐の花見の看板


秀吉の栄華を物語る「醍醐の花見」が行われたのは慶長3年(1598)3月15日、
槍山までの道には花見に先駆けて、吉野や畿内から700本の桜が植えられ、
御殿から山下の桜を一望しながら、秀吉は、北政所、西の丸(淀君)、松の丸、
三の丸らを従え、花見の和歌を短冊にしたため、桜の枝に吊るしました。
この時の短冊131葉が霊宝館に展示されています。
同年9月18日に秀吉は亡くなりました。(享年62歳)

    
      醍醐水・・・立派なお社              まろやかな「醍醐味」

女人堂から約1時間で上醍醐に到着。
下醍醐の喧騒がウソのような山上の別世界でした。
醍醐水で喉を潤し、清瀧宮本殿の鶯の声が長閑です。

             
                      国宝・薬師堂(上醍醐)

             
                      清瀧宮拝殿(上醍醐)

国宝の薬師堂(1121年再建)は、山上で最古の平安時代の建築です。
優美な清瀧宮拝殿(国宝)、雷による火災で焼失した観音堂跡、
五大明王を祀る五大堂など、大伽藍が立ち並んでいた往時の勢いが想像され、
今の静けさを堂内の仏さまはどう思っていらっしゃるのかしら?

開山堂横の展望台からは石清水八幡宮の丘、山崎の天王山、
遙か、大阪・あべのハルカスらしきビル群が銀色にかすんで見えました。
帰りに、もう一度醍醐水をペットボトルに汲んで山を下りました。

下醍醐の三宝院と霊宝院へ寄り、霊宝院の枝垂れ桜(巻頭の写真)に再会し、
満開のさくらの”気”を全身に浴びて帰宅しました。

      

う~ん・・もう、これでさくらは大満足・・・の筈だったのですが、
妖艶な色香に迷ったのか、桜旅が続きます。
                                   



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