補習授業 を受けることになりました。 暮も差し迫った、12月21日。
補習授業と云えば…
成績が芳しくなくて進級できない。 追試の前に、少し足りない学力を、先生に補足して頂く。 というイメージ。
私の今回の補習授業は…
私の性格らしく?ちょいまじめ。 私用で抜けてしまった聖書講座を、そのままには出来ない。 聞き逃せない私。
ということで…
友人が集まって、講師においで頂き、私の抜けた講座の補習授業を受ける。 という幸運に恵まれました。という…『有難い補習授業』の話です。
しかも…
テーマは、『ユダ と ペテロ』。 人間の姿を象徴する二人です。 興味の尽きない存在の二人です。
講義の始まり。
以下。
まずは…。ユダとペテロのプロフィールの御紹介。 聖書が語るままに。
両者ともに、イエスの十二弟子のひとりです。 イエスが、自分の弟子にと、選んだ二人です。
『ユダ』のプロフィール:
ユダは、イエスを、銀貨30枚で、ゲッセマニの園での接吻を合図に、司祭長たちに、売って、引き渡した弟子。イエスを裏切った弟子。
『金入れを預かっていた』(ヨハネ福音書13章29節)、イエスと弟子たちの 『会計係』 の弟子でした。
『ユダの接吻』

ジョット・ディ・ボンドーネ作品。 1305年
ローマ軍がイエスを捉えようと踏み込んできたところで…
イエスを抱き接吻して
、ローマ軍に合図するユダ。
ユダは・・・
『祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、いくらくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨30枚を支払うことにした。』
マタイ福音書26章15節
『イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのがその人だ。捕まえて逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。』
マルコ福音書 14章44節
『ペテロ』のプロフィール:
ペテロは、裏切らない約束にもかかわらず、三度『「そんな人は知らない」と誓った。』(マルコ福音書14章71節)弟子。イエスを裏切った弟子。
イエスが、『わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。』(マタイ福音書4章19節)、第一番目に召された弟子です。
十二弟子の 『代表者』 として、常に筆頭に名前を記載され、イエスとかかわりを持った弟子でした。
『聖ペテロの否認』

レンブラント作品。 1660年 アムステルダム国立美術館
『イエスは言われた。「ペテロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」』
・・・・・・
『人々はイエスを捕えて、引いて行き、大祭司の家に連れて行った.ペテロは遠く離れて従った。
・・・・・・
するとある女中
が、ペテロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、
「この人も一緒にいました」と言った。
しかし、ペテロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。』
ルカ福音書22章34説&54節
横道それて…。
Tea Time。

