後座の床に太田垣蓮月の野月の和歌の短冊を掛けました。
むさし野の 尾花が末にかかれるは
誰がひきすてし 弓張の月 蓮月
蓮月八十歳とありますが、伸びやかな御筆は野月を愛でる豊かな感性と蓮月尼の充実した心境を表わしているようでした。(この御軸はこれからの茶事にも登場しますので、いずれまた紹介したいと思います)
蝋燭の灯の元、茶碗を運び、濃茶点前が始まりました。
茶入は久しぶりに凡鳥棗の登場です。凡鳥棗は京都を去る時に姫路のSさまから頂戴した伊藤庸庵の箱書のある、思い出の棗です。
昭和30年代まで横浜市神奈川区高島台に住んでいらした庸軒流の茶人・伊藤庸庵が作らせたものの一つで、「凡鳥之棗 反古庵好ミ写也 庸菴」と箱書に書かれています。
(T氏が写真を撮ってくださいました・・・茶事中の貴重な写真です)
四方捌きをして心を鎮め、棗、茶杓を清め、いつものように点前が進んでいきましたが、蝋燭の灯りのせいか、点前をしている自分をもう一人の自分が見詰めているような、不思議な感覚を味わいました。
濃茶を3杓掬い、あとは茶杓でやさしく掻き出して(大津袋のお点前)、水を釜にさし湯を汲み、濃茶を一心に練りました。
南蛮人燭台や手燭があり暗くはないのですが、黒楽茶碗の中は真っ暗闇。指先の感覚を頼りにゆっくりと濃茶を練っていきます。湯をほんの少し足して、各服点なので最後まで飲みやすいように緩めにしました。
「お服加減はいかがでしょうか? 少し緩めになりましたでしょうか?」
「大変結構で美味しゅうございます」・・・安堵して、二椀目続いて三碗目を練りました。濃茶は坐忘斎お好みの「延年の昔」(星野園詰)です。
一段落してから、凡鳥棗や3つの茶碗のお話をしました。三人のお客さま、特に正客ST氏と詰T氏は道具屋さんでお出会いしたというほどの道具好き(?)なので、お話が弾み、愉しゅうございました。
茶杓は銘「無事」、後藤瑞巌師の御作です。
次は薄茶ですが、半東が燭台を1台ずつ水屋に引き、芯切りをしました。芯切りをしないと芯が崩れ、煤で汚れてしまいますので・・・。
(半東AYさんが1碗目の薄茶を点てています)
薄茶になり、お点前を半東AYさんにお願いし、暁庵が半東です。
煙草盆と干菓子(「陸の宝珠」と小布施の栗落雁)が運ばれ、薄茶点前が始まりました。
正客ST氏が岡山のご出身と伺っていたので、薄茶の3碗は全て虫明焼にしてみました。
虫明焼は約180年前に備前池田候の筆頭家老であった伊木家のお庭窯として備前虫明(現在は岡山県邑久郡虫明)の地で始められました。
正客さまの茶碗は京都で初めて出合った虫明焼の茶碗です。伯庵茶碗のような枇杷色の肌、とても薄づくりで、葦雁図が描かれていて、高台内に「むしあけ」と「真葛」の印があります。
2つの印が珍しく、この印がきっかけとなって虫明焼に興味を持ち、いろいろ調べ始めました。初代(?)真葛長造作かもしれませんし、虫明焼は贋作が多いとのことなので謎がますます深まり、それも楽しいことです・・・。
次客さまの茶碗は、虫明焼について調べているうちに蓼純さんの「虫明焼の栞」というHP(今は閉じてしまいましたが、大いに刺激を受け勉強になりました・・・)に出合い、「虫明焼の栞」10周年記念に蓼純さんから頂いた刷毛目の平茶碗です。「むしあけ」の銘があります。
三客様の茶碗は、暁庵の喜寿のお祝いに茶友Yさまから頂いた虫明焼、風になびくススキの画が描かれていて、岡部紫山作です。
いつのまにか虫明焼が3碗も揃いましたのも、何かのご縁でしょうか。
お話を交じえながらAYさんが2服ずつ美味しい薄茶を点ててくれました。薄茶は「舞の白」(星野園詰)です。
薄器は秋草文様の化粧壷、茶杓は紫野・隋応戒仙師の御銘「雲錦」です。
・・・こうして、時が過ぎて早やお別れが迫ってきました。
ST氏、SY氏、T氏の3人のお客さま、半東AYさん、懐石小梶さん、皆さまのお陰で無事に愉しく夕去りの茶事が出来ました。
一会一会が貴重で有難く、心から感謝申し上げます。