暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

灑雪庵 水無月の正午の茶事-1

2014年06月12日 | 茶事  京都編
6月5日に水無月の正午の茶事をしました。

お客さまはKさまとOさま、灑雪庵での茶事も残り少なくなり、
今のうちに是非・・・とお誘いし、関東からお出まし頂きました。

雨の予報でしたが、なんとか降らずにすみ、天の助けでしょうか。
単衣のお召し物と帯が水無月にぴったりで、素敵!でした。
あとで、お二人とも新調されたものとか・・・恐れ入ります(汗 

            

待合の短冊は「雪月花」。
昨秋、正教授の親授式にいらした茶友から贈られたものです。
御筆は臨済正宗・山本玄峰師、
曹洞宗祖・道元禅師の歌に思いを馳せて書かれたそうです。

  春は花 夏ほととぎず 秋は月
     冬雪さえて冷(すず)しかりけり
   (傘松道詠)

短冊のご縁で山本玄峰師の生涯を初めて知り、凄い方!と衝撃を受けました。
よろしかったら、巻末の略歴をお読みください。

「雪月花」といえば、まさに風流心を凝縮した語句に思われ、
2年前に京都で古い貸家と出合った時を思い出します。
土間のしっくい壁のシミ模様、外が見えるような戸の隙間がなぜか気に入りました。
戸の隙間から降り灑ぐ(そそぐ)雪を愛でる風流心を大切にしたい・・・。
その心を忘れぬようにしたい・・と、灑雪庵(さいせつあん)と名付けたのです。

大好きな大綱和尚の和歌を読み上げ、遠来の茶友を歓迎しました・・・。

  我がいほに 同じ心の友からと
     つきゆきはなの ものかたりせむ
   (大綱)

             

床の軸は「洗心」、
紫野大徳寺・藤田寛道和尚の筆です。
東京で正客Kさまと相談しながら買い求めた、思い出の軸です。
水無月の天水で余計なものを洗い流し、
清らな心で茶事にのぞみたい・・と願って。
                                
ご挨拶のあと、香道具を運びだし、Oさまにお願いしました。
香炉を廻して幽かな伽羅の香りを共有し、清閑なひと時・・でした。


             
                  お気に入りの土間の壁と扁額


 山本玄峰(げんぽう)師(1866年(慶応2年)~1961年(昭和36年))

   慶応2年1月28日和歌山県湯の峰の旅館で生まれました。
   産まれてすぐ盥に入れられ捨て子となりましたが、岡本善三夫婦に
   拾われ、養子として育てられました。
   17歳で結婚、19歳の時、悪質な眼病に掛かり失明寸前になり、
   弟に家督を譲り、離婚し、四国八十八カ所遍路へ旅立ちました。
   裸足で巡礼すること7回(巡礼に生きる道を求めて・・)
   24歳の時、三十三番札所・雪蹊寺で行き倒れていたところを
    山本太玄和尚に助けられ、僧門に入り修業を重ねます。
   後に養子となり、雪蹊寺の住職となりました。

   その後、全国をまわって修行を続け、龍沢寺(静岡県三島市)、
   松蔭寺など白隠慧鶴ゆかりの古刹を再興しました。
   1926年からアメリカ、イギリス、ドイツ、インドを訪問します。
   帰国後に臨済宗妙心寺派の管長となり、後に龍沢寺住職となり、
   昭和36年(1961年)6月3日遷化、世寿96歳。



         灑雪庵 水無月の正午の茶事-2へつづく