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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『国民のために働く内閣』に終止符。 そして 『人の子は安息日の主である。』

2021-09-04 14:10:47 | 日々のこと。 世界のこと。
9月4日。土曜日。雨時々曇り。

昨日3日。
管首相退陣。
総裁選出馬を断念。

            『秋の味覚 新もの』
 
 東日本大震災 以来10年、
 被災に遭った東日本から信州に移り住んで始めた若い友人の『ぶどう園』も10年になりました。
       
      新しいことを初めて、挑戦して、10年。 
      汗水流して、膨大なエネルギーを費やして、
      今年も『新もの』が出来上がりました。
        立派です。お見事です。

一方。

         『国民のために働く内閣』
                     をうたって始めた管内閣。
   『コロナ対策と総裁選挙活動は膨大なエネルギーが必要で両立はできない。
      国民に約束しているコロナの感染防止に専念したい。』
                     と言って一年程で終止符を打った管内閣。


        次の総裁選投開票日は、26日後の、9月29日。
      次期総裁は、『何』をうたって始めるのでしょうか?
   国民のために持てるエネルギーを最大限活用する内閣ができてほしいものです。
          "One for all, all for one."
    国民を信頼して、国民全員で、『すばらしい日本』を造ってまいりましょう。



そして。

今日は9月4日。年間第二十二土曜日。

『今日の入祭唱』

  『新しい歌を主に向かって歌え。
   主は驚くべき御業を成し遂げられた。
 右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
        詩編 98章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』
   
   『ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、
     弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。
    
       ファリサイ派のある人々が、
 「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」 と言った。

       イエスはお答えになった。
   ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、
        読んだことがないのか。
          神の家に入り、
  ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、
       供の者たちにも与えたではないか。」

        そして、彼らに言われた。
      「人の子は安息日の主である。」』
         ルカによる福音書 6章1-5節


     今日のイエス様は、
     『安息日』の、本来の精神について語りました。
      それは、
        『神を愛し、隣人に愛情をかける日』
    律法の精神である『愛神愛隣』を『実行する日』なのです。


   旧約時代は、
      『律法』を守ることによって、神からの『救い』が得られるとされ、
      『安息日』は救いを与えてくださる『神に感謝する日』でした。
       

 ところが、

     ファリサイ派の学者の人々は、
     『律法』に、自分たちが考えた『規則』をつけ加えて、
      両方を守るように、人々に教えていました。 
   
    『律法』に加えて『規則』を守ることによって、『救い』が得られるとし、
    『救い』は、自分たちの『行い』によって得られると思うようになっていったのです。
      そして、『安息日』は 『何もしてはいけない日』、と決めたのです。
        
   
   イエスの時代になって、
      イエス様はおっしゃるのです。
    ※人間が大切にしている、行動をしない日:『安息日』を守るより、
『安息日』に、飢えた人に麦を与え、困った人に助けを差し出し、『愛の行動』をする方が、神を喜ばせる。※
      ・・・と。 『新しい考え方』をイエス様は教えるのです。


   『安息日』は、人間の喜びのために作られたのだと、イエス様はおっしゃるのです。

     実際に、
     イエス様は、人間が救いと喜びを得るために、
     ご自分は『苦しみと死』を受け入れました。
        
     そして、
     弟子たちは、
       イエスの復活があった日・日曜日を、
          『安息日』として、
 『神の救い』を実現してくださったイエス・キリストに『感謝する日』としてきたのです。
    正に、イエス・キリスト様こそ『安息日の主』なのです。
        

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』
       ヨハネによる福音書 14章6節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
どなたも、汗水垂らして自分の仕事に邁進するお姿は、気高く、美しいものですね。
そして今日は土曜日。少しゆっくりなさって、来週の英気を養ってください。 お元気で!


市民運動・・・『敷地周辺の清掃実施』 そして 『聖グレゴリオ一世教皇教会博士 記念日』・・・『花婿が奪い取られる時、彼らは断食することになる。』

2021-09-03 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
9月3日。金曜日。雨。

                 『夏の名残』
 

         『最後の朝顔』 が美しい。

     ご近所の『朝顔』地点までウォーキングから戻ってきたとき、
          雨が降り出しました。
         雨も、すでに『秋雨』です。


ウォーキング途中・・・
こちらもご近所。

             『新築建設中』      
     

      建築会社の大きな『のぼり』が立っています。

          『10分間清掃運動実施
            13時~13時10分
         毎週金曜日 敷地周辺の清掃実施』

         今日は金曜日。
         午後・13時に雨が止んでいたら
        私も周辺清掃に参加しましょうかしら?


       『のぼり』 を見ながら、思い出しました。

     あれは、学生時代だったかしら? 新婚時代だったかしら? 
          もう50年ほども前でしょうか?
     当時の東大総長が『草の根運動』(記憶が不確かです)を始めました。
       自分の家の周りの掃除や道路のゴミ拾いなど。
     そこから全てが始まるとか何とか、言われていたように思い出します。
       市民活動や住民運動の始まりだったでしょうか。


          なんでも一緒に! 
     というのは、今風でなく、最近では困りものでもあったりするようです。
        でも、自宅玄関前を掃除のついでに、周辺道路も掃除。
           心遣いは、尊いことであり、美しい。


         今日も、温かい心遣いと協力で、
      素敵なご近所、日本、世界、を造っていきたいものです。


そして。

今日は9月3日。年間第二十二金曜日。

      『聖グレゴリオ一世教皇教会博士 記念日』
               

        西方教会博士の中の一人。
 
 540年。 ローマにまれる。
       母シルヴィアは、聖女の列に加えられており、
       又 貴族であり、ローマ市長官であった父は、
        グレゴリオの誕生後は、一介の聖職者となった。
       二人の血を承けたグレゴリオは、信心に厚く聖徳に秀でていました。

 570年。30歳。ユスチノ皇帝の信任を受けて、ローマ市長に任命される。

        父が没してその全財産を相続したグレゴリオは、
        これを社会の為最も有効に使用すべく思い立ち、
        貧者等を賑わした外、シシリー島に六つの修道院を設け、
        またローマ市の邸を改築し、ベネディクト会修道院とした。

     やがて。 市長の職を退いて、修道生活に入る。
     数年後。 教皇ペラギウス2世のもとで助祭となり、
          コンスタンティノープルに教皇特使として派遣された。
     その後。 そこで6年間の任務を果たしつつ、ベネディクト会の修道士として生活した。

