マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。』  そして  『御心なら、おできになります。』

2015-01-15 16:40:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。

喧騒のこちらの世界 と 静寂のあちらの世界。
  二つの世界を、歴然と区分けする・・・
                                 『校門』

あちらの世界へ向かう私。                              あちらの世界から出てくる生徒たち。
                   学問の聖域を守るために置かれた『校門』。
『主なる神は、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムときらめく剣の炎を置かれた。』
            校門もケルビムも同じことですね。                        創世記 3章24節


        『命の木に至る道』         まだまだ続きます      『学問の聖域に至る道』
   
 歩いて歩いて。    上って上って。                                              最後の階段を上ると・・・『教室』
                          学問は、命の道。 命へ至る道。 そう思う私です。


    今日は木曜日。 今学期最後の授業です。
           授業時間は1時間40分。 準備周到で奥深い授業は、瞬く間に過ぎてしまいます。
        先生は、大学学長 で 牧師さんでもあります。 
             学長と牧師といえば、両職ともに、人格の問われる仕事ですよね。
     実際には、頭が低く、まじめで、。。。。。。と。 謙遜のお見本の先生です。 聖域の人です。

     こんな『言葉』を、今日、思い出していました。
        『読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。』
      
                                 福沢諭吉:『学問のすすめ』
                    事をなすには、読書をすることが必須の条件。 ということですよね。
            先生の姿を拝見しながら・・・事を成すには、謙遜が必須の条件。 とも思いました。

そして。
今日は15日。 年間第一木曜日。
                                『今日の福音』

 『重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、
     「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります。」    と言った。
              イエスが深く憐れんで、
 手を差し伸べてその人に触れ、 「よろしい。清くなれ」 と言われると、
    たちまち重い皮膚病は立ち去り、その人は清くなった。』
                                  マルコ福音書 1章40~42節 

     私は、こんな風に考えました。 
    イエスは、わたしたちの確信に合わせて働かれる方です。   確信している私です。
    重い皮膚病の人は、 
             「イエスは病者を癒す人」  と。 確信がありました。 
           「自分の皮膚病が直ることが神の御心である」  との 確信はありませんでした。
           確信と不確信の間で・・・
           「もしも自分の皮膚病の完治が神の御心ならば、イエスは自分の皮膚病を必ず治す。」 との確信は、確実にありました。
               その結果
      重い皮膚病の人の祈りは、
            「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります。」  となったのです。
           『イエスへの、絶対なる確信 と 絶対なる信仰。』  に満ちた祈り。 となりました。

同様に。
今日の第一朗読。       『使徒・パウロの言葉』
            『兄弟たち、
私たちは最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、
     キリストに連なる者となるのです。』
                            ヘブライ人への手紙 3章12&14節

         又。私は考えました。         
          イエスへの、最初に抱いた確信を、
    最後までしっかりと持ち続ける。 それが信仰です。
 『信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れることがないように注意しなさい。』  同12節

       
        学問も信仰も、とても地味な作業です。
   『学問は、読書を基礎とする、事をなすの術なり。』  福沢福沢諭吉
   
『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。』
                                         ヘブライ人への手紙 11章1節

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
お人への確信は、信頼が基礎かもしれませんね。 お人と心と心の交流で信頼をお互いに築いてまいりましょう!


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