今日は、単純に、人が人としてあるべき姿で生きるのがいかに難しいかの考察。
旧約聖書。 出エジプト記 19章。
『イスラエルの人々は、エジプトの国を出て、三ヶ月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した。
シナイの荒れ野に着き、荒れ野に天幕を張った。
イスラエルは、そこで、山に向かって宿営した。
モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた。
「今、もしわたしの声に聞き従い わたしの契約を守るならば、
あなたたちはすべての民の間にあって、私の宝となる。
あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる。」』
続けて・・・
旧約聖書。 出エジプト記 20章。
『神はこれらの言葉を告げられた。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」』
続けて・・
神は、 『わたしの契約』 = 『モーセの十戒』 を告げました。
『モーセの十戒』 を要約すれば。
1. わたしのほかに神があってはならない。
2. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4. あなたの父母を敬え。
5. 殺してはならない。
6. 姦淫してはならない。
7. 盗んではならない。
8. 隣人に関して偽証してはならない。
9. 隣人の妻を欲してはならない。
10.隣人の財産を欲してはならない。
『モーセの十戒』 は、
今の時代でも、私たちが社会生活を送る上で、人間として、当たり前のことですよね。
人が、人としていかに生きるべきかの、当たり前の規定ですよね。
続けて・・・
旧約聖書。 出エジプト記 24章。
『モーセは戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、
民は皆、声を一つにして答え、
「私たちは、主が語られた言葉をすべて行います。」 と言った。』
現代の私たちも。
当然のこととして・・・「私たちは、主が語られた言葉をすべて行います。」 と言えますよね。
ところが・・・
当たり前と分かっていても、実践するのは難しい。
当たり前のことが、なぜ難しいのだろう?
今日も一日。
明日の聖書通読会:『聖書100週間』 の予習です。
続けて・・・
旧約聖書。 出エジプト記 32章。
『モーセが身を翻して山を下るとき、
二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。』
『モーセの十戒』 レンブラント作品
『その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。
その板は神自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。』
出エジプト記 32章15&16節
人が人として生活するためには、神が自ら書き記した規定による、『秩序』が必要なのだと教えられます。
人類の発展は、『言語の誕生』によるそうです。
人の成長も、『言語化された契約』 の厳守に因るということでしょう。
以上。
紀元前1250年頃、3265年前の出来事です。
人の心も、人の弱さも、3265年前も今も変わらない。
以上。
聖書通読会の予習をしながら・・・どうしても解けない難問があります。
当たり前のことを実行することが、なぜ難しいのだろう?
『神の宝』 となるには、私の内に、『神への愛』の充満が必須であろう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世界中で『モーセの十戒』が守れたら、世界平和間違いなしですね。 まずは私からスタートです!
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記録
今日・7月9日。 ラン14km。
5時半。23度。 雨の後はむし暑い。 時折の霧雨が心地良い。
7月距離合計: ラン・84㎞
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