暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

再び車で四国遍路・・・志々島の大くす

2022年06月21日 | 再び車で四国遍路

    (志々島(香川県三豊市)の大くす・・・ボランテイアさんが草刈り中でした)

 

車で四国遍路の途中で「日本一の大杉」などの大樹に出会いました。

中でも「志々島の大くす」はテレビで何度も紹介されたので、この機会に志々島を訪れ、大くすに逢いたいと思いました。

6月9日(第10日目)、祖谷渓温泉・ホテル秘境の湯を8時過ぎに出発し、68番神恵院と69番観音寺へお詣りしてから香川県三豊市詫間町の宮下港を目指しました。

志々島行きは一日3便で、宮下港12時45分発の船に乗ると、志々島着が13時5分なので、約20分の船旅です。帰りは15時55分発が最終なので、約3時間の滞在でした。

 

     (志々島港)

志々島には最も多い時には約800人の島民がいたそうですが、過疎化が進み、現在の住民は19名です。

デッキで風に吹かれて景色を見ていると、すぐに志々島港に着きました。立派な寺や人家がありますが、ほとんどが無住になっています。

 

    (案内板があちこちにあります)

 

     (休憩所からの景観)

「大くすはこちら」という標識に導かれて、家の間の狭い道を登って行きました。15分ほど上った所に休憩所のベンチがあり、こちらで瀬戸の海や島を眺めながら一休みしました。しばらく行くと下り坂になり、草を刈っている人たちに出会いました。

「今日は志々島の有志と近隣のボランテイアが一緒に草刈りをしています。どちらからですか?」

「横浜から志々島の大くすを見に来ました」

「せっかくいらしたのに草刈りの人が大勢いて、賑やかですみません・・・」

とんでもありません。きっと草刈り前は歩くのが大変なくらい草が高く生い茂っていたことでしょう。

丸亀市方面から約50名が第一便の船に乗って草刈りに参加していて、年2回の恒例行事だそうです。

それで、きれいに刈られた道を通リ、念願の「志々島の大くす」に対面することが出来ました。

 

 (「志々島の大くす」・・でっぷりと太い幹は逞しく、祠が祀られています)

 (ネストウエストガーデン土佐近くにある「母の塔」)

大くすは樹齢1200年とのことですが、でっぷりと太い幹は逞しく、なぜかネストウエストガーデン土佐(お気に入りのホテル)近くにある「母の塔」を思い出しました。「原始女性は太陽であった・・・」原始時代の逞しく豊かな肉のついた母親像を連想し、モクモクと元気に幹を太らせ、天に向かって伸ばした枝と輝く緑葉が大きな谷を埋めつくしています。

折れた太い枝は枯れるどころか、枝から新たに根を下ろして養分や水分を補充し、今なお若々しく成長し続けているという驚異の「志々島の大くす」。

そのパワーを授かりたいものです。木幹に顔を密着させ、大くすの心音を聴きたいと耳を傾け、しばしその懐に抱かれていました。

 


    (天に向かって枝を縦横無尽に伸ばしています)

大くすの谷上にある「楠の倉展望台」で瀬戸内海の長閑な景色を見ながらおにぎりをほおばっていると、土地の古老がやってきて、かつて大くすの周りに数軒家があったことを伺いました。今は跡形もないのが不思議なくらいです。

7月中旬になると自生の姥百合が「大くす」の周りで咲き乱れ、それは見事だとか。

 

   (「孝子さんの花畑」では紫陽花が見ごろでした・・・右側は「花小屋」です)

 

かつて志々島に800人が住んで漁業や農業に勤しんでいたころの賑わい、花畑で花を栽培し出荷に忙しかったころの話、今は花づくり農家の最後の一人「孝子さんの花畑」を見ていってほしいと言われました。

「孝子さんの花畑」は春から夏にかけていろいろな花が咲いて見事だそうで、花の見ごろはナデシコ(4月下旬~6月下旬)、芝桜(3月下旬~4月下旬)、キンセンカ(4月上旬~5月上旬)、紫陽花(5月下旬~6月中旬)です。

ちょうど紫陽花が見ごろで夢中でシャッターを何度も押しました。

 

「くすくす」という休憩処でアイスコーヒーを飲んだりしていると、あっという間に帰りの船の時間になりました。

来るときの乗客は10名だったけれど、帰りの船(最終便)はボランテイアさんと一緒になったので定員70名近くになりました。

この日(6月9日、10日目)は75番善通寺の宿坊(香川県善通寺市)で泊まります。(つづく)

 

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