MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

千駄堀村坂道迷い道 (その3)

2013年12月06日 | あらかると

休館で見学の出来なかった「元禄まつど村」の前の道を直進。

大木に囲まれた香取神社(村社)の前に出た。
鳥居や神社名を記した石柱が真新しいことから、
一昨年の震災で被害にあっていたものと思われる。


逍遥当日は工事中で見学は出来なかったが、
翌日見学すると奥宮まで建立されており、社格は上位のようである。
村社の格はいわゆる「村の鎮守様」であり、
さらに調べてみると、この周辺が「千駄堀村」の中心地であったらしい。


昔の村の中心地を直進していくと、
変則な(ローマ字のKに似る)十字路に突き当たり、
正面には「青面金剛(しょうめんこんごう)」と記された大きな石塔が立っていた。
なぜか三猿(みざる・いわざる・きかざる)が彫刻され、
右側面には「庚申講願主・氏名」と「葛飾郡千駄堀村」と彫られていた(巻頭の写真)。

これまでも何度か見ている「青面金剛」と彫られた石塔だが、
道祖神の類であろうと思っていた。が、それは間違いで、
青面金剛は「庚申講」の本尊で、
長寿の願いが叶ったときや、仲間内で「庚申講」が結成されたときに、
この「庚申塔」を建てたようである。

さらに「三猿」は「庚申」の「甲(さる)」と結びついたのではないかとされている。

庚申塔の建立年月は不詳だったが、
近くにあった「馬頭観音」の石碑には、
「文化8年4月(1811年・中央の石碑)」と刻まれていたので、
千駄堀は歴史に刻まれた古い村落であることも判明した。
ちなみに、
「馬頭観音」と文字だけ彫られたものは「馬の供養」として祀られたものであるが、
世界中から賞賛されている日本人の優しい心根の原点は、
意外にもこんなところにあるのかもしれないと思った。


で・・・・・
三方向に分岐された道をどう進むか?
正解は右折だったが、
たまたま通りかかった散歩中の男性が左折したので、われわれも左折した。


上の写真の右側に赤い幟が立っているが、
これは松戸七福神の一つである「福禄寿」を祀っている「圓能寺」への道標であり、
過去に1,2度来たことがあり土地勘もあったのだが、この幟を見逃してしまった。
この方向に進めば「21世紀の森と広場」の南口付近に着いたのである。

下の写真は翌日撮った、圓能寺正門。


お寺の裏側にある急勾配の坂道の突き当たりに公園はある。


道なりに写友とともに、気の赴くままに写真を撮りながら逍遥。
暫くすると下り坂の奥に「武蔵野線の高架」が見えてきたので一安心。
どうやら21世紀の森と広場の西口付近に辿りつきそうである。


下り坂の途中で鳥居のある不思議な「祠」を発見。
先の「香取神社」には比べようもないが、
丁寧に祭られているのでお参りがてら探索すると、
祠の中に「弁財天」と記された小さな額が置かれていた。

弁天様に鳥居???
弁財天は大黒天と同じように、寺院に祀られるものと、
後に神格化され神社に祀られるものとがあり、
有名な江ノ島の弁財天は神格化されて「江ノ島神社」に祀られており、
上野不忍池の弁財天は「寛永寺」が祀っている。


21世紀の森と広場の南口を出て左に坂道を登っていくと、
信号手前左側にも文化7年に建てられた庚申塔がある。
その横には下のような庚申塔に関する記述が記されている。



今回の迷い道逍遥は坂道が多く何度上り下りをしたことか・・・・、
で、調べてみると千駄堀村周辺は昔から谷津を形成していたようで、
21世紀の森と広場も谷津そのものの形状である。
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