 590年。50歳。 ローマ教皇に選ばれる。 
          優れた牧者として、公務に励み、貧しい人々を助け、
          キリスト教信仰はぐくみ、広めるために力を注いだ。

 596年。56歳。 ベネディクト会のカンタベリーのアウグスチヌスと40名の宣教師を、
         イギリスに派遣し、このため多くのアングロ・サクソン人がキリスト教徒となった。

     典礼と教会音楽の刷新にも取り組んだ。
     このときに作った聖歌の基礎が、「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる。
     道徳と神学に関する多くの著作を残した。
 
 604年。64歳。 死去。
            『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

  『いつくしみをもって民を治められる神よ、
 教皇グレゴリオ一世の祈りを顧み、教会の指導者に英知のたまものをお与えください。
 良い牧者の指導者のもとに、神の民が力強く成長することができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   そのとき、ファリサイ派の人々や律法学者たちは
        イエスに言った。
     
     「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、
    ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。
  しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」

       そこで、イエスは言われた。
       「花婿が一緒にいるのに、
   
    『婚礼の宴会』  『天の国』にたとえられます。
                それは、イエスキリスト・神の御子・救い主と共にいることなのです。
 
    婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
      しかし、花婿が奪い取られる時が来る。
      その時には、彼らは断食することになる。」

       そして、イエスはたとえを話された。
     「だれも、新しい服から布切れを破り取って、
       古い服に継ぎを当てたりはしない。
      そんなことをすれば、新しい服も破れるし、
    新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。

   また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。
   そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、
          革袋もだめになる。

     新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
     また、
    古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。
     『古いものの方がよい』と言うのである。」』
          ルカによる福音書 5章33-39節

『今日の御言葉』はどういう意味でしょうか?
私なりに考えてみました。

     イエス様は、今日も、
     ファリサイ派の人々や律法学者たちの『質問』
       『たとえ話』※ でお答えになります。

   一つ目の『たとえ話』は、『婚姻の宴会』です。

    旧約時代に勧められていた『断食』は、
        民が『救い主と神の国』を待つ『しるし』でした。
    新約時代になって、
        『救い主・イエス』が来られて、『神の国』が到来したのです。

      『イエスの到来』は、
       『救い主と神の国』の実現の時であり、
         ※それらを待つ『しるし』である『断食』は必要なくなったのです。
          『救い主である花婿』を迎えて喜ぶ時で、
         ※『婚姻の宴会』のような喜びの時なのです。

      更に、
       せっかく到来してくださったイエス様はおっしゃるのです。
         しかし、花婿が奪い取られる時が来る。
         その時には、彼らは断食することになる。』 と。
      それは、
         『花婿・救い主が取り去られる時』
               
              『イエスの受難』
        その時から、再び、『主の再臨』を待って、
         弟子たちや初代教会の信者は
          『断食』を始めたのです。  
  

   二つ目の『たとえ話』は、『新しい葡萄酒と古い葡萄酒』です。

        イエスの『福音』は、『新しい精神』です。

      イエスの『新しい精神』と 律法第一の『古い精神』は
         『新しい葡萄酒』 と 『古い葡萄酒』
              のようなもので、
          合わせることは、無理なことです。

      両方のぶどう酒を一つの『ぶどう酒革袋』にいれれば、
   『新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。』
                          のです。

     イエス様の『精神』は、『新しいぶどう酒』です。
      しかし、
      イエス様は、
  『古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。
     『古いものの方がよい』と言うのである。』 
                ともおっしゃいます。
 
      実は、
      『イエス様の新しさ』とは、
 『古い規則』の代わりに『新しい規則』が生まれるということではないのです。
     旧約時代から、神様は、人が改心をして、
        『新しい精神』に生きるように望んでおられたのです。


    馴染んだ『古いぶどう酒・古い考え方』にこだわるのではなく、
        永遠の昔から神と共におられる『古いイエス様』
    そのイエス様のもたらした『新しいぶどう酒・新しい価値』を見出し、
      このイエスさまと共に生きる時、
  私たちは、すでに『婚姻の席・神の国』に新しく生きることができるのです。
    『新しい精神』で、より充実した信仰生活を送ることが大切なのです。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』
       ヨハネによる福音書 8章12節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
変化の大きい世の中で、変わることのない『善意』を見つめて過ごしましょう。 お元気で!

『祝福された朝明け』 そして 『貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしを遣わされた。』・・・『預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。』

2021-08-30 13:58:51 | 日々のこと。 世界のこと。
8月30日。月曜日。晴れ。

今朝も、
変わらず夜が明ける。

             『祝福された朝明け』
    
    美しさに感動して・・・        ウォーキング途中の橋の上から📷

今日も又。

    人間社会では・・・

      ※アフガニスタン事態のこれからは?
      ※コロナウイルス終息の目処はいつ?どのように?
      ※自民党総裁選の行く末は?
                等々。
                    問題が山積みです。

それでも。

    自然界では・・・

      ※今朝も変わらず美しい朝が繰り返されます。
      ※清らかな朝の空気には、今日一日の可能性がいっぱいつまっています。
      ※自然界にひそむ力と永遠の再生に調和があります。
                 等々。
                     平和があります。

    人間は・・・

      ※見えて触れられる体で、地球上に生まれました。
      ※見えないや見えて触れることもできる自然界と共に生きるのです。
                   今日も、多くを学びます。 
 

    世界中で、人の命にかかわる重大事が起こる心配な毎日で、
 為す術もない一市民の私は、今朝の夜明けの太陽に大いに慰められました。
        今日も、大事な『希望』を持って、
         一日を大切に送りましょう。
  
     『信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
       この中で最も大いなるものは、愛である。』
          コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章13節

       
そして。

今日は8月30日。年間第二十二月曜日。

『今日の入祭唱』

 『いと高き神よ、
   御名をほめ歌い、朝ごとにあなたの慈しみを感謝することは、
        いかに楽しいことでしょう。』
            詩編92章2&3節

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスはお育ちになったナザレに来て、
     いつものとおり安息日に会堂に入り、
     聖書を朗読しようとしてお立ちになった。

