9月11日。土曜日。雨のち曇り。
立派です。お見事です。
ご近所さんの庭。
鈴なりの・・・ 『柿の実』

私も育ててみたいな♡♡
『桃栗三年 柿八年』
育てるのは簡単なことではない。
植えて実がなるまでの苦労を思うと、今からの八年間は私には長すぎます。無理です。
せめても・・・ 『富有柿』

店に並び始めた『初物』を買ってきました。
苦労の後に、自分で育てた『初物』を食べるほどの贅沢はなかろう。
せめてもと、
苦労もなく手に入れた『初物』を、農家の方々に感謝しながら、おいしく頂きました。
感謝!感謝!
そして。
今日は9月11日。年間第二十三土曜日。
『今日の入祭唱』
『主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。
主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。』
詩編 27章1節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

「悪い実を結ぶ良い木はなく、
また、良い実を結ぶ悪い木はない。
木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。
茨からいちじくは採れないし、
野ばらからぶどうは集められない。
善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、
悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。
人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。
わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、
なぜわたしの言うことを行わないのか。
わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、
それを行う人が皆、
どんな人に似ているかを示そう。
それは、
地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。
洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、
しっかり建ててあったので、
揺り動かすことができなかった。

しかし、 聞いても行わない者は、
土台なしで地面に家を建てた人に似ている。
川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、
その壊れ方がひどかった。」』
ルカによる福音書 6章43-49節
今日のイエス様は、
『実を見て、その木の良さが分かる。』・・・『人の話す言葉で、その人の心が分かる』
又、
『土台の固い家は、洪水にもびくともしない。』・・・『主の御言葉を行なう者は、信仰が揺らぐことがない。』
と、弟子たちにおっしゃるのです。
イエス様は、イエスの仕事を続けるために、弟子たちを教育します。
弟子たちは、イエスに倣う者となるために『改心』が必要なのです。
神は、すべての人を平等に愛しておられおられる御方、
イエスは、御自分の生活をもって『神の愛』を証しした御方、
私たちは、神の助けなしでは何もできない者である。
それらを認める『改心』が必要なのです。
『改心』ができ、
『信仰』が生まれれば、
弟子たちは、『良い木』になって、『良い実』を結ぶことができるのです。
『堅固な土台』の上に立てた家のように、
どんなことがあっても揺らぐことのない弟子となれるのです。
『良い実』=『愛の実』がなる木となれるのです。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、
父とわたしはその人のところに行き、一緒に住む。』
ヨハネによる福音書 14章23節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
庭は、花もあって、実のなる木もあって、というのが楽しいですね。 お元気で!