今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1161 勝沼(山梨県)行基さま甲州ワイン召し上がれ

2024-04-18 09:47:20 | 静岡・山梨
勝沼について、正確な街の位置も、今では甲州市と名前が変わっていることも知らない、いかにも山梨県に不案内な私であるけれど、「勝沼といえばブドウとワイン」ということはしっかり刷り込まれている。国内におけるブドウ栽培とワイン醸造のそれぞれの発祥の地だそうで、ブドウは1300年、ワインは130年の歴史があるのだという。だから駅名に「ぶどう郷」を加えなくてもわかるのに、などと思いつつ、「勝沼ぶどう郷駅」で下車する。



東京西郊のわが家から、中央本線の各駅停車を乗り継いでも100分と掛からない地なのに、これほど爽快な風景が広がっていることが嬉しくなる。駅の標高は490メートルだそうで、大菩薩嶺から流れ下る川が大きな扇状地を形成、甲府盆地へと広がっていく途中の山際にある。勝沼駅時代のホームが残り、折りしも満開の桜が「花のトンネル」を形成している。地元の農業後継者らが「甲府盆地の玄関を桜で埋めよう」と植樹した並木で「甚六桜」という。



遠くに南アルプス、その手前に甲府の街並みが霞んでいる。もっと手前のピンク色に埋まる辺りは桃畑であろう。眼前の丘陵地は、一面にマッチ棒を立て並べたような細い柱で埋め尽くされている。葡萄棚に違いない。芽吹き直前の畑はまだ殺風景だが、あと半月もすれば新芽が噴き出し、野を若々しい緑で覆うはずだ。そして白い小さな花が咲き、夏から秋にかけての収穫に向けて瑞々しい房がぐんぐん育ち、棚を軋ませるほどになるのだろう。



何とか立って歩けるほどの高さの棚の下で、枝に手を伸ばして作業しているおばさんがいる。液体をハケで塗っているように見える。何の作業ですかと声をかけると、手を休めて「房が実った時に病気が出ないよう、芽が出る前に塗っておくのです」と教えてくれる。葡萄栽培は一年中、何かれと手入れが欠かせないようで、冬場でさえ剪定や枯れた巻きひげの除去など、農家は休む暇がない。美しい風景の中で、厳しい作業を続けた恵みが葡萄房なのだ。



中近東が原産とされる葡萄は、わが国へは奈良時代に中国からもたらされたというのが定説らしい。ただ明日香村の飛鳥京跡苑地からは桃の種が発掘されているから、葡萄も桃と同時期の飛鳥時代に遣唐使が持ち帰ったと私は考えたい。そして甲斐へは、大仏建立の大僧正・行基が関わっているとの伝承が残る。真偽はともかく、もたらされた地はなぜ勝沼だったのだろう。土壌・地形・気候など、当時から栽培条件が完璧に揃っていたからではないか。



「ぶどうの丘」に登る。ワインの売店や宿泊施設を備える観光勝沼の中心施設らしい。敷地の奥の高台に「ワイン先駆者顕彰碑」が建っている。1877年、この地に大日本山梨葡萄酒会社が設立されると、25歳と19歳の若者2人が選ばれてフランスに派遣される。本場の栽培・醸造技術を学び持ち帰った業績は不滅であると讃える碑文は、今も眩しい。この「殖産」の努力が60を超えるワイナリーに生き、「甲州ワイン」のブランドを育てている。



葡萄棚を縫って丘を下る。棚の下草整備に一役買っているのか、ヤギがのんびり私を眺める。若いころ暮らした板橋の社宅に、山梨出身の先輩が単身赴任して来た。「ほうとう」を作るから一緒に食べようと誘われてお邪魔すると、一升瓶がどんと置かれている。それがワインなのだった。一升瓶入りのワインは初めて見た。「ほうとう」をつつきながら二人で空にした。甲府に疎開していた太宰治も、小説にそんなことを書いているらしい。(2024.4.10)














コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1160 笛吹(山梨県)絶景を... | トップ | 1162 三春(福島県)山里を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

静岡・山梨」カテゴリの最新記事