       預言者イザヤの巻物が渡され、
         お開きになると、
   
    
     次のように書いてある個所が目に留まった。

      「主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。
       主がわたしを遣わされたのは、
   捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
       圧迫されている人を自由にし、
      主の恵みの年を告げるためである。」
         (イザヤ書 61章1節)


    イエスは巻物を巻き、
      係の者に返して席に座られた。
    
    会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。

  そこでイエスは、
 「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」
                    と話し始められた。

  皆はイエスをほめ、
      その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。
       「この人はヨセフの子ではないか。」
  イエスは言われた。
      「きっと、あなたがたは、
   『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、
   『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、
        郷里のここでもしてくれ』
              と言うにちがいない。」

   そして、言われた。
       「はっきり言っておく。
    預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。

        確かに言っておく。
    エリヤの時代に
       三年六か月の間、雨が降らず、
     その地方一帯に大飢饉が起こったとき、
     イスラエルには多くのやもめがいたが、
    エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、
     シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
 また、
    預言者エリシャの時代に、
    イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、
     シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」

     
    これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、
  イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、
         突き落とそうとした。

    しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。』
      ルカによる福音書 4章16-30節


今日も『御言葉』を私なりに考えてみました。
   
                イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けてから、 
       ガリラヤ全土で宣教を開始しました。
     そして、イエスの評判も広まっていったのです。

  そこで、
     イエスが故郷・ナザレを訪問なさったとき、
       故郷の人々は喜んでイエスを迎え入れたのです。
     人々は、イエスがいろいろの所でなさっていることを聞いていたので、
       イエスは故郷でも同様なことをなさるだろうと期待したのです。
   
  ところが、
     故郷の人々の間には、『本当の信仰』を見出すことが出来ないイエスは、
      故郷では特別なことをあまり出来ませんでした。
  そこで、
     故郷・ナザレで、
      『主の恵み』を告げるイエスに、反対が始まるのです。


       『主の恵み』とは、
 イエスが会堂で朗読された※『イザヤの預言』※の言葉が述べるとおりです。

   貧しい人に、『神の愛』を伝えるのです。
      それは、イエスが彼らの支えとなり、味方になることです。
   病人を、癒し、回復されるのです。
      それは、イエスが病人をされていることです。
     
       『主の恵み』は、
     イエスが会堂で言われたとおりに、
    「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」のです。
     イエスの言動において、『主の恵み』は実現したのです


  イエス様は、
   ※ユダヤ人と異邦人の区別はなさらないのです。
       神は全ての人の救いを望んでおられるのです。
       イエスは全ての人に『神の愛』を伝えるために来られたのです。
   ※故郷だからといって、特別なことはなさいません。
   ※『選民』であるユダヤ人だからといって、特別ではないともおっしゃるのです。
       昔の預言者エリアとエリシャが癒されたのは、  
       ユダヤ人でなく、信仰のある異邦人でした。   
   ※『神の恵み』は全ての人に平等なのです。
       『神の恵み』を受けるためには『信仰』が必要だと言われるのです。
   ※互いの対話と理解を大事になさるイエスは、一方的な強制はなさいません。
       対話を出来る時が来るまでと、御自分はその場をいったん離れられたのでしょうか?


   私たちも、
   貧しい人、弱い人、孤独な人、さびしい人、が多くいる今の世で、
     互いに支え合い、互いに味方となって、互いに対話と理解をし合って、
      『希望』を与えあうことが出来るようになりたいですね。


『今日の拝領祈願』

   『全てを治められる父よ、
    わたしたちを聖霊によって導いてください。
口先だけでなく、行いと真実をもって、神の国の証しとなることができますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
全国的に新学期が始まったようです。
世界中の子供達の健康が守られますように、最善の努力をしてまいりましょう。 お元気で!

予期せぬ出来事・・・全て想定外 そして 『だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。』

2021-08-26 11:08:16 | 日々のこと。 世界のこと。
8月26日。木曜日。晴れ。

      『富士山頂から眺める富士五湖』
 
                   幻想的に、美しい。

     二年前の今日・・・
       富士登頂を果たした私。
      
       幸せでした。  山頂から自分宛に出した葉書


     二年前の今日・・・
     誰が『今年の今日』を予想出来たでしょうか?
     世の『平穏も幸せ』も一瞬のうちに奪われるのです。
       予期せぬ出来事・・・全て想定外なのです。 


 コロナ禍に加えて・・・

        『自衛隊輸送機』
     
 政府が、イスラム主義勢力タリバンが全土を掌握したアフガニスタンから
      邦人など最大約500人の退避を想定。
   首都カブールの国際空港から隣国パキスタンのイスラマバードまで
        複数回に分けて移送を目指す。 

   すると、
   タリバン・ムジャヒド報道官は、FNNの取材に答えた。
   「われわれは、日本人のアフガニスタンからの退避を望んでいません。
        われわれは日本人を保護する。
        友好的で良い外交関係でいたい。」
    一方、
       「軍の駐留は好ましくない」として、
    日本が国外退避の支援などのために派遣する自衛隊には、
          早期の撤退を求めた。
           FNNのニュースより

   また。
     アフガニスタンからの米軍撤退期限が8月末に迫るなか、
     バイデン大統領は期限を延長せずに撤退を進める方針。

        米軍が撤退した後のアフガニスタンに、
           タリバンが求めるように、
        日本人は残ることがあるのでしょうか?


          悩まずにはいられない私ですが、
         私のような一市民に何が出来るのか?
   
   想定外の局面・・・『だから、あなたがたも用意していなさい。』


    私たち一人ひとりが、自分にできることを探し続けましょう。
      アフガニスタンの方々の平安が訪れますようにと、
           心から祈ります。



そして。

今日は8月26日。年間第二十一木曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、
      地の面を新たにされる。』
       詩編 130節30節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
    

       ※目を覚ましていなさい。
    いつの日、自分の主が帰って来られるのか、
     あなたがたには分からないからである。

       ※このことをわきまえていなさい。
  家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、
 目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。

   ※だから、あなたがたも用意していなさい。
   人の子は思いがけない時に来るからである。」


      「主人がその家の使用人たちの上に立てて、
   時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、
         いったいだれであろうか。

          主人が帰って来たとき、
     言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。

          はっきり言っておくが、
      主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。

         しかし、それが悪い僕で、
           主人は遅いと思い、
  仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
   もしそうなら、
     その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、
       彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。

        そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」』
          マタイによる福音書 24章42-51節


   今日のイエス様は、
   現在の私たちへ、『終末』についての警告をなさるのです。
     それは、
     『ノアの時』のように『思いがけない時』なのです。
     今回は、
      『主人を待つしもべ』のたとえで語られるのです。


 イエス様は、死後に復活なさった後に、天の父のもとへお帰りになりました。
   その時、
     私たちの目にはイエス様が見えなくなりましたが、
     イエス様は、『また帰ってくる』と約束なさいました。


     私たちは、再び、イエス様にお目にかかれるのです。   
      それは、
    『神の国の完成』の時である『イエスの再臨』の時です。
      またそれは、
      私たち一人ひとりの『死』の時でもあります。
      いつ『その時』が来るのか誰にも解りません。


     イエス様との、『再会の日』は突然来ます。
     だから、常日頃から準備しておきなさい、
             と警告してくださったのです。

  それでは・・・

      何を※準備※すれば良いのでしょう?

  今から、神と一緒に生活することです。
    神が私たちに日々なさってくださることを見出し、感謝するのです。
    神が私たち一人ひとりに望まれることを、忠実に、果たすことです。
  今から、神がおられないかのような生活をやめることです。
    仲間を殴ることをやめて、平和を優先するのです。
    自然の美しさやお人の優しさを見つめて、神の愛を探すのです。
      今までの怠惰な生活は神様に赦していただき、
        喜びの生活を致しましょう。


   私たちも、
   今すぐではなくても、イエス様との『再会の日』は、突然来ます。
   怠ることなく、その日を迎える準備を致しましょう。


『今日の拝領祈願』

   『神よ、感謝の祈りを捧げます。
  キリストに結ばれた人が聖霊に導かれ、
     正しい道を歩み続けることができますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
もう一度梅雨明けのような暑い日が来る、との天気予報です。
雨も多く、暑さも猛暑と厳しいようです。 ご自愛の日々で、お元気で!

『心の優しさ』で『世界の平和』 そして 『聖ピオ十世教皇 記念日』・・・『あなたがたの父は天の父、あなたがたの教師はキリスト。あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。』

2021-08-21 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
8月21日。土曜日。曇り。時々雨。

朝早くから
ボランティアの方々をお見受けします。
公道を掃き清める人。
公道の雑草を抜く人。
公道の一部に花を植える人。
美しい公道を走れば・・・
交通事故も減るでしょうと、
今朝も心優しい人たちに感謝します。


     公道の一部に・・・  『ひまわり』
 

          新種ヒマワリでしょうか?
   濃い黄色で、”皆様も晩夏を彩ってね!” と、見る人を励ましてくれる。


     私は、ボランティアさんや花に励まされて、歩き続けます。
     ”いつも有り難うございます” と、ご挨拶だけは忘れません。


   『世の中の平和』は、人々の※『心の優しさ』※で保たれていくものだと、     
                         今朝も教えられます。

    日本に住むアフガニスタンの女性が、
       アフガニスタン伝統小物を作って『収益金』を
       『アフガニスタン支援金』としたい、と活動を始めました。

 東京オリンピック時にポーランドに亡命したベラルーシ代表ツィマノウスカヤ選手は、
  亡命後、『I JUSU WANT TO RUN 私は走りたいだけ』とメッセージを出し、
  過去の国際大会で獲得した銀メダルをインターネットのオークションに出しました。
  『収益金』を、『圧政に苦しむベラルーシのアスリートの支援に充てる』そうです。


     私たち一人ひとりも、
     『ひまわり』のように、『自分の光』で回りを照らしたいものですね。
     『心の優しさ』をもって、『世界の平和』に貢献したいものです。



そして。

今日は8月21日。年間第二十土曜日。
       
     『聖ピオ十世教皇 記念日』
         
           『第257代ローマ教皇 』
         在位:1903年-1914年 68歳ー79歳
      
1835年。  イタリアのヴェネチア地方の近く、リエーゼ村の農家に生まれた。
1850年。15歳。 村の学校を出た後、パドバの神学校に入り、
1858年。23歳。 司祭に叙階されて、司祭職に励んだ。

    その後、マントバの司教、枢機卿、ヴェネチアの大司教を務めた。

1903年。68歳。 教皇に選ばれた。

    「すべてをキリストにおいて刷新する」というモットーを選び、
      貧しい生活を送りながら、
     素直で剛毅な精神ををもって、信者のキリスト教的な生活を育て、
     当時生じた誤謬に対しては勇敢に戦うことによって、
     そのモットーを実行した。

1914年。79歳。 第一次世界大戦の勃発にあたっての
         平和回復のための努力は実を結ぶことなく、
     8月20日、その心痛のため病気になって亡くなった。死去。
          『毎日の読書』より 

『今日の集会祈願』

   『信じる者の力である神よ、
まことの信仰を擁護し、全てをキリストのうちに一つに集めるために、
あなたは聖ピオ十世に、信仰の英知と、使徒としての勇気を豊かにお与えになりました。
わたしたちが聖人の教えと模範に従い、永遠の報いを受けることができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 
     イエスは 群衆と弟子たちにお話しになった。
     

 「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
   だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。
     しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。
      言うだけで、実行しないからである。

    彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、
    自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。

      そのすることは、すべて人に見せるためである。
   聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。
     宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、
  また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。

    だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。
    あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。

     また、地上の者を『父』と呼んではならない。
      あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
       『教師』と呼ばれてもいけない。
      あなたがたの教師はキリスト一人だけである。

  あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
   だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」』  
       マタイによる福音書 23章1-12節


  今日のイエス様は、
  ファリサイ人・エルサレムの指導者たちを非難なさるのです。
     
    『仕えられる者ではなく、仕える者が一番偉いのです』 と。

  ファリサイ人・エルサレムの指導者たちは、
  律法を良く勉強し、聖書の言葉を教えました。
  しかし、自分たちはそれを実行しないことがありました。
  聖書の言葉が書かれた、手につけている『小箱』を大きくしたり・・・
  律法を祈念するための衣服の『房』を、大きくして・・・
    自分たちの熱心さを見せました。
  

        『正しい生活』を送るのは、
       人からほめられるためではなく、
      神の望まれることを実行するためです。
        『人に仕える』ためです。

   
   イエス様こそ、『神の望み』:『神のみ旨』を実行して、
      御自分が神であることを固執せず、
        御自分の命を与えるまで
            
        『人に仕えた方』です。
     わたしたち人間の中で、一番偉いお方なのです。


『今日の拝領唱』

 『わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。』
        ヨハネによる福音書 10章11節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自分の言動が一致していて、良い言葉を発し、良い行いをする。
小さなことから実行すれば、それが当たり前になっていくのでしょうね。 お元気で!

