暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

不協和音・・・朝茶事の準備中です

2020年06月21日 | お茶と私

(柏葉紫陽花を鉄製燈明台にいけました・・・6月18日の稽古にて)

 

今日(6月21日)は夏至、横浜の日の出は4時26分、日の入りは19時。

「夏至なのに日の出が1分遅くなっている!」とツレが騒いでいます。晴れたら部分日食が見れるそうです。   

 

文月の朝茶事にお客さまをお招きしていますが、あれこれ悩んでいます。

朝茶事に限らず、茶事にはテーマを・・・それも亭主自身が楽しめるテーマを心がけています。

テーマがあると茶事の次第や道具組が具体的になり、ぐらつきにくい気がします。それでも何か違和感を感じ、直前になってやっと腑に落ちる内容に辿りつき、全てをひっくり返すこともありますが・・・。

 

  (紅い凌霄花が咲き出しました・・・さんぽ道にて)

 もう十数年前のことです。

敬愛する茶事の師匠から伺ったお話を時々思い出します。

それは「茶事には不協和音が必要だ・・・」というものでした。

不協和音とは、「同時に発せられる時、不調和で融合せず不安定な感じを与える和音」(広辞苑)だそうです。

音楽的な不協和音についてはよく理解できないままですが、「あまりに整然と決まり切ったように為される茶事はいかがなものか・・・」という問いかけだった気がしています。

自ずとその人なりの茶事があり、趣向があり、そのための道具組がなされることだろう・・・そうでなければ、お招きした客を心底から楽しませ、感動させることは出来ぬ・・・と。

さらに、不協和音は大切で、使い方によっては非常に新鮮な感じがして、想像力を大いに刺激するものになるとも。

なにぶん十数年前のことなので、自分勝手な解釈が入っていますこと、お許しください。

 

  (夏椿が満開です・・・さんぽ道にて)

 

年月こそ経ちましたが、「不協和音」の答えはいまだ出ていません。 

きっと自分で「不協和音」(例えばテーマから離れた設えや道具か? または意外性のある何か??・・・さらにテーマそのものが不協和音???)を強く意識して試みなければ、師匠がいわんとすることは永久に自分のモノにできないかも・・・と焦るこの頃です。

忘れかけていた宿題(?)が頭をよぎり始めると、どのような朝茶事の準備をしてもグラグラして自信が持てません。

当日までまだ時間があるので、半月前に描いた朝茶事を一旦無にして、もう少しもがいてみることにしましょう。

どのような朝茶事になるのやら・・・ふ・あ・ん・でもあり、た・の・し・み・でもあります。

席入りは午前6時です。           

 

         不協和音・・・杉浦邦恵「公園」へつづく