暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

MIHO MUSEUM -Negoro-

2013年10月21日 | 美術館・博物館

新幹線京都駅(だったと思う?)で
MIHO MUSEUMの全景写真を見た時の驚き、
「えっ、この建築は何? 誰がデザインしたのかしら?
 まるで森の中に建物(大きな鳥)が羽を広げているみたい。
 MIHOへ行ってみたい!」
それまでの漠然とした憧れが本物に進化した瞬間でした。

ところが・・・
台風18号の襲来で道路が不通になり、石山駅発MUSEUM行のバスが
いつになったら開通するのか、半分あきらめていましたら
TYさんから朗報が届きました。
京都駅発「MIHO MUSEUMと信楽まちなか芸術祭」のバスツアーが
あるというので早速二人で申し込み、
「朱漆「根来」-中世に咲いた華」へ行ってきました。

根来塗は、鎌倉時代より紀伊国根来寺(和歌山県岩出市)で
僧徒により制作された朱漆器です。
神仏具や什器として使われた朱漆器は歳月を経て、表面の朱漆が摩耗して
下地に塗られた黒漆が露出してきます。
この味わいが古くから日本人の美意識に叶ったようで、
「根来塗」と愛用され、今も永遠の魅力を湛えています。

            
               ポスター「根来」

            
                    根来寺

天正13年(1585年)豊臣秀吉は対立する根来寺一帯を焼打ちにし、
その際、寺も漆器も焼失し、漆器職人は根来を退去して、他所へ移りました。
「根来に根来なし」
その後、再興された根来寺へ行っても本来の根来塗は影も形もないことを
伝える言葉だそうです。

            
                  アプローチ

            
                  MUSEUM入口

MIHO MUSEUMへ着きました。
電気自動車に乗って正面玄関へ。
近づくと入口に円相の窓があり、反対側の景色を窓から眺めながら
入場するという、ステキな演出でした。
そこからの眺めは広い森の中に浮かんでいる美術館のような錯覚に陥りましたが、
建物の80%が地下に埋め込まれたデザインで、
自然の中に同化した建物という、設計者I.M.ペイ氏のコンセプトだそうです。

            

さて、「根来」の展示ですが、素晴らしい漆器の数々が一堂に集められ、
見ごたえがありました。

中でも松永耳庵旧蔵の「大盤」に圧倒されました。
照明を抑えた暗さの中に、「根来」の妖しいまでの美しさ、
木地の持つ力強さが迫ってきます。何度も引き返して見つめました。

永仁6年(1298年)の東大寺二月堂練行衆盤(日の丸盆)は
練行衆が食事に使った盆ですが、十一枚残っている内の6枚が
会期中に展示されるそうです。
所蔵をみると奈良・東大寺、根津美術館、北村美術館、五島美術館、
MIHO MUSEUMとあり、これらの盆が再会を果たすまでに
どのくらいの時を経ているのでしょうか? 

原三渓旧蔵の「折敷(角切)5枚」(天正14年(1586年)は
盆中の四角部分が黒漆の小振りの折敷です。
この折敷を使って茶事をしている三渓翁を想像したり、
嬉しいお出合いです。
黒澤明監督旧蔵・北村美術館の「輪花盆」や白洲正子旧蔵の「盃」など、
故人を偲ぶ展示品も心に残りました。

           

           

最後に「耀変天目茶碗」(重要文化財、加賀前田家伝来)、
中国・宋時代(11-12世紀)について書いておきます。
こんな耀変天目があったなんて!
びっくりしたり、不思議な魅力に惹きつけられたり・・・でした。

国宝の三つの「耀変天目茶碗」(静嘉堂文庫、藤田美術館、龍光院蔵)
とは全く違う耀変天目で、「第四の耀変天目」と言われているとか。
誰もいない展示室で何度も茶碗の周りを廻わって眺めました。
光りの微妙な変化でピンク、紫、青、黄、緑など虹色の輝きが現れます。
こんな素晴らしい天目茶碗の存在を知らなかったことがショックでした。
「根来」と共にお薦めです。

  2013年 秋季特別展
     朱漆「根来」-中世に咲いた華
     会期:平成25年9月1日~12月15日

     窯変天目茶碗  展示:9月1日~11月17日