☆ 2014年11月
平成待庵での一客一亭のあと、半澤鶴子さんはさらに西へ足を伸ばしました。
やさしい空気が流れている山里(岡山県新見市坂本)に出合います。
「自然と共に暮らしていらっしゃる、つつましい人々の暮らしの中にとけ込んで茶事をしてみたい・・・」と思いました。
つづら折りの山道はすっかり秋が深まり、紅葉や黄葉は早や色あせて、野一面の枯れススキです。
晩秋の枯野の風景は人生の終焉を暗示するかのように物哀しく、それゆえに美しく心に迫ってきます。
「山里の暮らしの中の茶事」にぴったりの場所を見つけ、早速準備にかかる半澤さん。
お客さまはこの里に嫁いできて60有余年、5年前にご主人を失くされたという宮原さんと幼な馴染みの神部さん、
女性二人が急な坂道を登って来てくれました。
この日は茶飯釜の茶事、客の目の前でお話しながら釜で飯を炊いて食して頂き、そのあとに同じ釜で湯を沸かしてお茶を点てます。
出張懐石の料理人である半澤さんにぴったりの茶事だと思いながら見ていると、
釜の湯の中にサラサラと研いだ米が入れられ、風炉は石を利用したものでした。
野趣豊かな山里の自然に溶け込んでしまっているような三人の姿、
美味しそうに料理や茶を頂くお客さまと亭主・半澤さんの顔がなんと幸せそうに輝いていることか・・・番組中一番好きなシーンでした。
また、穏やかに交わされる三人の会話がステキでした。
「80歳まで生きられるかなぁ~と思ってやっていたら、80歳を越して、
85歳まで生きられるかなぁ~と思っていたら、まぁ85歳を過ぎたけん、
今度は90歳まで生きられるかなぁ~と思っています」と神部さん(87歳)。
「このようなことは夢にも思わなかった! 「死に土産」になりました。
85、6になったらいつ逝くかわかりませんので・・・」と宮原さん(85歳)
坂道を帰っていく二人を見送る半澤さん
「こんなきれいな所でお二人に出会えて、「死に土産」という言葉まで頂いて冥利なことです」
「花一輪をそのまま生きていらっしゃるようなおばあさんに出会って、
ありのまま全てを受け入れて生きることに答えがあるように思います・・・」
次回、冬の旅ではずっーと夢だった究極の茶事をしてみたいという思いが膨らんできたのですが、旅は中断されました。
秋の旅のあと、半澤さんは大病を患います。
こぶし大の大腸ガンが見つかり、手術を受けたのです。
幸いにも転移もなく、順調に回復しましたが、1年間療養しながら自らの命と向き合うことになりました。
その間に「自分の細胞がドックンドックンと、生きよう!生きよう!」としているのを実感したそうです。
・・・病気を受け入れ療養に努め、2016年2月、茶事行脚へ復活を遂げたのでした。(もう少しつづく)
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