8月15日・・・『終戦記念日』 そして 『聖母の被昇天 祭日』・・・『力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました。主は身分の低い者を高く上げられます。』

2021-08-15 12:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
8月15日。日曜日。雨。

   今日は・・・      『終戦記念日』 
 
 
      『私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、
   緊急の方法でこの事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。
私は政府に対し、
「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。
けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、
   未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。 
国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、神国(日本)の不滅を固く信じ、
   国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、
   持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、
   国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。
     あなた方臣民は、これが私の意志だとよく理解して行動してほしい。』
        1945年(昭和20年)8月15日正午  終戦の詔書
                     (現代語訳の一部)より

 
今日・2021年(令和3年)8月15日正午

         『59回 全国戦没者追悼式』
 

12時の合図で・・・

     天皇皇后両陛下、出席者全員、私も、起立。
         『一分間の黙祷』

次に、

         『天皇陛下御言葉』
   『本日は、戦没者を追悼し、平和を祈念する日です。
       深い悲しみを新たに致します。
  わたしたち皆が、心を一つにして、人々の平和と幸せを希求することを
       心より願います。
 ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、
 過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、 
       我が国の平和と一層の発展を祈ります。』



そして。

今日は8月15日。年間第二十主日。

          『聖母の被昇天 祭日』
    
       『聖母被昇天』 ルーベンス作品

五世紀のエルサレムで八月十五日に祝われていた『神の母マリアの記念日』は、
六世紀には、『マリアの死去の日』として、東方教会で祝われるようになった。
七世紀半ばには、西方教会にも受け継がれ、
八世紀になってから、『マリアの被昇天』の名で知られるようになった。
 
1950年。教皇ピオ12世教皇は、
   『マリアが霊肉とともに天に上げられたこと』を『教義』として宣言した。

     教会は、キリストと最も深く結ばれていたマリアが、
  真っ先にキリストの復活と栄光にあずかっていることを祝っている。
      『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『全能永遠の神よ、
あなたは、御ひとり子の母、汚れないおとめマリアを、体も魂も、ともに天の栄光に上げられました。
 信じる民がいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように。』


『今日の福音 聖母マリアのエリザベト訪問

 『そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
    そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
   
      マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、
         その胎内の子がおどった。
    エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。

「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
   わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、
          どういうわけでしょう。
          
 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
  主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

そこで、マリアは言った。

  「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
    身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
     今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
       力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
   
  その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
        主はその腕で力を振るい、
  思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、
     身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、
       富める者を空腹のまま追い返されます。

  その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

  マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、
       自分の家に帰った。
            
       ルカによる福音書 1章39-56節


天使から『受胎告知・イエスの誕生』と『エリザベトのヨハネの受胎』を告げられたマリアは、
      エリザベトを訪問します。
   『二人の子供・イエスとヨハネの誕生の神秘』が啓示されるのです。


   マリアには子供が生まれ、その子供が偉大な方になるという『知らせ』は、
        神の方からありました。
   又、その『しるし』として、『エリザベトの受胎』を言われたのです。
    人間から見ればできそうに見えないことでしたが、
     『神にできないことは何一つない』ルカによる福音書 1章26-45節
         と言われたのです。
        

   マリアは真相を確かめたくて、急いでエリザベトを訪問しました。
   そこで、マリアは神がエリザベトになさったことを信じました。
エリザベトも、マリアの話を聞いて、神がマリアになさったことを信じました。

 マリアとエリザベトは、
 互いに、神のなさったことを伝え合い、
   神に感謝し、互いに喜び合い、互いの信仰を深めることができました。
      ともに『神の賛歌』を歌ったのです。

 私たち・信仰者も、
 ともに一緒に集まり、神のなさったことを喜び、感謝するなら、
    互いに、信仰を深め合うことができるのです。

   
 主は、いつも私たちを訪問し、ドアをノックしてくださっているのです。
   私たちは、いつも、主をお迎えしたいものですね。
 

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『マリアは天に上げられた。天使の群れは喜び輝く。』アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
金曜日・13日のNHK『終戦ドラマ』:『しかたなかったと言うてはいかんのです』
御覧になりましたか? もう二度と『仕方なかった』と言うのはなしに致しましょう。 お元気で!


米国・ニューヨーク州『初の女性知事』誕生  そして 『七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』

2021-08-12 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
8月12日。木曜日。曇り。大雨。小雨。

昨晩遅くの天気予報が大当たり。
今朝の早朝は曇り後雨 & 一日中『雷注意報』

早朝にウォーキングを済ませて・・・セーフ。
帰宅後、8時から大雨となりました。


   花も・・・   『多彩』
 
                     多色が美しい。

女性も・・・『多色』が美しい。


         『仏国・女性初のパリ市長』
       
    アンヌ・イダルゴ(62歳)
    スペイン出身(フランスとスペインの二重国籍者)のフランスの政治家。
    フランス社会党員。
    2014年、55歳。パリ市長に就任。


   『日本・女性初の東京都知事』
       
  小池百合子(69歳)
  都民ファーストの会代表 。
  2016年、64歳。東京都知事に就任。

  
    女性活躍が当たり前となってきて、嬉しいかぎりです。 
       『女性活躍』の言葉が『死語』となる。
    そんな時代が、日本にも早く確立してほしいものです。

 
     『米国・女性初のニュヨーク州知事』
    
    キャシー・ホークル(62歳) 
    弁護士。民主党員。
    2015年、56歳。副知事となる。
    2021年、62歳。ニュヨーク州57代知事となる予定。


  『女性初の・・・』なんて言葉の使い方もなくなる日が来ることでしょう。

        『世界の女性議員割合 国別ランキング』
            (データ更新日2021年2月15日 196カ国統計)
 1位:ルワンダ(55,7%) 2位:キューバ(53,4%) 3位:アラブ首長国連邦(50%)
 4位:メキシコ(48,4%) & ニカラグア(48,4%) 6位:ニュージーランド(48,3%)
 ちなみに・・・
 30位:フランス(37,7%) 54位:イギリス(30,6%) 72位:アメリカ(26,8%) 
           150位/196国:日本(14,4%)