Coffee Breake。 一休み。
レンブラントは、
『光の芸術家』
と云われます。
レンブラントは、
ペテロの顔を、蝋燭によって、効果的に浮かびあがらせ
、「私は知らない」と答える場面を、巧みに描きました。
そして同時に・・・
闇の中の小さな光で、『人の心の弱さ』 を描くことに、成功しました。
光源は、手のひらに隠され、こぼれ出るその光だけで、光源の存在を、表現しました。
「ペテロの表情が乏しい」という評もある絵画ですが・・・
とまどいを見せたら、かえって疑われてしまったでしょう。と。 無表情で、嘘を隠そうとしたペテロを描き出すのに、成功しました。
以上。 『聖ペテロの否認』の説明。 ネットより拝借
結末は・・・
ユダは:
『イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長や長老たちに返そうとして、
「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。
しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。
そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。』
マタイ福音書 27章3~5節
ペテロは:
『ペテロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。
まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
主は振り向いてペテロを見つめられた。
ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。
そして外に出て、激しく泣いた。』
ルカ福音書 22章61節
以上。 聖書より、ユダとペテロのプロフィール紹介でした。
以下。
講師の見解。 『ユダとペテロ』 の解説です。 いつものように、簡潔明瞭です。
「ユダもペテロも、
自分たちの裏切りの経験から、心から、自分の弱さを認め…イエスを主と認め、イエスを愛する者となりました。
『会計係』を任されていた賢いユダは、連れて行かれる『イエスの従順な姿』 を見た瞬間に…
ユダは、回心し、イエスへの信頼と愛に満ちたユダに変身。 しました。
イエスのペテロに向けた、 『イエスの愛に満ちたまなざし=『威厳に満ちたまなざし』 は…
ペテロを、一瞬にして、回心に導き、イエスの愛に向かわせました。
彼らの「裏切り」は、どの人間もが持つ、『人間の弱さ』による「失敗」とも言えます。
彼らの弱さは、逆に言えば、自分だけは大丈夫という「自信過剰」であった。とも言えます。
そして二人は・・・
自分たちの裏切りの経験の後…心から自分の弱さを認め…イエスを主と認め…自分たちのイエスへの愛を『証明』しました。
その『証明』の方法。 二人は違う形をとりました。
ユダは、
イエスへの愛と申し訳なさを、 『自殺』で、 『証明』しました。
『ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。』
『自殺』行為は、ユダが、まだ、『イエス』以上に『自分』を選択、 した。愛した。 ということです。
”イエスへの愛と償いを、自殺でしか証明できない!” ということは、反対に、”生き恥はさらせられない!” ということでもあります。
世間からの批判や軽蔑から、逃げた。 『自分』を捨て切れなかった。 ということです。
キリストに従うものとしての目標=『脱自』を完結するには、至らなかった。 『自分』を守った。 ということです。
ユダは…『神に任せられない自分』を残した。 ということです。
ペテロは、
イエスへの愛と申し訳なさを、 完全なる『脱自』で、 『証明』しました。
『そして外に出て、激しく泣いた。』
”恥ずかしい!””皆の軽蔑の目から自殺でもして逃れたい!” 等々。 『自分の思い』が沢山にあったことでしょう。
しかし・・・
完全に『自分』への愛を捨てて…
穴があったらもぐり込んで、世間の目から隠したい自分の『恥ずかしい身と心』を、自殺によって自ら抹殺するのではなく・・
『恥ずかしい身と心』を、神にゆだねました。 神の采配に託しました。 『脱自』しました。『悟り』ました。
ペテロは、『脱自』=『神の器』 になることに 成功した。 ということです。
ペテロは、自分の『経験』を、自身の信仰を深める『機会』としました。 浄化したということです。『悟り』です。
ペテロは…自分を捨て…『神に自分を完全に任せる』ことに成功。 したということです。
人は、
ペテロのように、人からの軽蔑すらからも逃げずに、甘んじて受けるときに、必ず、謙遜になれる。
もし、私たちが心から『謙遜』になれれば、自己から離れて『脱自』に進歩していける。 『神の器』になれる。
3つの『キーワード』
と。
以上。
私の補習授業・公開講座。 ほんの一部でございました。 お粗末様でございました
皆様!
ご訪問に そして 御拝聴に感謝申し上げます。 『経験』を『進歩』へと前進させましょう!
補習授業と云えば…
成績が芳しくなくて進級できない。 追試の前に、少し足りない学力を、先生に補足して頂く。 というイメージ。
私の今回の補習授業は…
私の性格らしく?ちょいまじめ。 私用で抜けてしまった聖書講座を、そのままには出来ない。 聞き逃せない私。
ということで…
友人が集まって、講師においで頂き、私の抜けた講座の補習授業を受ける。 という幸運に恵まれました。という…『有難い補習授業』の話です。
しかも…
テーマは、『ユダ と ペテロ』。 人間の姿を象徴する二人です。 興味の尽きない存在の二人です。
講義の始まり。
以下。
まずは…。ユダとペテロのプロフィールの御紹介。 聖書が語るままに。
両者ともに、イエスの十二弟子のひとりです。 イエスが、自分の弟子にと、選んだ二人です。
『ユダ』のプロフィール:


『ユダの接吻』

ジョット・ディ・ボンドーネ作品。 1305年
ローマ軍がイエスを捉えようと踏み込んできたところで…
イエスを抱き接吻して

ユダは・・・
『祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、いくらくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨30枚を支払うことにした。』
マタイ福音書26章15節
『イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのがその人だ。捕まえて逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。』
マルコ福音書 14章44節
『ペテロ』のプロフィール:



『聖ペテロの否認』

レンブラント作品。 1660年 アムステルダム国立美術館
『イエスは言われた。「ペテロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」』
・・・・・・
『人々はイエスを捕えて、引いて行き、大祭司の家に連れて行った.ペテロは遠く離れて従った。
・・・・・・
するとある女中

