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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

補習授業…公開講座

2012-12-21 12:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
補習授業 を受けることになりました。 暮も差し迫った、12月21日。

補習授業と云えば…
成績が芳しくなくて進級できない。 追試の前に、少し足りない学力を、先生に補足して頂く。 というイメージ。
私の今回の補習授業は…
私の性格らしく?ちょいまじめ。 私用で抜けてしまった聖書講座を、そのままには出来ない。 聞き逃せない私。


ということで…
友人が集まって、講師においで頂き、私の抜けた講座の補習授業を受ける。 という幸運に恵まれました。という…『有難い補習授業』の話です。

しかも…
       テーマは、『ユダ と ペテロ』。  人間の姿を象徴する二人です。 興味の尽きない存在の二人です。


 講義の始まり。

以下。
まずは…。ユダとペテロのプロフィールの御紹介。  聖書が語るままに。

両者ともに、イエスの十二弟子のひとりです。 イエスが、自分の弟子にと、選んだ二人です。

『ユダ』のプロフィール:

ユダは、イエスを、銀貨30枚で、ゲッセマニの園での接吻を合図に、司祭長たちに、売って、引き渡した弟子。イエスを裏切った弟子。
『金入れを預かっていた』(ヨハネ福音書13章29節)、イエスと弟子たちの 『会計係』 の弟子でした。


     『ユダの接吻』

ジョット・ディ・ボンドーネ作品。  1305年
ローマ軍がイエスを捉えようと踏み込んできたところで…
イエスを抱き接吻して、ローマ軍に合図するユダ。

ユダは・・・
『祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、いくらくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨30枚を支払うことにした。』
                    マタイ福音書26章15節
『イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのがその人だ。捕まえて逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。』
                   マルコ福音書 14章44節



『ペテロ』のプロフィール:

ペテロは、裏切らない約束にもかかわらず、三度『「そんな人は知らない」と誓った。』(マルコ福音書14章71節)弟子。イエスを裏切った弟子。
イエスが、『わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。』(マタイ福音書4章19節)、第一番目に召された弟子です。
十二弟子の 『代表者』 として、常に筆頭に名前を記載され、イエスとかかわりを持った弟子でした。


     『聖ペテロの否認』

レンブラント作品。   1660年  アムステルダム国立美術館

『イエスは言われた。「ペテロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」』
   ・・・・・・                          
『人々はイエスを捕えて、引いて行き、大祭司の家に連れて行った.ペテロは遠く離れて従った。
   ・・・・・・
するとある女中が、ペテロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、
「この人も一緒にいました」と言った。
しかし、ペテロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。』
                            ルカ福音書22章34説&54節  


      横道それて…。
  Tea Time。   Coffee Breake。 一休み。


レンブラントは、『光の芸術家』  と云われます。
レンブラントは、
ペテロの顔を、蝋燭によって、効果的に浮かびあがらせ、「私は知らない」と答える場面を、巧みに描きました。
そして同時に・・・
闇の中の小さな光で、『人の心の弱さ』 を描くことに、成功しました。

光源は、手のひらに隠され、こぼれ出るその光だけで、光源の存在を、表現しました。
「ペテロの表情が乏しい」という評もある絵画ですが・・・
とまどいを見せたら、かえって疑われてしまったでしょう。と。 無表情で、嘘を隠そうとしたペテロを描き出すのに、成功しました。
               以上。 『聖ペテロの否認』の説明。 ネットより拝借



結末は・・・


ユダは:
『イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長や長老たちに返そうとして、
「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。
しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。
そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。』
                  マタイ福音書 27章3~5節

ペテロは:
『ペテロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。
まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
主は振り向いてペテロを見つめられた。
ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。
そして外に出て、激しく泣いた。』
                  ルカ福音書 22章61節


以上。  聖書より、ユダとペテロのプロフィール紹介でした。


以下。
講師の見解。 『ユダとペテロ』 の解説です。 いつものように、簡潔明瞭です。


「ユダもペテロも、
 自分たちの裏切りの経験から、心から、自分の弱さを認め…イエスを主と認め、イエスを愛する者となりました。


『会計係』を任されていた賢いユダは、連れて行かれる『イエスの従順な姿』 を見た瞬間に…
ユダは、回心し、イエスへの信頼と愛に満ちたユダに変身。 しました。

イエスのペテロに向けた、 『イエスの愛に満ちたまなざし=『威厳に満ちたまなざし』 は…
ペテロを、一瞬にして、回心に導き、イエスの愛に向かわせました。



彼らの「裏切り」は、どの人間もが持つ、『人間の弱さ』による「失敗」とも言えます。
彼らの弱さは、逆に言えば、自分だけは大丈夫という「自信過剰」であった。とも言えます。


そして二人は・・・


 自分たちの裏切りの経験の後…心から自分の弱さを認め…イエスを主と認め…自分たちのイエスへの愛を『証明』しました。


その『証明』の方法。 二人は違う形をとりました。


ユダは、
イエスへの愛と申し訳なさを、 『自殺』で、 『証明』しました。
   『ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。』

『自殺』行為は、ユダが、まだ、『イエス』以上に『自分』を選択、 した。愛した。 ということです。
 
”イエスへの愛と償いを、自殺でしか証明できない!” ということは、反対に、”生き恥はさらせられない!” ということでもあります。
世間からの批判や軽蔑から、逃げた。  『自分』を捨て切れなかった。 ということです。

キリストに従うものとしての目標=『脱自』を完結するには、至らなかった。 『自分』を守った。 ということです。
  ユダは…『神に任せられない自分』を残した。 ということです。 



ペテロは、
イエスへの愛と申し訳なさを、 完全なる『脱自』で、 『証明』しました。
     『そして外に出て、激しく泣いた。』

”恥ずかしい!””皆の軽蔑の目から自殺でもして逃れたい!” 等々。 『自分の思い』が沢山にあったことでしょう。
しかし・・・
完全に『自分』への愛を捨てて…
穴があったらもぐり込んで、世間の目から隠したい自分の『恥ずかしい身と心』を、自殺によって自ら抹殺するのではなく・・
『恥ずかしい身と心』を、神にゆだねました。 神の采配に託しました。 『脱自』しました。『悟り』ました。

ペテロは、『脱自』=『神の器』 になることに 成功した。 ということです。

ペテロは、自分の『経験』を、自身の信仰を深める『機会』としました。  浄化したということです。『悟り』です。
ペテロは…自分を捨て…『神に自分を完全に任せる』ことに成功。 したということです。  


人は、
ペテロのように、人からの軽蔑すらからも逃げずに、甘んじて受けるときに、必ず、謙遜になれる。
もし、私たちが心から『謙遜』になれれば、自己から離れて『脱自』に進歩していける。 『神の器』になれる。3つの『キーワード』


と。 

以上。
私の補習授業・公開講座。 ほんの一部でございました。  お粗末様でございました


皆様!
ご訪問に そして 御拝聴に感謝申し上げます。 『経験』を『進歩』へと前進させましょう!