暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「女ひとり 70歳の茶事行脚」に寄り添って (その4 京都・瑞峯院)

2016年08月11日 | 暮らし
                   
                             晩秋の京都にて
(つづき)
☆ 2014年11月 
半澤鶴子さんは京都の大徳寺・瑞峯院を訪れました。
瑞峯院には千利休が山崎に作った茶室・待庵(たいあん)の写し「平成待庵」があります。
半澤さんは利休さんを敬愛していらして
「70歳で利休さんは亡くなったが、生きていらしたらどんなお茶をするのだろうか?」
と考え続けていました。

瑞峯院住職・前田昌道和尚はいろいろ悩み事を抱えた半澤さんを温かく迎えます。
「さぁさぁ~上がって・・・」
吉野窓のような大きな窓のある四畳半の茶室、
床に「時雨洗紅葉」の軸が掛けられ、貴船菊が生けられています。
和尚は炉に掛けられた手取り釜から湯を汲み、茶を点てています。

久しぶりに和尚に逢って気持が和んだのでしょうか、半澤さんは弱音を吐きました。
「(出張懐石の)仕事は一人ではできないようになりました。お人の力を借りる様になりました・・・」
「自分が楽しんでいけたら・・・、自分がよいことをしているなぁ~と思いながらすればいい」とやさしく受け止める和尚。
「わかっていることができませんのや・・・」と無念そうな半澤さん。
「そうかぁ~」
和尚が点ててくださった濃茶を押し頂くように喫する半澤さん。

                   

二畳隅炉の平成待庵で一客一亭の茶事を行うことになりました。
一客一亭の茶事は、ただ一人の客のために心を尽くす究極のおもてなしです。
もちろん、一客は前田昌道和尚です。

5月に新茶を入れた茶壺の封を切り、持って来た石臼で1時間かけて茶を挽き、篩います。
この季節だけの贅沢である口切の茶事にもなりました。
懐石も目出度く、甘鯛の昆布〆、海老真薯の煮物椀です。
美味しそうに懐石、菓子を頂く和尚の閑かで凛とした佇まい、
やがて濃茶が点てられました。
半澤さんは、考え続けていた利休さんに寄せる思いを和尚へぶつけていました。
「70歳で利休さんは亡くなりましたが、生きていらしたらどんなお茶をなさるのだろうか?」

すると、和尚は濃茶を飲みながら静かに話します。
「利休さんと言ったって、あの人の人生なんだから・・・それと同じようなことを出来るわけはないのだから・・・。
それなら、それを感じ取って自分だったら・・・利休さんはやっていたのだからこのようにしてやったらいいんだなぁ~と。」
さらに、冒頭の究極の一言
「花一輪に飼いならされて」いったらいい・・・それしかない。
 その場その土地にあることを感じ取れたらいい、
 ありのままの花のことを思ったら、もうそれで十分・・・」

和尚の言葉に大きく頷いて、半澤さんの顔が居場所を得たように明るく輝いていました。

                    
                       今朝咲いた朝顔一輪

「花一輪に飼いならされて」・・・
暁庵はあまり難しく考えないで、ありのまま全てを受け入れる心・・・と思いました。   
常日頃、茶事だけでなく、お人や自分に対しても心掛けていることですが、時により難しい・・・と悩むこともあります。
そんな時でも前向きに、難しい・・・と悩む未熟な自分が、茶事や人に向き合う一生懸命な自分がいとおしい・・・と思うことにしています
 


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