「この人も一緒にいました」と言った。
しかし、ペテロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。』
ルカ福音書22章34説&54節
横道それて…。
Tea Time。



レンブラントは、


レンブラントは、
ペテロの顔を、蝋燭によって、効果的に浮かびあがらせ

そして同時に・・・
闇の中の小さな光で、『人の心の弱さ』 を描くことに、成功しました。
光源は、手のひらに隠され、こぼれ出るその光だけで、光源の存在を、表現しました。
「ペテロの表情が乏しい」という評もある絵画ですが・・・
とまどいを見せたら、かえって疑われてしまったでしょう。と。 無表情で、嘘を隠そうとしたペテロを描き出すのに、成功しました。
以上。 『聖ペテロの否認』の説明。 ネットより拝借

結末は・・・
ユダは:
『イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長や長老たちに返そうとして、
「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。
しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。
そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。』
マタイ福音書 27章3~5節
ペテロは:
『ペテロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。
まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
主は振り向いてペテロを見つめられた。
ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。
そして外に出て、激しく泣いた。』
ルカ福音書 22章61節
以上。 聖書より、ユダとペテロのプロフィール紹介でした。
以下。
講師の見解。 『ユダとペテロ』 の解説です。 いつものように、簡潔明瞭です。
「ユダもペテロも、

『会計係』を任されていた賢いユダは、連れて行かれる『イエスの従順な姿』 を見た瞬間に…
ユダは、回心し、イエスへの信頼と愛に満ちたユダに変身。 しました。
イエスのペテロに向けた、 『イエスの愛に満ちたまなざし=『威厳に満ちたまなざし』 は…
ペテロを、一瞬にして、回心に導き、イエスの愛に向かわせました。
彼らの「裏切り」は、どの人間もが持つ、『人間の弱さ』による「失敗」とも言えます。
彼らの弱さは、逆に言えば、自分だけは大丈夫という「自信過剰」であった。とも言えます。
そして二人は・・・

その『証明』の方法。 二人は違う形をとりました。
ユダは、
イエスへの愛と申し訳なさを、 『自殺』で、 『証明』しました。
『ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。』
『自殺』行為は、ユダが、まだ、『イエス』以上に『自分』を選択、 した。愛した。 ということです。
”イエスへの愛と償いを、自殺でしか証明できない!” ということは、反対に、”生き恥はさらせられない!” ということでもあります。
世間からの批判や軽蔑から、逃げた。 『自分』を捨て切れなかった。 ということです。
キリストに従うものとしての目標=『脱自』を完結するには、至らなかった。 『自分』を守った。 ということです。
ユダは…『神に任せられない自分』を残した。 ということです。
ペテロは、
イエスへの愛と申し訳なさを、 完全なる『脱自』で、 『証明』しました。
『そして外に出て、激しく泣いた。』
”恥ずかしい!””皆の軽蔑の目から自殺でもして逃れたい!” 等々。 『自分の思い』が沢山にあったことでしょう。
しかし・・・
完全に『自分』への愛を捨てて…
穴があったらもぐり込んで、世間の目から隠したい自分の『恥ずかしい身と心』を、自殺によって自ら抹殺するのではなく・・
『恥ずかしい身と心』を、神にゆだねました。 神の采配に託しました。 『脱自』しました。『悟り』ました。
ペテロは、『脱自』=『神の器』 になることに 成功した。 ということです。
ペテロは、自分の『経験』を、自身の信仰を深める『機会』としました。 浄化したということです。『悟り』です。
ペテロは…自分を捨て…『神に自分を完全に任せる』ことに成功。 したということです。
人は、
ペテロのように、人からの軽蔑すらからも逃げずに、甘んじて受けるときに、必ず、謙遜になれる。
もし、私たちが心から『謙遜』になれれば、自己から離れて『脱自』に進歩していける。 『神の器』になれる。


と。
以上。
私の補習授業・公開講座。 ほんの一部でございました。 お粗末様でございました

皆様!
ご訪問に そして 御拝聴に感謝申し上げます。 『経験』を『進歩』へと前進させましょう!
