
神戸女学院大学自習室:静かな空間・・・授業でこんがらがった思考回路を解きほぐしてくれます

『行間を読む』
良く使う言葉ですよね。
文字の上では表現されていない、筆者の真意や意向を読み取ること。 でしょうか?
今日の、大学の『聖書学』の授業、の素晴らしかったこと!
”これでこそ!大学の勉強だな~~” って、深い感激でした。
ヨブ記1章の2節~7節の、たったの6節・12行を読みとるのに・・
1時間半の授業が使われました。 それでも私の頭はもっと知りたがっています。
先生は・・・
1行1行の文字となった言葉に隠されている意味を、読み取っていきます。
正に、『行間を読み取る』 のです。
日本語の聖書の一行一行を・・・日本語で。 英語訳で。 ラテン語訳で。
と・・各語が持つ違いを、読み取っていきます。
私が続ける聖書通読は・・文字に託された『神の意向』を読みとるのが、主なることです。
私が大学で学ぶ聖書学は・・文字に託された『行間の意味』を読みとっていきます。
結論では・・・『神の意向』 と 『行間の意味』は、重なると思います。
文字としてのラテン語の、本来の言語の意味を学びます。
聖書の世界では、『3』『7』『12』は、完全数。 完全や完成を表す。
『ヨブは7人の息子と3人の娘を持ち、羊7千匹、ラクダ3千頭、牛5百くびき、雄ろば5百頭の財産があり、』
(ヨブ記1章2節)
7と3と7と3と完全数が続き・・完全なヨブを表しているのでしょう。
なのに・・5と5の不完全数が出てきて・・完全なヨブのイメージがずっこける

人間であるヨブが・・完全な人間であるはずがない。
神でない信仰者は・・完全でなく、はみ出していていい。
・・・のだとして、不完全数を加えたのではないか?
『ある日、主の前に神の使い達があつまり、サタンも来た。』(ヨブ記1章6節)
『ある日、』の言語は・・。
ラテン語では、”ハ・ヨーム”で "The Day"、“その日” と訳すべきなのに・・・
英語では、"One day" であり、日本語では”ある日”であり、おかしい。
『意訳』がされるようになってきたのは・・黙示文学が発展しはじめ
・・・・・何々で・・・・何々で・・・。
と、授業が、西洋歴史に広がっていく。
ってな具合で・・授業は、途切れることなく、1時間半は、瞬く間に終わります。
私は・・分かったのだけど・・頭がこんがらがった

先生の言葉を・・頭に留め・・反すうに反すうを重ね消化するのに・・6日日間かかった

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『Let there be light』


『Let there be light』 『フィアットルクス』(ラテン語)
『神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。』(創世記1章3節)
『行間を読む』 これこそ・・学問の真髄でしょうか?
『光』を当ててもらいながら・・行間の『光』を探す。
聖書が書きたいと思っていることを、私の想像で補って読んでいく。
果てしなく続く聖書解読の道。。。一歩一歩。。。面白くて仕方ない
