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「樹齢千年以上」という推定が正しければ、芽吹いたのは紫式部が源氏物語を書いていたころになる。福島県三春町の滝桜である。それから150年ほどして、奥州・平泉を目指す西行が近くを歩いて行った。「花の下にて春死なん」と願ったほどの桜好きの西行だから、評判が高まっていれば立ち寄ったかもしれないけれど、そうした記録はない。まだ特段目立つベニシダレザクラではなかったのだろう。そして滝桜は今、私の眼前で咲き誇っている。
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「咲き誇る」というのは私の勝手な推測であって、滝桜自身は別に誇ってなどいないのかもしれない。淡々と、今年も春が巡って来たから花を付け、千年を棲家として来た山あいの斜面で息をしているだけなのかもしれない。ただ8.1メートルもあるという幹回りは流石にゴツゴツと年老いて、威厳を湛える美しさである。苔が張り付いた岩のような樹肌にベニシダレの小さな花びらが揺れるさまは、確かに「滝」に飛び散る水飛沫のようである。
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私は西行ほどの花追い人ではないけれど、滝桜は一度は見たかった。どうせ行くなら満開のころがいいとタイミングを見計らってやって来たのだが、同じことを考える人は多く、郡山駅から磐越東線のローカル線に乗り継ぐ時からホームはすでに人で溢れており、三春駅の臨時バス乗り場は絶望的な長い列である。だが滝桜は、そうした苦行を吹き飛ばしてくれる見事さだった。いや滝桜だけではない、三春は街全域が花に埋もれているのだった。
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三春町は福島県のほぼ中央、阿武隈山地西側の丘陵部に位置する人口16000人ほどの街だ。わずかな平坦部に街並みが続くものの、ほとんどは緩い起伏の連続である。だがこの山里は、古くは磐城国田村郡と言った時代から、この地の中核だったのではないか。郡山が奥州道中の宿場町に過ぎなかったころの戦国から幕末まで、田村氏から秋田氏へと続いた三春城の支配は、会津と磐城の中間にあって、気品のようなものを漂わす城下町を残した。
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滝桜で出会った中学生たちが、街の中に帰って来た。3時間かけての遠足だったという。疲れた様子も見せず「こんにちわー」と挨拶してくれる。その清々しさに「気品」を感じたのである。さらに、塵ひとつ落ちていない街に点在する古刹の築地塀からは、色とりどりの桜が満開の枝を垂らし、町役場裏の広場では、町民の誇りなのだろう、東北で自由民権運動を展開した河野弘中の像が花に埋もれている。山の中の小さな街が、何やら羨ましくなる。
(雪村庵)
私を三春に誘ったのは滝桜だけではない。室町時代末期の不安定な時代、漂白の画僧として生きた雪村周継が最晩年を過ごしたのが三春だったと知り、同じ空気を吸いたくなったのだ。雪舟を意識しながらも独自の水墨画を描いた雪村は、雪舟が晩年を石見の益田に隠棲したように、三春の田村氏の庇護を頼りに庵を結び、没した。常陸・佐竹氏の嫡子に生まれながら、漂白の人生を選んだ生き様が、その特異な画風とともに私を強く惹きつける。
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境内の桜があまりに見事だったから立ち寄った法蔵寺は、一遍の後継・遊行上人が開山した三春最古の寺だった。雪村が三春にやって来る300年も前のことだ。「ここも時宗か」と、益田で雪舟が作庭した寺も時宗だったと思い出した。本堂裏の墓地に見事な枝垂れが花を咲かせていて、雪村もこの桜を愛でただろうかと考えた。梅と桃と桜が一気に咲くから「三春」なのだそうで、確かにこの三種の花が咲き競っている農家の庭を見かけた。(2024.4.12)
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(慶応4年に描かれた滝桜図=三春町歴史民俗資料館)
(雪村庵の扁額=同上)
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「咲き誇る」というのは私の勝手な推測であって、滝桜自身は別に誇ってなどいないのかもしれない。淡々と、今年も春が巡って来たから花を付け、千年を棲家として来た山あいの斜面で息をしているだけなのかもしれない。ただ8.1メートルもあるという幹回りは流石にゴツゴツと年老いて、威厳を湛える美しさである。苔が張り付いた岩のような樹肌にベニシダレの小さな花びらが揺れるさまは、確かに「滝」に飛び散る水飛沫のようである。
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私は西行ほどの花追い人ではないけれど、滝桜は一度は見たかった。どうせ行くなら満開のころがいいとタイミングを見計らってやって来たのだが、同じことを考える人は多く、郡山駅から磐越東線のローカル線に乗り継ぐ時からホームはすでに人で溢れており、三春駅の臨時バス乗り場は絶望的な長い列である。だが滝桜は、そうした苦行を吹き飛ばしてくれる見事さだった。いや滝桜だけではない、三春は街全域が花に埋もれているのだった。
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三春町は福島県のほぼ中央、阿武隈山地西側の丘陵部に位置する人口16000人ほどの街だ。わずかな平坦部に街並みが続くものの、ほとんどは緩い起伏の連続である。だがこの山里は、古くは磐城国田村郡と言った時代から、この地の中核だったのではないか。郡山が奥州道中の宿場町に過ぎなかったころの戦国から幕末まで、田村氏から秋田氏へと続いた三春城の支配は、会津と磐城の中間にあって、気品のようなものを漂わす城下町を残した。
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滝桜で出会った中学生たちが、街の中に帰って来た。3時間かけての遠足だったという。疲れた様子も見せず「こんにちわー」と挨拶してくれる。その清々しさに「気品」を感じたのである。さらに、塵ひとつ落ちていない街に点在する古刹の築地塀からは、色とりどりの桜が満開の枝を垂らし、町役場裏の広場では、町民の誇りなのだろう、東北で自由民権運動を展開した河野弘中の像が花に埋もれている。山の中の小さな街が、何やら羨ましくなる。
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私を三春に誘ったのは滝桜だけではない。室町時代末期の不安定な時代、漂白の画僧として生きた雪村周継が最晩年を過ごしたのが三春だったと知り、同じ空気を吸いたくなったのだ。雪舟を意識しながらも独自の水墨画を描いた雪村は、雪舟が晩年を石見の益田に隠棲したように、三春の田村氏の庇護を頼りに庵を結び、没した。常陸・佐竹氏の嫡子に生まれながら、漂白の人生を選んだ生き様が、その特異な画風とともに私を強く惹きつける。
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境内の桜があまりに見事だったから立ち寄った法蔵寺は、一遍の後継・遊行上人が開山した三春最古の寺だった。雪村が三春にやって来る300年も前のことだ。「ここも時宗か」と、益田で雪舟が作庭した寺も時宗だったと思い出した。本堂裏の墓地に見事な枝垂れが花を咲かせていて、雪村もこの桜を愛でただろうかと考えた。梅と桃と桜が一気に咲くから「三春」なのだそうで、確かにこの三種の花が咲き競っている農家の庭を見かけた。(2024.4.12)
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