    この度、ニューヨーク女性市長が誕生します。素敵です。


        『世界の都市総合力ランキング 』
  第1位:ロンドン 第2位:ニューヨーク 第3位:東京 第4位:パリ 
     ロンドンにも女性市長が生まれたら素敵ですね。

     世の中・・・『女性の力』で変えていきたいものです。
      イヤイヤ。マチガイマシタ。
   『人の力』を結集させて、世の中を変えていきたいものですね。


そして。

今日は8月12日。年間第十九木曜日。

『今日の入祭唱』

  『新しい歌を主に向かって歌え。 主は驚くべき御業を成し遂げられた。
    右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
          詩編 98章1節

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、ペトロが イエスのところに来て言った。
     「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、
      何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
    イエスは言われた。
         「あなたに言っておく。
    七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
    
      放蕩息子の帰還』  レンブラント作品
     神は、神に背を向けた罪びと(放蕩息子)を、赦し、迎え入れる、『あわれみ深いお方』です。
      放蕩息子が故郷に帰還し、父親に祝宴を開いて受け入れられるという物語を通して、
         神の、『無限の赦し』、『深い憐れみの奥義』、が表現されています。
          ルカによる福音書  15章11-32節
 
    そこで、天の国は次のようにたとえられる。
    ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
    決済し始めたところ、
    一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
    しかし、返済できなかったので、

  主君はこの家来に、
  自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。
  家来はひれ伏し、
  『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。

 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
 ところが、
 この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、
    捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。

     仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、
       主君の前に出て事件を残らず告げた。
  そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。
    『不届きな家来だ。
    お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
    わたしがお前を憐れんでやったように、
    お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』

  そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、
     家来を牢役人に引き渡した。

   あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、
  わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

   イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、
    ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。』
       マタイによる福音書 18章21節-19章1節


人は、自分には過ちがない、と考えるから、人の過ちを許せないのです。

本当にそうでしょうか?
  事実は、人は、神の御前で、返済不可能な程の神への『借金・罪』を持っています。
  お人を許せない罪。神やお人への忘恩の罪。神の期待に反する生活を続ける罪。等々。
     私たちは、罪の重さゆえに、自分の力では救われないのです。

一方。
   神様は、人のすべてをご存じですが、哀れに思って、必ず赦してくださるのです。
   私たちへの愛の深さで、新たに私たちを信用して、赦してくださるのです。
       悔い改める機会を与えてくださるのです。

ですから。
   人は、『神の慈悲』を理解したとき、お人に『慈悲深い者』となることができるのです。
   神に赦され、憐れみを受けたから、『憐れみを示す者』とならなければならないのです。
     人は、人を赦さないなら、神の赦しを受ける資格を失う危険があるのです。


    人は、自分の弱さを認めた時、
       神の赦しを理解でき、人の弱さも理解できるのです。
         『赦し』は、『天の国』の前表なのです。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
『あなたの御顔の光あなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。』
      詩編 119章135節             アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
長崎の市長様は、9日の『原爆の日』の『平和宣言』で、
『一人ひとりの小さな声が集まり、世界中の大きな声となり、核兵器禁止条約 が実現したのです。』とおっしゃいました。
私たちも、小さな声ですが、一人ひとりの声を上げて、世の中を素敵に変えていきましょう。 お元気で!

2021年『長崎原爆の日』・・・投下から76年、核兵器禁止条約発効の年。 そして 『人の子は、殺されるが、三日目に復活する。子供達は税を納めなさい。』

2021-08-09 07:10:50 | 日々のこと。 世界のこと。
8月9日。月曜日。台風到来。

長崎市に原爆が投下されて76年の9日。
             『長崎原爆の日』


 長崎市松山町・・・   『平和祈念公園』
 

   『核兵器禁止条約』が今年の1月に発行して初めての『平和祈念式典』

       『ここが最後の被爆地になること』
         それが長崎の平和への願いです。

第一番に。
     
          『献水の儀』
 

     ・・・・・・・・・・
     のどが乾いてたまりませんでした
     水には油のようなものが
             一面に浮いていました
     どうしても水が欲しくて
     とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
       ・・・あの日のある少女の手記から  

 
   
       被爆者の御霊に『献水』されました。
        長崎の清らかな水を捧げました。


皆の『誓い』を新たにします。
  
 核廃絶と不戦を願う・・  『ナガサキ誓いの火』
 

   原爆落下中心地公園近くの原爆資料館方面へ向かう途中に高くそびえる
         『ナガサキ誓いの火』
    
     ギリシャ政府の好意によってオリンピアの丘で灯されました。

     『世界の平和の祭典・オリンピック』の発祥の地ギリシャから
          『聖火』が分けられた火。
        『平和の祭典』の火の『分火』です。

     『長崎を最後の被爆地とする』そして『平和が訪れますように』
         との願いが込められています。

        『ナガサキ誓いの火』が灯され、
   世界中から全ての核兵器が廃絶されるまで灯し続けられるのです。


続けて。
全員起立。

       『午前11時2分 原爆投下時刻』
 

   全員で、国連事務次長や米中露等64カ国の駐日大使らも、私も、
           『黙祷』
       『平和の鐘』が一分間鳴り響きました。

次に。

  長崎市長・・・   『平和宣言』 
 

       世界の各国がこぞって
       核兵器を完全に『廃絶』しなければ

 

        地球に平和は来ない。

 

       私たちは
       核兵器を巡る新しい地平に立っています。

 

       核兵器禁止条約が発効したのです。

     一人ひとりの小さな声が集まり、世界中の大きな声となり、
   次世代の人たちがそれを受け継いで下さったことで実現したのです。

 

     私たち一人ひとりが持ち続けるべき希望なのです

 

      体験を語り続け、
      核兵器廃絶と恒久平和の実現に
      力を尽くしていくことをここに宣言します。 


そして。

今日は8月9日。年間第十九月曜日。

『今日の入祭唱』

 『わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ、讃美せよ、主の御名を。
   主を讃美せよ、恵み深い主を。 喜ばしい御名をほめ歌え。』 
        詩編 135章163節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『イエスと弟子たちがガリラヤに集まったとき、
         イエスは言われた。
    「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。
      そして殺されるが、三日目に復活する。」
        弟子たちは非常に悲しんだ。


