今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

324 波佐見(長崎県)・・・山里に朝日を浴びて登窯

2011-02-07 15:46:32 | 佐賀・長崎

東日本の人間である私は、茶碗や皿など日用の焼き物はすべて《セトモノ》と総称する習慣の中で育った。概ねそれらはツルンとした肌の磁器が多かったのだろうが、土の感触の色濃い陶器が混じっていたとしても厳密に区別されることなく、すべてセトモノであった。それほど東日本では、瀬戸地方で焼かれた生活雑器が家中を占領していたのである。だから《ハサミ》という西日本の大産地を知るのは、還暦を過ぎることになったのだろう。

ところが気が付くと、わが家の食卓で「波佐見現象」が進行していたのである。始まりは2008年8月、信州・高遠を旅した折りに城下の小さなギャラリーで買った湯飲みであった。胴の膨らみとシンプルな染め付け、それに口縁のシャープな削りに惹かれた。「有田ですか」と訊ねると「波佐見です」という。このとき初めて、長崎県に波佐見という磁器の産地があることを知った。

そして2009年3月、下関の街はずれの、「李鴻章の道」に向かう付近の古道具屋で「どれも200円」という籠の中に入っていた赤絵皿を買った。裏に「せらゆう」と書いてあるようなのだがよく読めない。その年の夏、唐津の陶器店で同じ絵柄の皿を見つけた。背面には同様の筆致で「せらゆう」らしい仮名書きがある。店主に聞くと「波佐見です。波佐見の普及品ですな」と素っ気ない。「安物ですよ」と腹の中で呟いている顔つきだった。

さらに2010年、東京・南青山を歩いていたら、白山陶器のショップを見つけた。この窯元がシンプルな醤油さしで有名なことは知っていたが、「白山」という社名から加賀の白山山麓あたりの窯なのだろうと思っていた。そのことをショップで確認すると「波佐見です。長崎県にあるのですが私はまだ行ったことがありません」と若い店員は正直だった。また波佐見だったのである。

何ごともデザインを重視する私は、茶碗ひとつ、皿1枚に対しても厳しい。もちろんその善し悪しには使い勝手も含まれ、美しくしかも相応の価格でなければいけない。波佐見焼が次々と貯まって行くということは、彼の地にそうした私の好みに通じる工房がたくさんある、ということに他ならない。だから「いつか行ってみたい」と家で呟いたとたん「行きましょう!」と即決され、今回の陶磁の旅へと駆り立てられたのである。

波佐見へは有田から入った。さほど高低差のない峠を越えると佐賀から長崎に、昔流に言えば鍋島藩領から大村藩に入ったことになる。波佐見町は長崎県では数少ない「海のない町」だそうで、高原の盆地である。だが囲む山々は低く平坦部は広々として、圧迫感はない。高野山中の隠れ里・天野を思い出した。桃源郷である。

一夜明け、朝靄が低く深くたなびく里を《畑の原窯跡》見物に出向いた。慶長の役で連れて来られた朝鮮陶工らが築いたと伝わる国指定史跡で、北向きの傾斜地を階段状にならし、24余の窯室が築かれた。江戸時代には国内の生活食器類の過半を産出していたという波佐見焼だけに、窯の全長は55㍍にもわたっていて、往時の黒煙が立ちのぼって来るかのような迫力である。

波佐見は今も磁器の主要産地に変わりはないが、安価な雑器を得意としてきただけに、《波佐見焼》の知名度は低い。しかしそれは古伊万里や鍋島の伝統的しがらみから自由でもあることだ。だから私のような者が好む斬新なデザインが生まれて来るのだろう。(2010.12.23-24)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 323 有田(佐賀県)・・・石... | トップ | 325 中尾山(長崎県)・・・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

佐賀・長崎」カテゴリの最新記事