MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

千駄堀村坂道迷い道 (その2)

2013年12月04日 | あらかると

農地沿いに張り巡らされたフィンスに寄り添って咲いていた、
コスモスの花(巻頭の写真)に誘われて右折し、
そのまま進んでゆくと、下りの坂道となった。


21世紀の森と広場の周囲は丘陵地が多く、
下り坂とあって公園に近付いていくものと確信したが・・・・

坂道の両側はやや小さな崖を形成しており、
鎌倉の「切通し」のような印象であった。
下の写真は道路右側の崖の状況。


道路左側の崖が崩れてやや平らになった場所には、
真っ赤な実をつけた「ヒヨドリジョウゴ」が群生していた。
この群生という状態が珍しいのでパチリ。


下りきった坂道は、やがて急な上り坂となった。
公園近くに出るとの確信は脆くも崩れ去ったのである。

上り坂の途中には片側を強固なコンクリート製の擁壁(ようへき)に囲まれた、
先の見えない農道と思われる道路があり、何となく気になったが、
舗装されておらず、私道の可能性があるため写真だけにとどめた。


急坂の途中で振り返ると下の写真の通りであり、
道路の両側は擁壁が多くその上には民家もあった。
それらの擁壁は新たに修繕した箇所なども見当たらないことから、
あの東日本震災にも耐えたのであろう。


坂を上りきると十字路となっており、左手には見覚えのある水色の建物が見えた。
数年前、自転車で公園周辺をぶらぶらしていたときに見た幼稚園である。
が・・・
色の記憶は蘇ったものの道路や方向性は記憶が無く、
当然、公園への道がどれであるのかも判らない。
ということで、完全に迷っているのである。

翌日、幼稚園の名前を地図で見て驚いた。
下の写真は「千駄堀栴檀幼稚園」の建物だが、
「栴檀(せんだん)幼稚園」は団地内の敷地内にもあり、
我が家からは100歩に満たない場所にあったからである。


十字路をそのまま直進すると程なく変形十字路に突き当たった。
その三角地にあったのが「庚申塔」と「道祖神」の祠で、
何となく千駄堀という土地には歴史が詰まっていると感じた。


人の過去の歴史である庚申塔に感心しながら道路の反対側を見ると・・・・
「元禄まつど村」の看板が目に入った。

松戸に越してきて10年以上になりこの近隣に住んでいるが、
このような施設があるとは知らなかった。
しかも看板には30m先との表示があり、歩をその方向に進めた。


が・・・・開館日ではなかった。
開館日ではなかったというより、日曜、祝日のみの開館?????
看板には「松戸市観光協会推奨」とあるが開館日が書いてなかったのも頷ける。
直ぐに発見できただけに残念である。

下の写真右端にはフルーツの絵が見えるが、
「清幸園」という園芸店(月曜休み)があり、季節にはフルーツ狩りも楽しめるらしい。
園芸店の道路に面した入り口には清涼飲料の自販機があり、
缶コーヒーなどは100円であった。
普通の自販機は120円だが、この-20円が何気に嬉しく、
当日初の珈琲タイムはここで過ごした。


道には迷っているが、迷いの中での様々な発見をし、
「発見したものを撮る」という行為は新鮮で面白い。

現代の利器、アイフォンで検索すれば「迷い道」はたちまち解消してしまうが、
それでは空気感や皮膚感や第六感が失われ、ただのぶらぶら歩きになってしまう。
「逍遥」には「逍遥たる所以がある」のである。
「只管不歩(しかんふほ)」とは、「只管打座(座禅用語)」からの造語で、
「ひたすら歩くだけではない」ということである。

で・・・・
コンクリートの擁壁で囲まれた農道の奥が気になって、
翌日自転車で入ってみた。

道路は途中で途切れていたが、その先には農地と民家があった。
遠くに見える奥の四角い建物は・・・・
公園に隣接する「森のホール21」だった。

さらにグーグルマップで検証すると、
この農道が途切れずに直進出来た場合は「21世紀の森と広場」の南口に出ることが判った。


途切れた道路の右側には広大な葱畑が広がっていた。
山あいの斜面には農道のようなものが見えるが、
グーグルマップには表示されておらず、農作業のための畑道のようなものかもしれない。
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