マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『希望』・・・春到来 そして  『真の希望はわたしたちを欺くことがありません。』

2020-02-12 11:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月12日。水曜日。晴れ。

我が家にも。
  
 開花が始まった・・・   『しだれ梅』
 

           春到来

 

     美しい桃色に、『希望』 が感じられる。

 

 

そして。

今日は2月12日。年間第五水曜日。

  今日の典礼は、『真の希望』 について語ります。


まずは。
一つ目の希望。

『今日の集会祈願』

『聖なる父よ、
        あなたは倒れていた世界を、
         キリストの死によって、
 

     新しい命に立ち上がらせてくださいました。
信じる者を罪の束縛から解放し、終わりのない喜びを味わわせてください。』


イエスがもたらした『新しい命』 そして イエスと共に『終わりのない喜び』
   これらこそが、人生における 『真の希望』 なのです。


    人の人生は、『希望』 によって成り立つのかもしれません。
 すばらしい伴侶に恵まれて、すばらしい家庭を築いて、社会的地位も得て。等。
希望校に入学して、好きな音楽部に入って、生涯『アマチュアバンド』で活躍する。等。
     それらは『希望』であり 又 『期待』です。
  実現可能かもしれない。 途中で挫折して『失望』に変わるかもしれない。
    それでも。
  人は、『新たな希望・期待』を抱いて、先に進むのです。進めるのです。


一方。

     『真の希望』は、
  『期待』の先にある『絶望』から生じるのかもしれません。
   
  人が抱く『期待』は、自分の力に頼る、常に不確かなものであり、
    人は、『希望・期待』の不確かさゆえに、時に絶望する。
       その結果・・・自分の力による希望ではなく
    『確実性』:『真の希望』 を求めていくのであろう。

 

   『わたしたちは知っているのです。
 苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。    
   希望はわたしたちを欺くことがありません。』
         ローマの信徒への手紙 5章3-5節

  人は、最終的には、欺かれることのない『希望』 に出会って初めて、
       真の幸せに気づくのです。

 

次は。
二つ目の希望。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『父よ、わたしに与えてくださった人々を聖なる者としてください。
       あなたの言葉は真理です。』 
アレルヤ、アレルヤ。         

         『イエスの磔刑前の最後の祈り』 ヨハネ福音書17章17節


   イエスは、この世での最後の『祈り』
  
      永遠に続く『真の希望』 
  を、ご自分を信じる者のために祈りました。

   
      『父よ、時(イエスの磔刑)が来ました。
世から選び出して私に与えてくださった人々(イエスを信じる者・キリスト者)は、
        御言葉を守りました。
彼らは、私が御元から出て来たことを本当に知り、
        あなたが私をお遣わしになったことを信じました。

     父よ、彼らのためにお願いいたします。
真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの言葉は真理です。
    彼らを、私のいるところに、共におらせてください。
私に対するあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるようになるためです。

                 ヨハネ福音書 17章1-26節


    『真の希望』は、 
      私たちが信仰により聖なる者にしていただき、
  その後に得る 『イエスと共にいる』:『永遠の命』 です。

  この世において生きている間も、この世の生を終え神の国においても、
        『イエスと共にいる』 ことは、
 神が与えてくださる、決して欺かれることのない、『真の希望』なのです。

 

最後に。
三つ目の希望。

     

『今日の福音 イエスの御言葉

   『そのとき、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。
 

     「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。

  外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、
    人の中から出てくるものが、人を汚すのである。

   すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができない。
それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。

     人の中から出てくるものこそ、人を汚す。
   
中から、つまり人間の心から、悪い思いが出てくるからである。

みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など。
    これらの悪はみな中から出てきて、人を汚すのである。」』
         マルコ福音書 7章14-23節


イエスの時代。

  ユダヤ人は律法に乗っ取り、先に身を清めてから、食事を始めました。
   一方。
イエスの弟子たちは、身を清めるどころか、手も洗わないで、食事を始めることもありました。

   
   ユダヤ人たちは、衛生面だけでなく、
手を洗わないで食事をすることは、『信仰に反すること』:『罪』であると教えられたのです。
  一方。
イエスは、
食べ物は『人の体』に入り外に出され、『人間の心』に入るのではない。信仰に関係がない。
心から出る弱さ、悪いこと・・・『心』が信仰に関係があるのだ。 と言われました。


        『人はパンだけで生きるのではない。
   
         神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』
    
             マタイ福音書 4章4節


     『信仰=真の希望』 を得るために、
弱い人間は、いつも心を清めるために、『改心』&『回心』しなければなりません。
 『改心』&『回心』を妨げる悪いものは、私たちの心の中に住むのです。
  形式的なことでなく、『心』の持ち方を大切にしなければならない。
                 と、イエスはおっしゃるのです。

   大丈夫!
   神が、私たちが望めば、私たちの心を清くしてくださいます!
      『真の希望』を持っていましょう!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
春遠からじ。梅が咲き、櫻が咲く春はもうすぐです。 お元気で!