今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

279 琴平(香川県)・・・石段を登り切れれば讃岐富士

2010-05-12 17:34:38 | 香川・徳島

香川県は、47都道府県の中で面積が最も小さな県なのだそうだ。だからというわけではないが、私にとって最後に残った未踏の地であった。高松に行く用ができ、好機とばかり讃岐路を巡ろうと考えた。調べてみると、小さな県だが見どころは多い。東の屋島か西の金比羅さまか、迷ったあげく西を目指した。面積が狭いということは訪ねる者には都合がいいもので、ローカル列車にのんびり揺られていると、1時間足らずで琴平に着いた。

コンピラさまは東国の田舎育ちでも、小さなころから耳にする神社である。次郎長の代参で石松が「すし食いねえ」とご機嫌な旅を続け、挙げ句の果てに闇討ちに遭ったことだって知っている。江戸時代には、伊勢のおかげ参りと競うほどの庶民の人気スポットだったというではないか。一度くらいお参りしてみるのもいいだろう。



海運業者の信仰が篤いと聞いていたから、海に近い立地だと思っていたら、瀬戸内の海からはだいぶ内陸部に入った山の中腹にある。その本宮まで続くのが有名な785段の石段だ。平地を歩くことは全く厭わない私であるが、登りはめっぽう弱い。立ち止まり、振り向いては讃岐平野の眺望に励まされ、ようやく登り切った。

本宮の有難さはともかく、境内から見晴らす讃岐平野は伸びやかで素晴らしい。讃岐富士が優美な姿を見せ、その向こうに瀬戸内海が青く光っている。瀬戸大橋で結ばれた山陽路も見えているかもしれない。途中の島々は塩飽諸島と呼ばれ、地中からポッコリ膨れ上がったような島影が見られる。讃岐富士も遠い昔は島だったのだろう。だとすれば、金毘羅宮は瀬戸内を航行する船からよく望まれ、船人の信仰を集めたのかもしれない。

広く民衆の信仰を集めるスポットは、どんな契機で生まれるのだろう。金刀比羅宮由緒によると、そもそも大物主を祀る琴平神社という神社だったというが、その発祥は遥か往古に遡って定かでない。中世には本地垂迹説に従って金比羅大権現を名乗り、明治になって本来の神社に復帰して金刀比羅宮になったのだという。この象頭山(琴平山)に、国産み神話と結びつける何かがあって、大物主神がやって来たと信じさせたのであろう。



そもそも大物主神は、大国主神の和魂(にぎたま)である。出雲の国産みを果たしたオオクニヌシの荒魂に対し、五穀豊穣や国の平穏をもたらしてくれる有難い神様だが、明らかに出雲系である。さらに保元の乱に敗れ、讃岐に流され没した崇徳上皇も祭神としている。何やら反朝廷的色合いを感じさせるが、「歴朝皇室の尊崇すこぶる篤く」などとも由緒にあるから、よく分からない。

しかし石段には参ったけれど、気持ちのいい参詣だった。書院では円山応挙や伊藤若冲の作品に出会えたし、現代作家による椿の障壁画制作も見学できた。さらにこの神社は高橋由一のコレクションが名高く、独立した展示館を持つほどの美を尊ぶ伝統がある。境内では「琴平山再生プロジェクト」が進行中で、おしゃれなレストランで食事を楽しむことが金比羅参りに加わっている。

修学旅行生やお年寄りの団体にたくさん出会った。江戸時代ほどではないのだろうが、金毘羅さんは現代も多くの人たちを惹き付けている。石段の両側に並ぶ土産物店や、参詣客とともに発展して来たのであろう街の佇まいは清潔で、日本人のDNAに潜む自然信仰が、ここには素直に生き続けているように思えた。(2009.11.12)
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