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238 壱岐(長崎県)・・・卑弥呼にも見せてやりたや壱岐の国

2009-08-28 18:27:00 | 佐賀・長崎

8月だというのに、北部九州はまだ梅雨明けしていない。それでも唐津港を発ったフェリーは薄日を浴びて、心地よい潮風を切って玄界灘を北上して行く。その風が「冷えてきた」と感じた時、壱岐の島がすぐそこに近づいていた。平坦な島の、上空だけが黒い雲に覆われている。あいにくの空模様で、海を渡る風が島を通過しながら冷やされているのだろう。魏志の編纂者に倭人のクニグニについて語った旅人も、この風を感じていただろうか。

全島1市の壱岐市は、4町が合併して生まれた。だから主な港も4つある。人口は3万1000人。市のホームページを開くと「壱岐市ってどこ?」と説明が始まる。長崎県ではあるけれど、九州北部―壱岐―対馬―朝鮮半島と、飛び石伝いに連なる立地がいまひとつ認識されていない、という市民の思いが反映されているのだろう。

しかし壱岐は、全国数ある島の中でも特別の島なのだ。なにしろ中国の歴史書『魏志倭人伝』が列記している「倭人のクニグニ」の中で、唯一「一支(いき)国」であると特定できる地なのだから。島の南東部、深江田原(ふかえたばる)平野の丘陵部に広がる「原の辻(はるのつじ)遺跡」はその一支国の王都で、国の特別史跡に指定されている。登呂遺跡(静岡県)、吉野ケ里遺跡(佐賀県)とともに、遺跡の国宝のようなものだ。

原の辻は発掘調査をもとに建物の復元が進められており、一支国の王都が再現されつつある。遺跡を見下ろす丘の上では市立博物館が建設中だ。黒川紀章氏の遺作ともいえる設計だそうで、弥生時代の原風景をイメージしたという屋上は、全面緑化されて山並みのようなカーブを描いている。島はその完成を待って、壱岐を歴史研究の島として売り出す計画のようだ。

長い歴史が堆積しているからだろう、壱岐には古墳が多く、神社や寺の数も島の規模を超えている。延喜式に記されている九州の式内社98社のうち、24社が壱岐島内に集中しているというのだから尋常ではない。なかでも月読神社は、薮の中に粗末な小屋を建てたような姿ではあるが、日本書紀によれば京都や伊勢の月読社の元宮にあたるのだといい、恐れ多くも「壱岐こそ日本神道発祥の地」であるとする根拠となっている神社なのだ。

もう一つ、この島を「発祥の地」とするものに「春一番」がある。安政6年(1859年)2月13日、鯛漁に出た壱岐郷ノ浦の漁師53人が、南の黒雲とともに襲って来た「春一」によって遭難したのだ。この悲劇により、漁師が怖れた「春一」は、気象用語「春一番」となって日本語に定着した。漁民たちはいまも毎年、旧暦2月23日はどんなに好天に恵まれようと沖止めとし、漁を休んで海難者の冥福を祈るのだという。


郷ノ浦港を見下ろす高台に、天を指す白いモニュメントが建っている。朝、海難碑の周りの小さな公園を歩いた。悲しい話に粛然となって丘を降りると、港の船溜まりで忙しそうに干物を作っている姉弟に出会った。イカと、もう一つはアジだそうで、そういえば、宿の朝食に出たアジがこれだったらしい。美味しかった。

海に6体並ぶ「はらほげ地蔵」や奇岩「猿岩」など、壱岐は名所に事欠かない。温泉もあるし博多からは高速船で65分だ。この壱岐に、邪馬台国の卑弥呼を案内したいものだ。(2009.8.3-4)
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