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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『再びヨルダンの向こう側に行った』・・・原点にもどってみる

2014-04-11 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日・4月11日は金曜日。 聖書三昧の一日です。 早朝と午前と午後の三連チャン。
聖書は、人生を渡る、『ハウツー本』 と言えるかもしれません。

早朝。
『今日の御言葉』。 そして ミサ。
『イエスは、ヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所に行って、そこに滞在された。』
                                      ヨハネ福音書 10章40節
私は考えましたね。
イエスが、どのように説明しても、ユダヤ人が理解してくれない。 あげくの果ては・・・
『ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。』(ヨハネ福音書10章39節)
さすが! イエスは賢い! と思いましたね。
イエスは、どうしても分かってくれない人たちを…説得するよりも、いったんは身を引いて、宣教を始めた原点の場所に戻られた。

    宣教(あるいは物事)がうまくいかない時は・・・『負けて勝つ!』
あれこれと更なる行動を起すよりも、引いて、原点に立ち戻って考え直す。 宣教の場合は原点である聖書に戻って考え直す。
     ・・・『引いて…原点に戻って、全体を見る』ことが得策。 イエスは私たちに教えたいのではないかな? 


そして
午前中。 聖書深読クラス。
『今日の聖書』
『蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことが教えられる。
実は、話すのはあなた方ではなく、あなた方の中で語ってくださる、父の霊である。』
                                      マタイ福音書 10章16&19&20節
講師の話。
「宣教とは、語ることではないのです。 信仰を生きることです。
『わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です。』(コリントⅠ 3章6節)
宣教とは、蛇のように賢く神を認識して、鳩のように素直に神に信頼して、あなたの信仰を生きる姿を、人に見せることです。
あなたの信仰を生きる日々の生活の姿を、お人が見て、「神様は確かにおられるのかもしれない!」と思わせることです。」

    人を動かす得策は・・・『自己主張より・・・背中を見せる!』

続けて
午後。 聖書通読・聖書100週間クラス。
『今日の聖書』 
『主イエスは、引き渡される夜、
パンを取り、引き裂き、「これは、あなた方のためのわたしの体である。」
又、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。」
だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。』
                                           コリントⅠ 11章23~26節
わたしの感想発表。
「ミサでパンと御血を頂く者の責任は、大きい。 拝受する毎に責任が増す。 救われたに者は、お人を救う義務が生じます。
世の終わりまで、キリスト再臨の時まで、キリストの救いの福音を述べ伝えることが、わたしの喜びにならねばなりません。」

     『救い』と『宣教』 も 『納得と成功』 も 『表裏一体』。 一方だけでは成立たない。ということです。

以上。 
今日は、宣教のノウハーを学ぶ一日でした。 うれしや!うれしや! と。喜んでいることが一番の得策のようですよ!
旦那は、桜残る美しいコースでゴルフの一日。 楽しかったな~! と。 喜ぶ夫は人生の達人かも? 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 いつも喜んでいてください! 喜びは広がっていきます!

追記。
NEWS速報! 
『憲法9条をノーベル平和賞に推した「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会に、ノルウェー・オスロのノーベル委員会から推薦を受理したとの連絡』  
  嬉しい!  ノーベル平和賞授賞式に国民全員で出席したいものですね!  嬉しい!