夫が勤めていた会社の前社長から会長になられた方が、72才で引退。
その後、今までの経済の世界から離れられ、経験も勉強もしたことのない薬学の世界で勉強を始められました。
そして10年の研究生活の結果、この度82才になった今年4月に、『糖尿病性白内障の薬物使用について』で薬学博士となられました。
お話を聞く機会がありました。
「実業界と研究の世界は、全くの違う空気が流れています。
実業界は、相手が通じる言葉で話し、コミュニケーションがとれる。
自然界の相手の世界は、私のモルモットと向き合う世界は、相手がしゃべれない.
コミュニケーションがとれないのです。
自然界相手で、こちらがいろいろの手段をこうじて相手を動かすのだが、そこには嘘も誇張も全くないのです。 出る答えは、極めて厳正であるのです。
どちらの世界が、いいとか悪いとかというのではない。 全く違う世界に入っていきました。
不治の病と、その病の方を薬で助ける方法、に対する思いがありました。
薬について、何か世の中の役に立ちたい、という気持ちがず~とありました。
定年後は、一人で出来ることしたいという気持ちもありました。
その二つの気持ちを実現させるのは、勉強をすることであり、薬学にしようと決めたのです。
息子の年と同じ年齢の大学の先生、との素晴らしい出会いがありました。
先生のお陰で、今日を迎えられました。
決意をどこまで貫けるかと不安がありましたが、年齢の差は学問の世界に関係がない。 熱情だけが問われるのだと、先生に教えられました。
孫娘の高等学校の科学ⅠⅡの教科書の勉強に一年かけ、頭を少し理科系にし、
それから専門に進んで行きました。」
10年間かけて82才で、薬学博士になれた気持ちも語られました。
「達成感と、満足感と、安心感で一杯です。
ねばり強く開発したのは、一生の宝です。
体が引き締まり、鳥肌がたつ思いです。感動しました。」
定年後、15年間の趣味であったヘブライ語の研究のために、イスラエルに旅立つ医者の友人。
定年後、未知の薬学の世界に入り、10年かけて世界で初めての研究を完成し、薬学博士になった鉄鋼会社の社長。
老後の「自分の人生」を歩む二人の方の話しを、続けてきく機会に恵まれました。
この機会が与えられたのは、「何か始めなさい」との、神から私への呼びかけなのかしら
何を始めましょうか?
その後、今までの経済の世界から離れられ、経験も勉強もしたことのない薬学の世界で勉強を始められました。
そして10年の研究生活の結果、この度82才になった今年4月に、『糖尿病性白内障の薬物使用について』で薬学博士となられました。
お話を聞く機会がありました。
「実業界と研究の世界は、全くの違う空気が流れています。
実業界は、相手が通じる言葉で話し、コミュニケーションがとれる。
自然界の相手の世界は、私のモルモットと向き合う世界は、相手がしゃべれない.
コミュニケーションがとれないのです。
自然界相手で、こちらがいろいろの手段をこうじて相手を動かすのだが、そこには嘘も誇張も全くないのです。 出る答えは、極めて厳正であるのです。
どちらの世界が、いいとか悪いとかというのではない。 全く違う世界に入っていきました。
不治の病と、その病の方を薬で助ける方法、に対する思いがありました。
薬について、何か世の中の役に立ちたい、という気持ちがず~とありました。
定年後は、一人で出来ることしたいという気持ちもありました。
その二つの気持ちを実現させるのは、勉強をすることであり、薬学にしようと決めたのです。
息子の年と同じ年齢の大学の先生、との素晴らしい出会いがありました。
先生のお陰で、今日を迎えられました。
決意をどこまで貫けるかと不安がありましたが、年齢の差は学問の世界に関係がない。 熱情だけが問われるのだと、先生に教えられました。
孫娘の高等学校の科学ⅠⅡの教科書の勉強に一年かけ、頭を少し理科系にし、
それから専門に進んで行きました。」
10年間かけて82才で、薬学博士になれた気持ちも語られました。
「達成感と、満足感と、安心感で一杯です。
ねばり強く開発したのは、一生の宝です。
体が引き締まり、鳥肌がたつ思いです。感動しました。」
定年後、15年間の趣味であったヘブライ語の研究のために、イスラエルに旅立つ医者の友人。
定年後、未知の薬学の世界に入り、10年かけて世界で初めての研究を完成し、薬学博士になった鉄鋼会社の社長。
老後の「自分の人生」を歩む二人の方の話しを、続けてきく機会に恵まれました。
この機会が与えられたのは、「何か始めなさい」との、神から私への呼びかけなのかしら

何を始めましょうか?