       一行がカファルナウムに来たとき、
     神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、
   「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
       ペトロは、「納めます」と言った。

     そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。
       「シモン、あなたはどう思うか。
    地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。
    自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」  
      ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、
         イエスは言われた。
 
       『貢の銭』     マサッチオ 作品 
神殿への税を支払うことが出来ないペトロに対し、キリストが魚の口から銀貨を見つけるように説いたエピソードの作品。

     「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
     しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。
         湖に行って釣りをしなさい。
       最初に釣れた魚を取って口を開けると、
      
       銀貨が一枚見つかるはずだ。
   それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
       
     『魚の口から銀貨を取り出そうとするペトロ 』
         マタイによる福音書 17章22-27節


 イエスの時代。
 イスラエルの20歳以上の男は、『神殿税』を毎年納めていました。
 司祭たちや律法学者たちは、『神殿税』を払わない慣習がありました。
 イエス様は「先生」と呼ばれていましたが、ペトロはイエス様が「神殿税』を納めるだろうと考えたのです。

追記:
イスラエルの第二神殿(エルサレム神殿)

紀元前516年~紀元後70年までの間
エルサレムの神殿の丘に建っていたユダヤ人の重要な神殿でした。
ユダヤ戦争においては、
紀元70年のエルサレムにおける最後の攻防戦の舞台となりました。
ユダヤ戦争が終わると、
神殿はエルサレムの市街ともどもローマ帝国によって破壊されました。


     イエス様は、『神殿税』の件をご存じでしたので、
       弟子たちの頭のペトロに尋ねたのです。
「地上の王は、税金を自分の子供たちから願うことがなく、他の人からだけ願っているのではないか。」 と。
「私は神から遣わされた者、弟子たちはイエスの家族であるから、
    地上の王への『税金』を払う必要はないのではないか」 と。

    イエスを信じる者はユダヤ教から追い出されたのですから、
    ”ユダヤ人の神殿に『神殿税』を払う必要はないのではないか?”
    イエスは、心では、そのようにお考えだったようです。

しかし、実際には、
イエス様は、『王たちをつまずかせないために、税金を払う方が良い』と、お考えになったのです。 
   『神殿税』の義務はないが、『愛の掟・愛の証し』の義務はいつまでも残る。
『愛の掟』とは、自分の考えを、主張するのではなく、捨てて・・・相手に合わせる、相手を勝たせることです。
      ・・・と、
   弟子たちの頭であるペトロを教育なさったのではないでしょうか。 


『今日の拝領祈願』

   『聖なる父よ、
 主イエスの限りない愛を注がれたわたしたちが、兄弟に仕える者となりますように。』


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
広島と長崎で毎年開かれる『原爆の日』の、原爆で亡くなった方々の御霊へ捧げられる、『慰霊』と『平和宣言』です。
私たちも、一人一人の働きは小さなものですが、原爆で亡くなった方々の御霊へ『平和宣言』を捧げたいものです。

2021年『広島原爆の日』・・・投下から76年、核兵器禁止条約発効の年。 そして 『主の変容 祝日』・・・『これはわたしの愛する子。これに聞け。』

2021-08-06 08:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
8月6日。金曜日。快晴。

  8月6日。   『広島原爆の日』

       『原爆投下時間 8時15分』
 

       全員で、私も、 『一分間の黙祷』

 

     共に支え合い 広島の町の復興に向け立ち上がりました。


      広島市長・・・   『平和宣言』

 

      76年前の今日 我が故郷は一発の原子爆弾によって
            一瞬で焦土と化し
 
 

        罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死を
          もたらしただけでなく

 

        その生涯に渡って心身に深い傷を残しました

 

          持続可能な社会の実現のためには
       人々を無差別に殺害する核兵器との共存はあり得ず
 
 

        核兵器はあってはならないという信念を持ち
        それをしっかりと発信しつづけることです
  
  

         それは 他国を脅すのではなく思いやり
         長期的な友好関係を作り上げることが  

  

       被爆地長崎 そして 思いを同じくする世界の人々と
        手を取り合い 共に力を尽くすことを誓います

次に。

     小学六年生・・・   『平和宣言』

 

        私たちには使命があります

 

        平和の尊さや大切さを 世界中の人々や
        次の世代に伝えなければならないのです

 

        私たちは 犠牲になられた方々を
        決して忘れてはいけないのです

 

       争いのない未来 そして この世界に生きる誰もが
       心から平和だと言える日を目指し 努力し続けます

 

       広島で育つ私たちは 使命を心に刻み
       この思いを次の世代へつないでいきます


     
  今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。  


そして。

今日は8月6日。年間第十八金曜日。

       『主の変容 祝日』
   
       『キリストの変容』  カール・ブロッホ作品

  主の変容の祝日は、東方教会においては、5世紀ごろから祝われていた。
   主の変容が受難の40日前に起こった、というある伝承にもとづいて、
    9月14日の『十字架称賛の祝日』の40日前にあたる今日、
         祝うようになりました。

      西方教会に広まったのは、十一世紀になってからで、
   1945年。教皇カリスト3世(1455~1458年在位)により、
         ローマ教会暦に加えられた。

主の変容は、受難を通して神の栄光を受けるキリストの姿を表わすことによって、
   キリストが担われる十字架に弟子たちがつまずかないように、
      彼らの信仰を固くする出来事であった。
           『毎日の読書』より


『今日の集会祈願』

  『聖なる父よ、
 御子キリストは栄光の姿のうちに現われ、聖書の言葉を通して、
 弟子たちに救いの神秘を説き、神の子どもとなる素晴らしさをしまされました。
御独り子の声に従うわたしたちが、キリストとともにあなたの国を継ぐものとなりますように。』    
 

『今日の福音 イエスの御言葉』

 『そのとき、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
       イエスの姿が彼らの目の前で変わり、
         服は真っ白に輝き、
   この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 
    
      エリヤがモーセと共に現れて、
       イエスと語り合っていた。

     ペトロが口をはさんでイエスに言った。
 「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。
        仮小屋を三つ建てましょう。
一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
    ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。

      弟子たちは非常に恐れていたのである。
    すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。
   「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

    弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、
      ただイエスだけが彼らと一緒におられた。

      一同が山を下りるとき、イエスは、
「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」
                     と弟子たちに命じられた。
      彼らはこの言葉を心に留めて、
   死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。』
         マルコによる福音書 9章2−10節


    イエスの福音宣教は、
 皆に仕える『僕』のように、『神の愛』を示されました。

    そんな時、
 理解しない人が多かったのですが、イエスに反対する人も多く現われてきました。

  イエス様は、『苦しみ』こそが自分の『使命』であると解っていました。
    いよいよ『受難』の時が近いことも、解ってきました。

    
    そこで、
 イエス様は、一番身近で親しかった、最初の弟子の3人ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、
      祈るために、神と会話するために、山に上りました。

    すると、
     旧約時代の預言者二人エリヤとモーセが現われたのです。
この二人も、特別の『使命』を神から与えられ、それを果たすために『辛いこと』に出会いました。
  イエスは、ご自分の『使命』が、旧約の二人の『使命』と似ていることを考えました。
  つまり、イエスも二人と同様に、『受難』を通して、『復活』するのです。
    更には、
    雲の中から、神の声:『わたしの愛する子』と聞こえました。


     イエス様は、これからの『受難』に向かうにあたり、
 三人の励ましと愛を感じ、落ち着き、喜びに満たされたことでしょう。

   弟子たちも、神の声:『これに聞け』と聞こえました。
イエス亡き後は、世界中に福音宣教に向かう弟子たちには、多くの困難と迫害が待っています。
 『成功』の前には『受難』が待っている。 神は共にいて導いて下さる。
  これらの『確信』をいただき、3人の弟子は山を下りたことでしょう。

    
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者。これに聞け。』
       マタイによる福音書 17章5節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日で、広島原爆投下から76年。
『核兵器禁止条約』は、2017年7月7日に国際連合総会で採択され、
2021年1月22日に発効されてから約7ヶ月です。日本は不参加。
小さな一歩でも、『核なき平和世界』への一歩を歩み出しましょう。 お元気で!


大雨警報・・・庭花には恵みの雨? そして 『主よ、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。』

2021-08-03 10:40:56 | 日々のこと。 世界のこと。
8月3日。火曜日。雨。

今朝七時。
神戸に『大雨警報』と『雷警報』が出ました。

昨夜。
管総理は、突然、病床逼迫のために、という理由で・・・
コロナ感染患者さんたちは『重症者以外は自宅療養とする』警告しました。
入院待機中の人は保健所との連携に任せることとしました。と。
驚きました。それって・・・
重症以下のコロナで苦しむ患者さんは、『自助』でよろしくということですよね。

警告にも、気象予報から人の命を守る警告まで、色々あります。
少なくとも、すべての警告を出す前には、その準備が出来上がっていること、
又は、その準備の構想ができ上がっていることが原則のはずです。


昨夕。
近所の仲良しが・・・
    
  
     ”花好きのあなたの庭に植えてあげて!”
        お花のお裾分けです。

 今朝早くに、ウォーキング代わりで、『労働』をすることに決めていました。
     今朝は、大雨の音で目が覚めました。
  雷も鳴り続けて、『大雨警報』下での『移植』は諦めましょう。

  『お裾分けの花』は、今朝もバケツの中で、大雨を楽しんでいます。
   大自然の『恵み』は、バケツの中でも土の中でも、同じはずです。
                                
今朝も。
祈ります。

   『いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。

    病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。

不安と混乱に直面しているすべての人に、支援の手が差し伸べられますように。

    わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、この危機を乗り越えることができるようお導きください。』
     『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』より

     
 今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。  


そして。

今日は8月3日。年間第十八火曜日。

『今日の入祭唱』

 『主よ、あなたの御言葉は、わたしの道の光、あなたの歩みを照らす灯。』  
        詩編 119章105節

『今日の福音 イエスの御言葉』

     『人々がパンを食べて満腹した後、
  イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、
      その間に群衆を解散させられた。

  群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。
     夕方になっても、ただひとりそこにおられた。

   ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、     
    
      逆風のために波に悩まされていた。

 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。
     
    弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、
   「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。

      イエスはすぐ彼らに話しかけられた。
     
    「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

      すると、ペトロが答えた。
「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
    イエスが「来なさい」と言われたので、
   ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。

    しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、
       「主よ、助けてください」と叫んだ。
      
       イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、
     「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
      そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。

        舟の中にいた人たちは、
    「本当に、あなたは神の子です」 と言ってイエスを拝んだ。

   こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いた。
  土地の人々は、イエスだと知って、付近にくまなく触れ回った。
    それで、人々は病人を皆イエスのところに連れて来て、
 その服のすそにでも触れさせてほしいと願った。 触れた者は皆いやされた。』
      マタイによる福音書 14章22-36節
 

今日は、私は、こんな風に考えました。

  イエス様が亡き後は、弟子たちは、『イエスの仕事』を続ける『使命』が与えられるのです。
     しかし、いまだに、彼らの信仰は薄いのです。
     強い信仰がなければ、『使命』を果たすことはできません。

  イエス様は、弟子たちが『強い信仰』を持つことを望まれました。
  それは、
イエスは『神の子』であること、イエスは『救い主』であること、イエスは『神』であり『不可能なことはない方』であること、
   ・・・等。 心からの『信仰』を持つ教育が必要なのです。

 更に、

 イエス様は、ご自分の亡き後、宣教に出かける弟子たちが、
 反対されること、迫害にあうこと、に遭って怖くなり自分の弱さを感じること、等をご存じでした。

  『強い信仰』とは、
  イエス様は、たとえ目に見えなくても、いつも一緒にいてくださることを信じられることです。
  たとえ嵐に遭っても、「助けてください!」と叫ぶなら、イエスが助けてくださることを信じることができることです。

    イエス様は、12人の使徒たちだけでなく、
   今も、すべての弟子・キリスト者の信仰を深めるために、導いてくださっているのです。

    喜びの源であるイエス様に、真理の光のうちに導いていただきましょう。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『ラビ、あなたは神の子です。 あなたはイスラエルの王です。』
      ヨハネによる福音書 1章49節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
猛暑の中での、優しい風、優しい心遣い、そんなことで笑顔になれます。
互いの優しさで、難局の現在を乗り越えましょう。 お元気で!